空白の半年間、僕がnoteから離れていた間に起こった事件。
大変ご無沙汰しております。
オリックスのリーグ優勝について書いてから、実に半年もの時間が過ぎてしまいました。なんの報告もなく更新を止めてしまい、申し訳ありませんでした。
全ては僕の容量不足が原因です。
というのも、昨年8月から想定外の事件が次々と起こりまして……。
今回はその〝空白の半年間〟について書いていこうと思います。事件は大きなところで三つ。
①息子の進路問題~誠意のない高校に激怒事件~
②娘の進路問題&交友問題~受験直前に不登校事件~
③僕の急病問題~生命の危機にビクビク事件~
ハイ、見出しだけで伝わるかと思いますが、シングルファーザーがワンオペで立ち回るには、かなりハードモードな事件が続いてきたんです。
全てを書くと長くなってしまうので、何回かに分けますね。
きょうは、現在進行中の『③』について。
実は僕、つい数日前まで「ステージⅣの膀胱がんではないか?」と言われていました。
はじまりは先月末です。
下腹部の違和感と頻尿の気があったので、近くの泌尿器科を受診したんです。すると、そのときの採尿で微かに血が……。
この時点では「結石か、細菌感染が原因」との診断を受けたのですが、翌日からみるみる症状が悪化していくわけです。
急きょ大きな病院を紹介してもらい、診察。この時点で血尿はどんどん濃くなり、尿意も15~30分おき、排尿するとなんとも言い難い激痛が伴っていました。
しかし、ここで処方してもらった薬も全く効かないときた。
翌日の夕方には便器を真っ赤に染める鮮血と血餅。見事すぎて写真を撮ってしまいました。そして、尿量がどんどん減っていく…
慌てて病院に電話したものの、時間外なので対応できる医師がいないと。尿が少しでも出ている間は大丈夫と諭されました。
さあ、困った。
というのも、その日が金曜日だったからです。土日は外来を受け付けていないし、15分おきに尿意が襲ってくるので、眠れないんですよね。なので、1日が長いこと、長いこと。日曜にはまた大量の鮮血と血餅……。
で、いよいよ月曜。朝一で病院を訪ねてみたら、受付に衝撃の告知が貼ってあるわけです。
本日の泌尿器科は予約なしの患者を受け付けない……、だと?
しかし、なんとか頼み込んで診察してもらえることに。部長先生が忙しい中で対応してくれました。
さあ、ここからがドキドキハラハラですよ。
先だって撮影した膀胱内の画像を見ながら、先生は言いました。
「膀胱内に血の壁があってなにも見えない。けど、推測されるのはハンナ型間質性膀胱炎という難病か、膀胱がん。それでも、こんな急に悪化するものかなあ」
難病 or がん? いきなり、その二択?
さらには「膀胱摘出の可能性大」とまで言われました。
検査の結果、結石と細菌ではないことは、ハッキリと否定。では、原因はなんなのか。そこで、膀胱内の細胞を手術で削り取り、分析を行うことになりました。
実は、肛門がんで亡くなった妻も、僕と同じ47歳の今ごろにがんを告知されたんです。なんの因果かと思わずにはいられませんでした。
入院まで5日間。大量の痛み止めはもらったものの、また長い我慢の生活です。このころは、まさに〝エンドレス尿意〟〝エニタイム残尿感〟といった状態で、5分もトイレを我慢できませんでした。
そこで始めたのが、トイレ生活。
スマホ、飲食料、ブランケットなどを持ちこみ、自分なりに快適な空間をつくって籠もりました。もちろん、仕事の打ち合わせもトイレからリモートで。誰かと話していると、とても気が紛れました。
さて、痛みと睡眠不足に耐え抜き、人生初の入院生活スタートです。
手術を待つまでの2日間で、うれしい出来事がありました。
恥ずかしながら僕、この20年で結婚指輪が抜けなくなっていたんですね。それが手術のときに感電のもとになると。どうしても抜けないなら切断しかないと告げられていたんです。
しかし、その日担当してくれた看護師さんが言うわけです。
「もったいないよ。これなら、抜けないかなあ。上手な先輩がいるから後で試してみよ?」
そしたら、ミラクルが起きたんですよ。
指輪と指の間に糸を通して巻いて、石鹸で摩擦を減らして、地道に、地道にずらしていくと……
スルッ。おおおおおおおおおお!
思い出の品が切断されなくてよかったです。
そして迎えた手術日。全身麻酔をかけ、膀胱内の細胞を削り取るとともに、止血を行いました。
手術明け、痛みで苦しむ僕に部長先生が宣告しました。
「おそらく膀胱がん。ステージⅣだね。病理の結果が出るまでなんとも言えないけど」
マジ?
真っ先に考えたのは、残される子供たちのこと。しかし一方で、なんとかなりそうな〝根拠なき希望〟は持っていました。
その日、仕事仲間、家族に連絡。そして、不思議と浮かんだのは高校時代の先輩です。長く話せていなかったのですが、電話をかけて気持ちを吐露しました。
突然の報告に驚きながらも「よくかけてきてくれた、ありがとう」と言ってくれたのが、沁みました。
翌日からは仕事仲間、友人たちから連絡が殺到し、気が紛れました。ちなみに、ここまで仕事はほとんど休んでいません。あくまで僕の意志で。なにもない時間に考え込みたくなかったからです。
息子と娘のケアも手を打ちました。
直接、正直に話しました。その上で彼らと関わりのある大人たちに連絡して、フォローをお願いしました。
病理の結果が出たのは、手術から3日後です。
「病理のほうを急がせてね、悪性の腫瘍はなし」
その時の僕は、寝ているところを起こされた状態。前置きもほとんどない言い方だったため、言葉が呑み込めませんでした。
「……んー、大丈夫ってことね?」
原因はまだわからないままでしたが、ステロイド治療を試してみようということになりました。
体調は日に日によくなっていきました。尿管にカテーテルを通して尿パックと繋がれていますが、睡眠時間も人並みに、痛みもほとんど感じなくなっています。
「退院します?」なんて声も聞こえてきました。
実は息子と娘の進学準備もこなさなくてはならなかったので、助かる~なんて思っていたのですが……
ここで一難去ってまた一難。
どうも手術後に受けたCT検査で、壊死性膀胱炎という病気の疑いがあると出たそうなんですね。
これが、部長先生も初めてお目にかかる激レアなものらしく、調べてみると突発的に命を失う危険があると。なので、しばらく病院で検査&経過観察するべきだと。
オイオイ、また生命の危機かと。
但し、過去の論文によると、放射線治療などで弱っている方が罹る病気で、高熱が認められるとのことなんですが、僕はどちらも当てはまらない。
今度もなんとかなるような気はしています……。
一方、血液検査の方でも問題が出ていて、どうも腎臓の値が悪いと。このまま悪化したら、透析が必要になると診断されてしまいました。
原因はここまで服用しまくっていたロキソプロフェンか、あるいは腎臓に病気が隠れているのか。あす、月曜に再検査して今後の方針を決めるようです。
さあ、ここまで2800字、長文になってしまいました。
治療は長引きそうです。体調と時間に余裕があるときに、残りの事件についても書きたいと思います。
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