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『母性』とは何なのか、辞書を引いても分からない。

湊かなえ先生原作の映画『母性』を鑑賞しました。

どんな話かというと、「母性」の話です。

まんまじゃないか、と思うでしょう。でも違うんです。私は原作を読んでいないので、タイトルと予告編だけを見て「母なる証明」「ゆりかごを揺らす手」「八日目の蝉」の様な、その強い母性を向ける先が独特な母親の物語だと思っていたんです。

(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会

ところが、私が鑑賞してみて感じたこの映画のテーマは、そのもっと手前の「母性とは何なのか」なのだと思います。

これは難しい。私は男性です。生物学的には、妊娠も出産も母になることもできません。しかし”母親”にならないと「母性」を持つことはできないのかと言うと、そんなことはないでしょう。

劇中に登場する国語教師が、母性の定義を「女性特有の~」という説明をするシーンがありますが、「え、そうなのか?」と。男には、母性は無いのでしょうか。子どもに愛情を注ぐ気持ちは、性別・妊娠・出産の生物学的な差異によって”母性”と”父性”に呼び分けられるのか。そんな単純な話でもない気がしますが…うーむ、これは難しい。

たくさんの異なる解釈が存在しそうというのが予想できたところで、それが正解とは言わないまでも、辞書で「母性」の意味をあらためて調べてみようと思います。

「母性」の意味

(C)2022映画「母性」製作委員会
女性が、自分の産んだ子を守り育てようとする、母親としての精神的・肉体的性質。
新明解国語辞典 第八版より
<母親としての/母親になる>性質。
「ー本能・ー保護」
母性愛 母親が子どもに対して、本能的に持つ、愛情。
三省堂国語辞典 第八版より

あくまで辞書上での意味の話ですが、共通しているのは「やっぱり女性限定なのか…」ということ。新明解の意味では、自身の産んだ子にしか持ちえない性質のように解釈できてしまいますし、三省堂では”本能的に”元々持っている、という意味にも取れます。

なんだかすごく旧時代的な考えの様な気がしてしまいます。調べてみて、そもそも国語辞典ですら共通した定義を持たないのが「母性」という言葉なのだと分かりました。

では、結局「母性」とは何なのか。そのヒントが映画『母性』にはある気がします。多くの方に考える機会を与えてくれる、そんな作品なのではないでしょうか。

「母」か「娘」か

映画『母性』に出てくる女性の登場人物は、「母」として描かれているのか、それとも「娘」として描かれているのか。

ここに注目して鑑賞することで、より映画の理解が深まるのではないか、と私は感じました。なぜなら、その母or娘の法則に従い、いるべき人物が意図的に”いない”、もしくは本来いなくても良さそうな人物が”いる”設計になっていると思うからです。

そこで、主要な女性登場人物を並べてみましょう。

映画『母性』オフィシャルサイトより

まずは戸田恵梨香さん演じるルミ子。母親のことが大好きです。大好きを通り越して、母と同じものを見た時に、違う感想を持つのは罪であるとまで思う、妄信的な母信者。

映画『母性』オフィシャルサイトより

そしてそのお母さんを演じるのは大地真央さん。娘も、その娘である孫も大切に思う、とても良心的な存在として描かれています。模範的過ぎて、理想の母親を無意識に演じている人なのかと思うほど。

映画『母性』オフィシャルサイトより

ルミ子の夫の母親である義母は、高橋淳子さん。こちらも息子(ルミ子の夫)と娘を、とても愛しています。実子以外の人物には高圧的な態度のモンスターペアレント。愛ゆえにそのような態度なのだと考えると、見方によっては一番「母性」の強い人物。

映画『母性』オフィシャルサイトより

そしてルミ子の娘である永野芽郁さん。母のために良き「娘」であろうとします。

女性がこの世に生まれた以上、誰かの「娘」であることは間違いないですが、この映画では、劇中に「母」または「娘」が登場するかどうかを基準に考えたいと思います。

そのキャラの「母」が劇中に登場していれば「娘」として描かれている。逆に、
そのキャラの「娘」が劇中に登場していれば「母」として描かれている。
こう考えると、主要な女性の登場人物は…

戸田恵梨香さん → 母・娘
大地真央さん  → 母
高畑淳子さん  → 母
永野芽郁さん  → 娘

と整理できます。つまり、映画『母性』の中では、戸田恵梨香さん演じるルミ子だけが、母であり娘なので、娘のままでいたい気持ちと母親としての役割の中で揺れる、唯一の存在として描かれていると考えられます。

一方、大地真央さんと高畑淳子さんは、方向性の違いこそあれ、共に強い母性を持った母親として存在します。

高畑さんの方は、ルミ子の旦那である息子だけ溺愛していれば、物語としては成立していたと思います。しかし実際には、ルミ子の義妹、高畑さんの娘が登場。

映画『母性』オフィシャルサイトより

「娘」がいることで、そのキャラを「母」として描いているという方程式を当てはめた時に、高畑淳子さんが「母」であることを象徴的に見せるためには、この「娘(義妹)」の存在は必然だったのではないでしょうか。

映画『母性』オフィシャルサイトより

そしてもう1人。ルミ子と同じ絵画教室に通うお友達。この映画の女性主要キャラの中で、彼女だけが、その「母」も「娘」も登場しません。この映画における母娘のどちらの役割も与えられていない、部外者です。

ではどんな役割を持っているのか。私個人の意見ですが、おそらく「女」だと思います。

「男」は一体どこ行った

(C)2022映画「母性」製作委員会

そしておそらく、意図的に削られたのであろう「男」の存在。

大地真央さんにも高畑淳子さんにも、劇中では夫がいません。離婚したとも、死別したとも、言及されません。(原作にはいるのかも。)唯一、登場するのがルミ子の夫である三浦誠己さん。

そもそもルミ子はこの男のことを特に好きではありませんでした。しかし、母である大地真央さんがこの男の描いた絵を気に入ったことで、母と違う意見を持ってはならないというマザコンぶりを発揮した結果、結婚することに。あんた、そこに愛はあるんか。

この夫には気の毒なほど、存在感と発言力がありません。劇中には夏目漱石の千円札が映るシーンがあるので、おそらく時代設定としては昭和の終わりから平成の始まりにかけて。まだ家父長制の残り香が少しあったような時代かと思いますが、それにも関わらず、この父親は全くもって弱々しい存在として描かれています。

いない夫に、弱い夫。これらの存在も、この映画の主役が「女性」であることの隠喩なのではないでしょうか。

おわりに

(C)2022映画「母性」製作委員会

この映画には、女子高生が自宅の庭で死亡する事件や、母と娘の異なる視点で物語が進行するというミステリーの要素もあります。

しかし冒頭に書いた通り、やはり考えるべきは、辞書を引いても分からない「母性とは何なのか」だろうというのが私の結論です。

今回は、言葉の意味や人物相関から考察してみましたが、小説から映画になるにあたっては、様々な要素が削られ、また変更されているハズです。なので今度は原作小説を読むことで「母性」について探ってみたいと思います。ではまた次回!

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