『ネクスト・ゴール・ウィンズ』に学ぶサモア文化:第三の性”ファファフィネ”
アート系の良質な映画を製作・配給することで知られるサーチライトピクチャーズから、新作『ネクスト・ゴール・ウィンズ』が公開された。この映画の予告編を観た時に、私は(無知により失礼ながら)トランスジェンダーの登場人物がいる映画なのだな、と思った。
0-31という歴史的な大敗を喫し、FIFAランキングが万年最下位であるアメリカ領サモアのサッカー男子代表。このチームの再建を図るという事実を基にした映画なのだが、チームの中に明らかに女性然とした選手がいる。
劇中でも説明があるが、彼女はサモアの文化において、”ファファフィネ”と呼ばれる「第三の性」の選手である。ファファフィネは何千年も前から続くサモアの重要な文化の一部であり、主に西洋の文化圏で用いられる”ノンバイナリー”とは違うし、トランスジェンダーとも重なる部分もあるが完全には一致しない。
確かによくよく考えると「女性だと自認しているのなら、男として男性チームに参加したがらないのではないだろうか」と自分の考えを改めた。彼女はチームメイトから特別扱いされるでもなく、ごく自然に男性チームの中で活躍している。
『ネクスト・ゴール・ウィンズ』のパンフレットによると、ファファフィネは「男性に生まれながら女性として、あるいは女性のように生きることを選んだ人たち」で、サモアにおいては女手の足りない家庭で、女性の仕事を任せるために男子を女子として育てる風習もあったそうだ(諸説あり)。
ちなみに「女性に生まれながら男性として生きる人」は”ファファタマ”と呼ばれ、このファファフィネ(fa’afafine)とファファタマ(fa’afatama)は、それぞれサモア語で直訳すると「女性らしい」「男性らしい」という意味を持つ。
またポリネシア文化圏には第三の性について広く受け入れる慣習が浸透しており、トンガではfakafefine、ハワイやタヒチではmāhū、ニュージーランドの先住民族マオリではwhakawahineといった、サモアでいうファファフィネにあたる概念が存在している。
第三の性の人たちは、登録上は出生時の身体の性別となる。そのため映画の中でも、マイケル・ファスベンダー演じる監督が言葉を選びながら、W杯予選への出場資格について、つまり性別適合手術について質問をするシーンがある。こういった描写は、スポーツを題材にした映画ならではだ。
そして冒頭述べたように映画は事実を基にした作品で、劇中に登場するファファフィネのジャイヤは実在の人物である。
ニュージーランド出身でマオリにルーツを持ち、本作の監督を務めたタイカ・ワイティティも、ジャイヤ役の俳優を探すにあたっては「真のファファフィネである人をキャスティングすることがとても大事」とインタビューで語っている。
2013年の数字だが、サモアに住むファファフィネの人数は約3,000。その中からジャイヤ役として、ファファフィネであり運動神経も良く、サッカーができるカイマナが見つかったことは非常に幸運なことだった。
このアメリカ領サモアのサッカーチームに密着したドキュメンタリー映画『ネクスト・ゴール!世界最弱のサッカー代表チーム 0対31からの挑戦』(2014年)では、『ネクスト・ゴール・ウィンズ』に登場する人物のモデルとなった本人たちの話が聞けるので、是非とも合わせてご覧いただきたい。もちろんジャイヤも登場する。
ドキュメンタリーの中で特に印象的だったのが、「試合が始まった瞬間に、自分の男としてのスイッチが入る」というジャイヤの発言だ。
これこそがサモアに根付くファファフィネのアイデンティティが表出している部分ではないだろうか。これを裏付けるように、ジャイヤは米メディア「People」のインタビューの中で下記のように語っている。
現地では彼女は当たり前の存在だ。
『ネクスト・ゴール・ウィンズ』で彼女に驚くのは国外から来た監督だけであり、観客はその監督の目を通してファファフィネや、何事も前向きに考えるサモアの文化を学ぶという構造になっている。
そんなサモアのポジティブ精神が、とてもよく表れているのが映画のタイトル。もったいないことに映画の中では触れられないが、これは負け続けているサモアチームが自身を鼓舞するために唱えた「次の1点を取った方が勝ち」という意味のフレーズである。
そんな懐の深いサモアのカルチャーを、美しい山と海に囲まれながら初勝利を目指すサッカー映画を通して体感するという異色の組み合わせだから本作は興味深い。
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