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なにも知らない

年齢を重ねることで無頓着になってきたが、中学時代にある事実を隠していた。それは、父親が不在だということ。時代背景も影響していると思うが、父親がいないことに後ろめたさを感じており、必死になって隠していた。しかし、永遠に家族の話題を避け続けるわけにはいかない。友人との親交が深まれば深まるほど、家族に関心が向けられる。いずれ訪れるであろうその自然な流れに、対応する自信がなかった。
家族の話題を避け続けることに限界を感じた僕は、実在しない父親像を想像で作り上げた。どんな人物であれば不自然でないか。自分や母、家が醸し出す雰囲気、経済状況、過去の発言。それらを総合的に客観視し、「和室用の建具を製造するふすま職人」という架空の人物を捏造した。月に一度、焼肉屋で外食をする。その時に、決まって父は二千円のおこずかいをくれる。ありがちなルーティンをでっちあげ、現実味をもたせた。不安を解消するために、もっとディティールを詰めたかったが、過剰に設定をすると制御不能になる恐れがある。嘘を重ねることで、ほころびが生じないようにとどめたのだ。防御策を練ることで心にゆとりができたが、友人にさえも堂々と真実を明かせない自分の勇気のなさと、精神の脆さに失望した。
仲の良い友人に父はふすま職人だと嘘をつき、その場を取り繕った。すぐに嘘がばれるのではないかと危惧したが、友人の反応はそっけないもので、深掘りされることはなかった。

成人を迎える頃には家族のことをありのまま話せるようになっていたが、古い付き合いの友人には嘘を貫いたままになっていた。というのも、ふすま職人と嘘をついて以来、家族のことに触れられていないのだ。真実を打ち明けるタイミングを完全に逃していた。

しばらくすると、僕の父親について友人から聞いてくるようになった。不自然に受け答える中学時代とは違い、家族のことを平然と話す僕の態度に、もう遠慮は不要だと判断したのだろう。そうなってくると、むしろ友人の方が僕の父親に執着しているように見えた。戸籍謄本の取得を提案され、強引に市役所へ連れて行かされた。最初は乗り気でなかったが、いざ動き出すと父の写真は一枚もないし、そもそも名前すら知らないことに気づく。父に関する情報が、一切ないのだ。積極的に捜索する気にはなれなかったが、戸籍謄本くらいなら、という気持ちがひっそりと芽生えていた。
後日、戸籍謄本を入手。僕は息を押し殺しながら、書類に記された文字をゆっくりと目で追った。
生まれてからずっと地元だと思っていた町は、故郷ではなかった。僕は見知らぬ土地で生まれていたのだ。そして誕生から二十日間の妙な空白期間を経て、両親は離婚。
父の名と出生の真実が明らかになっても、他人事のようになにも感じなかった。それよりも、友人の反応が気になった。居心地が悪くなるような、気まずい空気だけは回避したい。
地元が故郷でなかったこと、生まれた直後の離婚。理想としては、この二つの真実を無神経にからかわれることで砕けた雰囲気に繋げたいが、さすがにそこまで望めない。もし逆の立場だったら、この状況の中で悪乗りできるだろうか。いや、無理だ。
瞬間的に重苦しい沈黙に支配されたが、友人は理想通りのガヤを心地よいテンポで浴びせてきた。それどころか、ファミリーヒストリーとして成立しないとふざけはじめ、父の名前をネットで検索。へらへらしながらゴシップを探る友人を見ていると、お前は神経を根こそぎ引き抜かれたんか、と思ってしまう。デリカシーの欠片もない。
勝手に検索すんな! と声を荒げたが、検索を阻止する僕の手は、指一本で弾き飛ばせるようなゆるい抵抗であった。本心では、友人の反応が嬉しかったのだ。
結局のところ、父の名前を検索しても姓名判断のサイトが羅列されるばかりで、信憑性のある情報は得られなかった。

工場から立ちのぼる白い煙をぼんやりと眺めながら、父の顔を想像した。なぜだか分からないが、棟方志功が浮かんだ。
「というか、ふすま職人って嘘ついとったの、ばれてたん?」
「そんなもん、最初からばれとるわ」
あの苦労は、一体なんだったんだ。

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