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重力が消えた夜

絵に描いたような青春を謳歌している人物を見ると、羨ましくなる。学生時代はなにも感じなかったが、振り返ってみると自分はかなりこじらせた青春を過ごしてきた。
専門学校時代に仲良くなった友人は、ザ・青春の男であった。愛嬌のあるキャラクターで、クラスの中心人物。いつも元気で明るい彼は、みんなからSちゃんと呼ばれ、慕われていた。
モテない、貧乏、だらしない。僕たちは特徴が一致していたが、Sちゃんは自分とは違い、輝いて見えた。同類のネガティブな性質を抱えていても、キャラクターの差で、印象が大きく変わるのだと痛感する。
Sちゃんと一緒に過ごす時間が多くなり、気がついた。彼は人生を思い切り楽しんでいる。モテないのも、貧乏なのも、だらしないのも素直に受け入れ、それさえも楽しんでいるのだ。僕みたいに卑屈ではない。
いつどこで顔を合わせても「腹減った」「彼女が欲しい」と嘆いていたが、その表情は曇ることなくバイタリティーに溢れていた。
金欠でもガンダムのフィギュアに散財する豪快さ。クラスメイトのバイト先へ入り浸り、廃棄予定の食材をねだる。あわよくば女子との交際まで目論む、生と性への執着心。負の要素満載ではあったが、持ち前の明るさとあり余るエネルギーで、軽々と逆境を乗り越えていた。

Sちゃんのアパートに初めて遊びに行った時のこと。トイレの壁沿いに、トイレットペーパーの芯がピラミッド状に積んであった。呪術的な祭壇かと思ったが、違った。
「二年間でトイレットペーパーをどれだけ使うのか調べてる」
Sちゃんはそう言うと、列からはみ出した芯を几帳面に揃えた。最初は変人の暇つぶし程度に捉えていたが、いつしかトイレに入るのが楽しみになっていた。 数を記録すれば済むことだが、無駄にスペースを取って視覚化する行動にロマンを感じる。一年が経過するころには、腰の高さにまで芯が積み上がっていた。

卒業を間近に控えた三月。調査の完了目前で、すべての芯が捨てられた。
僕は芯の集積とともに成長したと言っても過言ではない。芯が積み上がっていくのを眺めるたびに、学校で得た知識や経験が、自分にも着実に蓄積されているのだと、実感した。よく分からない奇妙な共感が生まれ、芯の増加が励みになっていた。気づかぬ間に僕は芯に依存していたのだ。
「芯がまだ二段だったころに、Sちゃんと出会ったな」「五段突破のお祝いで、初めてワインを飲んで酔い潰れたな」「六段の途中でペースが落ちて心配したけど、Sちゃんが帰省していただけだったな」
芯を崩しかけて鬱陶しく思ったこともあるが、僕にとっては感慨にふける時間でもあった。その大切な時間を無情にも奪われたのだ。僕はSちゃんに詰め寄った。なぜこのタイミングで芯を処分したのかと。
「邪魔だったんよ」
肯定せざるを得ない、シンプルな答え。無駄な贅肉が削ぎ落とされた鋭い言葉に、衝撃を受ける。芯に対しての固執は微塵もない。あの情熱は、一体どこへ。
「そんなことより腹減ったわ。メシ食いに行こうや」
彼はそう言うとトイレのドアを閉め、颯爽と玄関へ向かった。精神構造の複雑さに、目眩が起きる。
あまりにも清々しいのでそれ以上は追及しなかったが、重力を失ったおびただしい数の芯が、僕の頭の中でいつまでも浮遊した。結局のところ、芯はどこまで更新を続けたのだろうか。掴みかけていた結末は、Sちゃんの気まぐれによって粉砕された。
“邪魔だったんよ”
そりゃそうだ。

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