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『良い文章を書くには、人間ガーデニングが必要』

noteを始めて3ヶ月が経過したお布団こもりです。

始める前には、人様に文章を見て貰うなんて考えてもいなかったのですが、noteで文章を書くようになってから、その楽しさを発見する事が出来た。

noteを始めて3ヶ月が経過し、文章を日々書いていたり、他の人達のnoteを見るようにもなり、「良い文章」というのを書きたいと強く思うようになってきた。

なので、今日は「良い文章」とは?「良い文章を書く方法」について考えていきたいと思う。

まず私が思う「良い文章」とは、人間らしい文章という結論に辿り着いた。

文章を書いた人の感情が伝わり、取り繕っていない裸の感情が分かる文章が好きだという事が分かってきた。

正の感情も、負の感情もリアルに伝わってくる文章が好きなのである。
書いた当人の目線のままの文章、その時感じた事についてそのまま書かれた文章が、私が思う「良い文章」なのだと感じる。
なので私はエッセイを書き、読むのが好きなのだと気がついた。

次に「良い文章の書く方法」について考えてみた。
先に定義した通り「良い文章」とは、人間らしい文章であるとした。

ではその人間らしい「良い文章」を書くには、どうすれば良いのかを考えてみる。

まず、文章とは言葉の集合体である。
言葉とは無数に存在しており、その組み合わせで文章となる。その組み合わせは無限大になっていく。
その無限大の言葉の組み合わせで、「良い文章」を創り上げていく。

人々に平等に与えられた言葉を駆使して、文章を書いていくのであるが、ここで人間らしさというのが重要になってくる。
ここでいう人間らしさとは、人それぞれの価値観や経験、趣味趣向といった、個人というフィルターを通して、言葉を選んで文章を構成していく事である。

ここで文章を構成している「言葉」という語句から、「良い文章を書く方法」を自分なりに考えてみた。

言葉という語句を分解してみると、言と葉になる。
葉っぱという語句が使われている。

葉っぱの集合体が文章なのである。

とすると、人間らしさという部分は「木の幹」という事になるのではないか。

木の幹から枝が伸びるように、自分の価値観、経験、趣味趣向といった枝が伸びていき、そこに言葉という葉っぱがついていくのである。

つまり、様々な経験や考え方、価値観に触れていき、自分の幹や枝を育てていく事により、良い葉っぱが育っていく。それが「良い文章を書く方法」なのではないだろうか。

タイトルにもある通り、『良い文章を書くには、人間ガーデニングが必要』なのである。

様々な経験といった栄養を入れ、様々な価値観に触れ必要な所だけ、枝葉を剪定するように取り入れ、快晴の日も雨の日も受け入れて、太い自分の幹を育てていく事が、「良い文章」を書くには必要だと私は考える。

noteを始めて3ヶ月が経過し、4ヶ月目に突入したお布団こもりという幹を、これからも栄養バリバリで雨にも風にも負けず育てていこうと思った次第である。

何故こんなにも植物に関するワードが多くなってしまったかと言うと、今日ホームセンターの観葉植物コーナーを眺めながら、考えていたからである。

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