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158 べらぼう


はじめに

再来年に放送される大河ドラマは「べらぼう」というタイトルだということを、出演者を紹介するニュースで知りました。なんと、主役は横浜流星さんということで、大変楽しみです。映画ドラマに大活躍ですが、最近ですと「線は、僕を描く」「春に散る」「君の瞳が問いかけている」などでは、それぞれの役どころを魅力的に演じ分けていて、私もファンの一人です。

そこで今日の教育コラムでは、横浜流星さんが主演として演じる、江戸時代の中期に活躍した蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)を通して、教育について考えてみたいと思います。

蔦屋 重三郎(つたやじゅうざぶろう)

蔦屋重三郎は、今風に言えば出版社の社長として名をはせた人です。当時の言い方では版元(はんもと)と言います。この版元の頂点になった人こそ、蔦屋重三郎というわけです。
江戸時代のメディア王といったところでしょう。若くして、今でいうところの書店を作りました。そこで、才能あふれる作家や絵師を自ら見つけていきます。特に新人の名も無き才能の持ち主を発掘し、プロデュースして売り出していくことにたけていました。自らプロデュースした作品を作家の個性を引き出しながら完成させ、自分の小さな書店で売り出していきました。
当時流行していた洒落本や浮世絵などは飛ぶように売れていきました。新人作家の作品であろうとなかろうと、面白いものは面白いという江戸っ子の気質と相まって、江戸の町で大流行を呼びます。
次第に、蔦井重三郎は一流の版元として巨万の富を築いていくことになります。くしくも、この江戸時代中期、幕府の政治の実権を握っていたのが老中田沼意次でした。かの有名な賄賂政治で有名な人物です。金がものを言う世の中で「べらぼう」という言葉がどのような意味を持つのか、大河ドラマを見る楽しみの一つになりそうです。

言論表現の自由

江戸時代の中期は、先ほども述べたように田沼意次の政治から松平定信の政治へと移行していく時期にもあたります。蔦屋重蔵はこの政治の変化の中で大変なことに直面します。それは、賄賂政治で有名ではありましたが、ある意味田沼意次は、自由な気風を大切にした政治を行っていました。ですからある一面で経済活動も自由で、人々ものびのび暮らしていた側面があります。一方、田沼意次の不正をただす意味合いもあって、松平定信が老中になるとあの有名な寛政の改革が始まります。それまで、にぎやかに遊んでいた空気は引き締まり、娯楽的な営みについても取締りが厳しくなりました。
蔦屋重三郎の書店で売り出されている洒落本などもそうした規制の対象になります。幕府に目を付けられ、摘発され蔦屋重三郎は、財産の半分を没収されるなど大きな苦難に遭遇します。
まさに、表現することの自由や生き方を自由に選択するといった自由を制限する幕府の姿がここに現れているのです。言論や表現の自由をどのように守り、育んでいくのかを蔦屋重三郎の姿を通して学ぶのもこのドラマの見どころかもしれません。

人の個性を見極める

多くの絵師や芸術家に影響を与え、その才能を引き出し、次々とデビューさせ多くの魅力ある作品を世に出すきっかけを与えた蔦屋重三郎は、まさに才能と個性を発見するプロだと言えます。
彼の手により浮世絵の世界に衝撃を与えた作品に「東洲斎写楽」の作品の数々があります。当時絶大な人気を誇っていた葛飾北斎や北川歌麿といった人気絵師の作品が大ヒットしている中において、人物の半身を大胆に描いた役者絵は、それを超えるほどの人気を誇りました。
蔦屋重三郎は、東洲斎写楽を謎の絵師として突然デビューさせたかと思うと高価な画材を惜しみもなく用いて、新たな技法も取り入れた作品を世に送りだすことに成功しました。この歌舞伎役者の半身像を描いた「大首絵」は28図が一挙に出版されました。
個性を見つけ、個性を磨き、世に示すということの手伝いをどのようにすべきなのか、教育者としても注目して学びたい観点です。

べらぼう

「べらぼう」という言葉は、今風に言えば「とんでもない!」といったところでしょうか。普通では考えられないことが起きてしまった時などに使ってもいいのかもしれません。人を罵る(ののしる)ときにも使える言葉ですが、ドラマのタイトルとしては、「想像を超えた」とか「常識を超えた」などと驚きや想定を超えたようす、または、負けない心意気のようなものを表現しているのかもしれません。

いずれにしても、今回の大河ドラマ、どのように描かれるかわかりませんが、どうやら、蔦井重三郎の人生には、今こそ大切にすべき個性や才能に気づき引き出すという大切な観点について学ぶヒントがたくさんありそうです。もう少し先になりますが、また一つ楽しみが増えました。

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