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507 頑張れ‼ 斉藤元彦 兵庫県知事「身を切る改革って何?」

はじめに

兵庫県での告発文章問題では、知事の殿様ぶりが様々なエピソードと共に明らかになってきました。なぜ、斎藤知事は殿様、知事様とよばれるのでしょうか。それは、一般人とは別の扱いを本人自身が強要する姿が見え隠れするからなのかもしれません。今日の教育コラムでは、斎藤元彦兵庫県知事の身を切る改革について少しお話してみたいと思います。

中興の祖

徳川吉宗は江戸幕府の八代将軍であり、中興の祖と呼ばれています。中興の祖とは、ただの統治者ではありません。危機的な当時の幕府の政権機能を回復させた功績がある者をそう呼びます。
江戸の三大改革の中でも成功とその功績が現在も讃えられている人物として徳川吉宗の名前をあげる人は多いように思います。徳川吉宗が享保の改革で行った政策は様々あります。一部を列記すると次にようなものがあげれます。
①上米の制(あげまいのせい)
②吹替え(ふきかえ)の実施、
③定免法(じょうめんほう)の採用
④公事方御定書(くじかたおさだめがき)の制定
⑤堂島米会所(どうじまこめかいしょ)の公認

5つの改革

①上米の制とは
この政策は幕府の財政健全化の政策と言えます。財政難な状況を克服するために無駄に行っていた参勤交代の期間を1年から半年に短縮しました。大名は国元を離れる期間が短くなり江戸での生活費も軽減することができるようになります。そこで軽減できた米を一万石につき百石ほど幕府に納めることにしたのです。しかし、この政策双方に利点はあるのですが、各藩に幕府が米を貰っているような構造があるような仕組みですので、幕府の面汚しともなり長く続きませんでした。

②吹替えの実施
享保の改革より少し前から小判の金含有率によるデフレが発生していました。このデフレは、深刻な経済の停滞を招きます。そして、これを解消させるために行われたのが「吹替え」です。市場の貨幣を回収して鋳潰して、金の含有率を下げて市場へ再び流通させます。これにより小判の流通量が増えます。金を薄めるので小判が多く作れるというわけです。
小判が出回る量が増えるとお金を使う人が増えます。するとインフレが起きて物の値段が上がります。これにより経済が好転していきました。つまりこの政策はリフレ政策と呼ばれる物の価格を安定させ、経済の安定化を促す政策だったというわけです。

③定免法の採用

これは、徴税法です。検見法(けみほう)と定免法(じょうめんほう)がありますが、検見法では毎年米がどの程度収穫できたかを検査して年貢量を決め「定免法」では過去数年間に納めた年貢を基準にして3年間程度は一定の年貢を納めるという制度です。不作や豊作に左右されるのではなく安定して平均的な数値で米を治めさせるため、財源の入りが安定します。
災害レベルの出来事や凶作が生じたときは、かなりきついためそういう時は検見法を行う様な特別な処置もとられました。

④公事方御定書の制定
公事方御定書は大変に有名なものです。吉宗の改革の代表的な物として教科書でも扱います。これは、基本法典です。この法典ができるまでは「触書」で法令が出されていました。
江戸時代の人々に規範意識をもたせたものの一つかもしれません。今でいうところの刑法や民法に当たるかもしれません。
例えば、罪人を裁くというとそれまでは死罪や島送りなどの追放刑でしたが宗門人別改帳からも外されますので、戸籍などもない状態になります。そのため、仕事に就く際の保証人を付けることすらできなくなります。そのため、盗みなどの凶悪な犯罪をして生活するしかなくなってしまうのです。
そうしたことへの対応策として行ったのが更生する機会を与えるような刑罰の導入でした。

⑤堂島米会所の公認

江戸時代当時は、金や銀と違い米が全国共通の通貨のようなものでした。各地の米は天下の台所と呼ばれる大坂に集められました。
大坂の堂島にはお米の取引所「淀屋米市場」が作られました。市場に出回っていた米の約半分が大坂で取引されていたほどです。
幕府公認の先物取引市場として堂島米会所と呼ばれるようになり、重い米俵ではなく米手形と呼ばれる「お米券」を発行することで取引をしやすくしていました。また、ここでは価格の変動への対応もしていました。収穫時期の前後は米の価格が高騰しやすいため、対応が必要になります。つまり貨幣にも等しい米の値段の調整をしていた堂島米会所は江戸時代の経済の中枢だったとも言えます。

吉宗の身を切る改革

民衆からの人気の高かった徳川吉宗ですが、自らも無駄な支出を減らす政策を実行していました。
例えば、食事の回数は1日2回に減らし献立も一汁一菜を徹底したり、将軍の正室や側室が生活していた、大奥という場所についても働いている女性を3分の1近くに減らしました。当時、約4000人の女中が在籍していたということですからすごい数の削減です。逸話がありまして、解雇された女性の多くは美しい方が多く、大奥から離れても生活していけると見込まれたためだと言われています。
そんな吉宗の改革ですが賛否両論あったのも事実です。今までの生活がいいと思う人には悪い改革にもなるのです。しかし、その改革でより多くの人が救われるのであればそれは、自分の生活も改めるなかで理解を求めていくことが重要だと考えた吉宗は身を切る改革を厭わず実行に移したわけです。

斎藤元彦の身を切る改革

何がどのように身を切る改革なのだろうか。自分の給料や退職金のカット、センチュリーからアルファードへの乗り換えなどが身を切る改革なのでしょうか。私はこのような改革で省かれるものは何の改革でもないと考えます。
その証拠に、斎藤知事が任期を全うできない事態になることで失われる選挙関連の税金は、議会の解散が伴えば30億を超えますし、知事の辞職でも18億近くなります。1年の任期に換算すると約4億円が無駄になる計算となります。
こうした選挙にかかる費用は必要な支出だと考えることができますのでさほど意見するつもりはありませんが、本末転倒とは言えます。
最も指摘すべきは、県職員をまるで自分の執事のように使い、罵声を浴びせている行為の方だと思います。エレベーターが来るまで自分で待てばいいですし、ボタンも自分で押せばいいのです。職員をそうした必要のない業務を担当させること自体が無駄なのです。水も、軽食も、自分で購入し自分で準備し、そして豪華な食事も必要ありません。知事だからと言って殿様のように扱えというその姿勢とその実現に必要な気の回し方が必要ないのです。
時間に余裕をもって移動すれば、歩いても平気です。自分で遅刻して、車両の入れない場所に入るように気を使わせて、そして、そんな無駄なことを一生懸命にさせるなら、県職員も減らせばいいでしょうし自分のことは自分でできる知事を選べばいいのです。
知事の世話係を削ることこそが身を切る改革だと思うのですがどうでしょうか。知事が一歩外に出るだけで、エレベーターから自動ドアまで全部人が付き、動きをスムーズにするために職員が仕事を中断し対応に当たるなどといった話を聞くたびに、知事と県民がこれほどまでに差別される世の中に疑問を感じずにはいられません。
給料を削ったが、削った分を上回る献上品を手に入れ、政治資金を集めるパーティーを行い選挙資金をかき集め、そしてアルファードという高級車両を公用車に使い、公務に当たることのどこが身を切る改革なのでしょうか。
そして彼は、莫大な税金を浪費し、県民の信を問う可能性を今もちらつかせています。日本の政治は腐敗していると多くの国民が嘆き、そして選挙に行かなくなっています。政治と金の問題が落ち着いて来たかと思うと地方自治の首長が、権力の乱用で政治の恐ろしさを見せつける、やはりこの国ではまともな政治論議が子どもたちの間でも行えるような社会ができるまでまだまだ時間が掛かりそうです。

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