464 原爆 ー 投下から79年 ー
はじめに
広島への原爆投下から79年が過ぎようとしています。広島では、平和記念式典が午前中から行われています。ライブ映像で配信もされており、平和について考える大切な日をむかえています。
3日後の8月9日は長崎にて同様に平和祈念式典が行われます。今日の教育コラムでは、来年で原爆投下から80年目をむかえる、この人類史上唯一の民衆の頭上に原子力爆弾を投下するという行為がなされたことについて少しお話してみたいと思います。
原爆の歴史
1945年8月6日、それは起こりました。広島の上空から投下された一つの爆弾、それが原爆です。その被害者の数は、確認できるだけでもその年の年末までに14万人の方々の命を奪いました。
そして8月9日、長崎にも投下されました。約7万人の方が命を奪われました。放射線を発するこの爆弾の影響で、ガンなどの病気により後に命を奪われた方々も数多くおられます。
では、このような人類史上最悪の兵器はどのようにして生み出されたのでしょうか。少し、その歴史を搔い摘みながらお話してみたいと思います。
アインシュタインとルーズベルト
相対性理論などで有名なアインシュタイン博士から当時のアメリカの大統領へ1通の手紙が送られました。そこには、ナチス・ドイツが原爆の開発を成し遂げる可能性を危惧した内容が書かれていました。この時点でアインシュタインはこれまでにない大量殺戮を可能にする兵器を誕生させることが可能であることを予見していたのでしょう。
この報告をうけ、アメリカは開発を進めます。1942年から開発は急速に進められ、ナチス・ドイツに対する秘密兵器として用いる予定でした。しかし、彼らが苦心した兵器はナチス・ドイツの降伏によりその兵器の使用の必要性が無くなりました。世界を変える可能性のある原子力爆弾が人間にどの程度の被害や影響を与えるのかを知るチャンスをアメリカは失いました。
様々な状況の中で、日本への投下を決定したアメリカは戦争の早期終結を大義名分に手に入れた神の力のすさまじさを試すことになるのです。
各地にばらまかれた焼夷弾と温存された被爆地
アメリカは、東京や大阪、長岡、甲府などなど大小さまざまな都市を空襲する中で広島はその対象から外されていました。その理由は、実に残酷な理由です。広島は原爆の威力を確かめるために温存されていたのです。まさに実験の対象にされたのです。
その恐怖の所業は、79年前の今日、午前8時15分に決行されました。上空600メートルで爆発した原爆は、広島の巨大な軍事施設破壊する目的という名目で、約35万人の一般市民が生活する街のを一瞬にして猛烈な勢いで破壊しました。爆風、熱線、放射線が襲った恐怖は、現在も原爆ドームの姿とそこの博物館に展示されているごく一部の遺産からですら強く感じ取ることができます。
深刻な被害
原爆の恐怖は、細胞を傷付ける放射線にあります。もちろん強烈なエネルギーによる熱線や爆風による被害も大きいのですが、攻撃を逃れたかのように見えても1週間後には、白血球が作れない状態が生じて免疫機能が低下します。そうした症状は確実に命を蝕んでいくのです。
この行為は、原爆の破壊力を証明し、その後戦争が終わった後も原爆の千倍以上の威力を持つ水爆が開発されました。核保有国も増加の一途をたどり、アメリカだけが所持していた核兵器を多数の国々が所持するようになりました。
そうした歴史の中でいつも先頭に立って核兵器の廃絶を訴えてきた人々がいます。それが、原爆という恐怖を体験してきた広島、長崎の人々でした。憎しみではなく、核による被害を食い止めるための訴えを優先させてきたこうした行動を私たちは、同じ国民として理解する必要があるのです。
平和について考える
NHKが特集を組んでいる番組のリンク先を紹介します。平和を考える大切な機会になるかと思います。広島、長崎、全国、それぞれ地域にフォーカスした番組が視聴できます。
この夏、作文や絵画コンクールなどで平和をテーマに取り組む人におすすめの内容となっています。
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