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「受け入れてもらう」に違和感たっぷり医療的ケア児親のつぶやきnote

こんにちは、ダイバーシティ工房広報ファンドレイズチームのSです。

私は思いがけず医療的ケア児(心臓病で24時間酸素を吸引している)の母親になり、世の中でよく使われる「受け入れる」「受け入れてもらう」という言葉に対し、たっぷりの違和感を持っています。「受け入れる」って上から目線だな~って思います(とは言え、そんな私も日常的に「受け入れる」って使ってしまう)。

医ケア児の娘を保育園に入れるまでの話を別のnoteに書いたので、そちらも
是非読んでみてください。

そのnoteの中でも「受け入れる」という言葉を何度も使っていますが、とても分かりやすく便利な言葉なので使っています。でも実は全く本意ではありません。

なぜかというと、保育園や社会に受け入れてもらう=娘が社会的弱者であると言われているような気がするからです。ちなみにこの「弱者」って言葉も超嫌いです。

支援が必要な人というだけで「弱者」って、意味不明だなって思います。
じゃあ「強者」って何なのさ?って。好きで病気や障がいを持って生まれたわけではないのに、社会からの見方は「弱者、アブノーマル、マイノリティ・・」そんなイメージは今もなお存在しています。ひと昔前よりはマシになったと思いますが、見えない差別や偏見はあると感じています。

いつから人は「受け入れる」「受け入れてもらう」の概念を身に着けるのだろうって考えてみました。私も大人になって、いつのまにかこれらの言葉を日常的に使っているし、なんなら娘が生まれなかったらこの違和感は一生感じることもなかっただろうなと思います。

しかし娘の保育園入園後の子どもたちの世界を垣間見て、その答えを少し教えてもらった気がしています。そのエピソードをご紹介しますね。


いつも夕方に保育園にお迎えにいくと、広い部屋の中で娘は他のお友達とおままごとをしたり、ブロックで遊んだり、楽しそうに過ごしています。
気付かれないように柱の影からそっと数分様子を観察するのが私の日課なのですが、最近思うことがあります。

それは子どもたちの世界には「多様性を認め合い、受け入れる」という概念は必要ないのだということです。○○ちゃんと自分はちがうのだ。そんな考え方をみんな持っていないように感じます。

お互いが着ている服の色や柄のちがいは認識するけれど、人間的なちがいは何も意識していないように思います。意識していたとしても、「それはそういうもの」という風にありのままを見ているように思います。

娘が入園して、初めて保育室でお友だちと過ごした日のこと。
鼻に酸素のチューブを付け、娘の横に酸素ボンベが置いてあるという光景に、他の子どもたちは興味津々でした。

近くにいる私は「この鼻についてるの、ナニ?」「なんでついてるの?」など質問攻めにあい、小さな子供たちに娘のことをどう説明するのがいいのかなと考えるきっかけにもなりました。

4~5歳の子どもたちとなると、質問力もすごくて、「なんていう病気なの?どこの病院いっているの?薬は何回飲んでるの?次はいつ病院いくの?このチューブいつまでつけるの?」と、グイグイ聞いてきました。大人なら遠慮してなかなか聞かないですよね。とても驚きましたが、新入りの娘のことを知ろうとしてくれていることがとても嬉しかったのを覚えています。

そうか、子どもたちの世界には遠慮も線引きもないのだ。ただそこにあるのは知りたいという好奇心だけなのだと。そんな素晴らしい発見のあった保育園初日でした。

医療的ケア児である娘を保育園に入れるまで、本当に大変でした。
酸素チューブに繋がった子を他の子どもたちと同じ部屋に入れるなんて、他の子へのリスクが大きいと自治体からは言われていました。他の子がチューブにつまづいて転んだり、絡まったら危険ではないかと。

しかし保育園の先生方が、娘が保育園で集団生活を送ることの意味や大切さを尊重し、入園を後押ししてくれました。本当にありがたかったです。

実際に入園後に子どもたちの世界を見て、拍子抜けしたのもよく覚えています。「大人ってなんて難しいことばかり考えていたんだろうか」と感じました。他の子がチューブを踏んだら・・、チューブが抜けたら・・、ボンベに触ったら・・そんなリスクばかり気にしていたように思います。

初めて保育室に入った日に、早速チューブを踏んだ子がいました。
先生が「これはひかりちゃんの大切なものだから、踏まないように気をつけようね」というと、「そっか、わかった~」とのこと。
チューブがとれた時には他の子が「ひかちゃんのチューブとれてる!!」と叫んで教えてくれます。
ボンベに触った子がいたときには、私が「ここからさんそってのが出ていて、ひかりちゃんの鼻まで繋がってるんだよ」と話すと「へぇーーーーー!!!!すごーーー!」とのことでした笑。

結局、子どもたちにとっては「その程度のこと」なのです。大人がリスクばかりに目を向けていましたが、子どもたちにとっては大した話ではないのです。

「受け入れる」とか「受け入れてもらう」なんて感覚、まったくないのだなと感じました。

「自分の方ができる・できない、あの子より弱い・強い」という境目がないのです。境目がないのだから、受け入れる側・受け入れてもらう側という「側」も存在しません。

この子たちが成長していく中で、どこかのタイミングで「受け入れる」「受け入れてもらう」という概念を知ることが何となく悲しいなと思ってしまうのですが、色々なお友だちと過ごした日々のことを少しでも覚えていてほしいなと思います。

多様性とか認め合うとか、きれいな言葉が行きかう昨今ですが、そんなことを意識せずとも対等な関係性で向き合う子どもたちの世界を見て、大切なことを教えてもらった気がしています。

みんな子どものままならいいのになぁ~、そしたら世界は平和なはず。なんて思う今日この頃です。


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