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馬鹿な私が頭がいいと言われる理由(後編)

二つ前の記事の続きとなります。頭の使い方を知っていると頭が良いと言われるという話です。前編では考えることが大事、考えていると、どのようの行動すればいいかわかる、ということ書いたつもりです。
学生時代、社会人なり立てまではそれで目立つことが出来ました。ビジネスパーソンとしてそれでは足りなかった。と言う事を後編でお伝えします。

先輩に言われた「考える癖をつけろ」

前職に入社して、新入社員特権がなくなってきたころに、頭がキレる先輩から「考える癖をつけろ」そう言われました。前編の表現もここからきてるのですが、そこで書いた通り考えることは得意だった私。でも壁に当たってるときにこの言葉を言われ、正直「何言ってるんだろう、この人」って思っていました。よくよく話を聞いて、気づいたことは”どの役割で考えるか”と言う事でした。
 私は自分からの視点、いわゆる主観でしか物事を考えていなかったのです。仕事と言うのは一人でするものでなく、社会全体で成り立っているものです。これは会社員だからというものではなく、私みたいなフリーで働いている人間も一人では仕事は出来ない、私がいくら何をしてもそれに価値を見出してくれる人がいてはじめて仕事になると言う事です。その考え方を持っているか否かで仕事の仕方は大きく変わると思います。これが私が言う頭の使い方につながっています。

自分の持つ”役割”ごとに考える

社会の中で生きていると人は色々な役割を持っています。例えば当時私が持っていた役割はと言うと…

①これまで書いてきたような経験を持つ22歳の自分
②社会人としての2年目の自分
③人事としての自分
④新卒採用の面接官としての自分
⑤夫としての自分(離婚前なので)
⑥父親としての自分
⑦子供としての自分

など、まだ社会人として始めた当初の自分でも7個の役割を持っていることがわかります。その頃の私は考える事をしていたのですが①の役割からしか考えていなかったのです。そうすると何が起きるのか、、、。
自分本位な考えしかできないと共に自分に何が求められているかがわからない状態だったと思います。だから、間違った方向に物事を進めてしまう。
 例えば、前編でトマトを食べて褒められた私ですが、私が出来なかった仕事ができるようになっても褒められることなんてないと言う事です。何故か。社会人として出来て当たり前と言われがちな報連相、これが出来るようになったところで褒められない。それは出来て当たり前とされるからです。報連相については私自身、前職で研修を作っていますが、それほど難しいスキルだと思います。でも、それが出来ないと話にならない。それが社会人です。そのことを知らずに自分の視点だけで物事を考えると残念な人になってしまうのです。

自分の役割とアイデンティティーのバランス

私はアイデンティティーという言葉が好きです。これは在りたい自分と言っていいと思います。ありたい自分。
 私がこの人好きだなと思うビジネスパーソンには共通点があります。それはバランス力がある人です。私自身もすごく気にしているし、これがあるから恐れながら頭がいいと言ってもらえると思っています。
 個人では休みの日に友達との待ち合わせに遅れるけど、部下にMtgに遅れた時に叱るのか。究極的なことを言えば、自分としては社員は大事にしたい、たとえ少し仕事が難しい社員でもどうにかしてあげたい。でも人事や上司としては会社の事を考えないといけません。本当にその社員をここに置いておくのか、その社員にとってそれが幸せなのか。そんなことを考えながら仕事って進んでいくのです。
そんなときに何がベストなのか、自分に求められている事と自分が大事にしたい事、バランスをとる必要があると私は思っています。社会の中では色々な役割により、そのアイデンティティーを出せない事も多々あります。
やりたくない仕事、もしくはしたくない選択をして仕事をすることになります。そうすると自己肯定感、自己効力感が下がるし、これであれば誰がやっても同じ、場合によってはAIでも同じになってしまうと思います。
 いつものごとく脱線してしまいましたが人はやっぱり人間味を発揮してこそだと思うのです。私は自分の役割を総合して仕事の判断のバランスをとっています。そうすると機械的な仕事にならないし、少し抜けてても血の通った合理的な判断として周りの人に評価をしてもらえ、頭がいいと言ってもらえる。これが私の頭がいいと言ってもらえるからくりです。
 自分の持つ役割とアイデンティティーを理解して物事を考える事、それが大切なのかなと気づかせてくれた諸先輩方に感謝しつつ、少しでも皆さんに共有出来たら幸いです。

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