Daisuke Yoshida

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Daisuke Yoshida

Omamori というオンラインカウンセリングのサービスを作っています。塾の先生もしています。日々の雑感や考えたことを書き綴ります。

マガジン

  • 自作エッセイ

  • Book review

    最近読んだ文献や書籍について、私見も交えてレビューします。

最近の記事

【自作エッセイ】オリオン

秋の日はつるべ落としという諺があるように、秋は季節の移ろいの早さを最も強く感じる季節だと思う。つい昨日まで半袖でも暑い日が続いていたかと思えば、ある日を境に街を歩く人々が示し合わせたかのように長袖の服を着始め、それでも寒くなるから慌てて上着をクリーニングに出す。衣替えという文化は四季の移ろいがゆっくりだったころの話で、気候変動が進んで夏と冬が極端になったように感じられる現在においては、のんびりと冬物を用意しようものなら後で寒い思いをして後悔するのがおちである。 そんな現代に

    • 【自作エッセイ】音のない世界

      雨というものは気まぐれなものだ。私は街を愛車のシクロクロスに乗ってサイクリングするのが趣味なのだが、その日も風を感じながら京都御所を横目に丸太町通を走っていた。すると空色鼠(そらいろねず)の薄曇りだった空が浅葱鼠(あさぎねず)の曇天になり、数分としないうちに滝のような雨に降られるのだ。雨合羽など持ち合わせていなかった私はたまらず自転車を駐輪場に停め、駐輪場の真上にあるファミレスに駆け込んだ。 中に入ると暖色の照明が煌々とついている。昼間の時間帯なら窓から陽の光が差し込むので

      • 真珠湾攻撃から80年。今こそ知るべき「昭和16年夏の敗戦」

        80年前の今日、日本は大きな戦果に沸き立っていた。 1941年12月8日、赤城を旗艦とする帝国海軍連合艦隊は約350機の航空機で真珠湾に停泊していた米国艦隊を航空爆撃した。後に真珠湾攻撃と呼ばれるこの奇襲作戦によって、日本を焼け野原にした太平洋戦争の火ぶたは切って落とされた。(注 戦時中の日本国政府は「大東亜戦争」という呼称で呼んでいたが、ここでは現在の日本史の呼称に合わせ「太平洋戦争」とする)。結果的にはこの作戦は一定の成果を収めたとされ、軍部やマスコミによる大々的な報道

        • 【自作エッセイ】薄明

          秋も終わりかけてもう初冬に入り始めたと言っても差し支えないだろうか。午前7時になってもまだ日は昇り切らず、空はほんのり白み始めている。薄明というには明るすぎるかもしれないが、それでも私の数少ない語彙の中ではやはり薄明という言葉が一番しっくりくるし、何よりその言葉の洒落た響きに少し甘美さを感じる。 今日は雲ひとつない空だが、私はやはり澄み切った快晴が好きだ。時々刻々と変遷する空の色は、地球に生まれて最もよかったとさえ感じる程にいつだって美しい。それはまるで1人の人間の人生を見

        【自作エッセイ】オリオン

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        • 自作エッセイ
          4本
        • Book review
          1本

        記事

          スーパーでモンスタークレーマーの対応に首を突っ込んだ話

          バナナを買いに行っただけなのに僕は夜に銭湯に行くのが好きで、その日も銭湯でひとっ風呂浴びて、夜風にあたりながらチャリで帰路についていた。しばらくチャリを漕いで冷えた空気に心地よさを感じていたら、唐突にバナナを切らしていたことを思い出したので、家の近くのスーパーに寄った。これが災難の始まり。 スーパーに入ってバナナを2房と軽いお菓子(今思うと、このお菓子を選ぶ時間がいらなかったんだよなあ笑)をかごに入れてレジに行こうとしたんよな。 そしたら、青いシャツに黄色のカーディガンを着

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          スーパーでモンスタークレーマーの対応に首を突っ込んだ話

          3月は旅立ちと別れの季節

          3月は旅立ちと別れの季節だってみんな知っているはずなのに、何回経験してもその寂しさが堪えるのはなぜだろうか。 今週にかけて多くの学校では卒業式が行われた。私の在籍する大学でも同様に卒業式が無事挙行され、研究室での生活をともにした仲間たちが新しいステージへと巣立っていった。仲間たちが研究室を巣立ったまさにその日には慎ましく咲き初めたばかりだったはずの桜が、数日が経ってみればもう七分咲きになっているのだから、時の移ろいの早さには辟易とするばかりである。皮肉なことに、仲間がいなく

          3月は旅立ちと別れの季節

          東日本大震災から10年。東京では何があったか。

          2011年3月11日 14時46分、それは多くの人の人生を変えてしまった時刻ともいえよう。多くの人の生活を一変させ、私たち日本人の心に深く刻まれた「東日本大震災」が発災してから10年。私自身も東京で地震を経験したが、そのときの記憶は今も鮮明に覚えている。10年の節目のタイミングにあたって、震源から遠く離れた東京で何があったのか、改めて記録を残したい。 東日本大震災とは?東日本大震災の引き金となったのは、宮城県三陸沖(牡鹿半島の東南東130km)で発生した地震であった。地震の

          東日本大震災から10年。東京では何があったか。

          国立大学2次試験、受験生に幸あれ

          今日は2/25(少し日付が変わって2/26)である。こんな日付を改めて言われてもほとんどの方は「そうですか」の一言で終わるだろうが、今日という日が人生1番の大勝負になる人たちがたくさんいる。 それは、大学受験を受ける高校3年生や浪人生の若者たちである。 国立大学の一般入試は全て統一されており、2/25, 26の2日間で行われるのである(医学部の面接試験が2/27に行われる場合もあるので、一部細かい例外は存在するが)。 京都大学でももちろん入学試験は行われており、制服をきた

          国立大学2次試験、受験生に幸あれ