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【自作エッセイ】オリオン

秋の日はつるべ落としという諺があるように、秋は季節の移ろいの早さを最も強く感じる季節だと思う。つい昨日まで半袖でも暑い日が続いていたかと思えば、ある日を境に街を歩く人々が示し合わせたかのように長袖の服を着始め、それでも寒くなるから慌てて上着をクリーニングに出す。衣替えという文化は四季の移ろいがゆっくりだったころの話で、気候変動が進んで夏と冬が極端になったように感じられる現在においては、のんびりと冬物を用意しようものなら後で寒い思いをして後悔するのがおちである。

そんな現代にあっても、夜空を埋め尽くす満天の星空だけは変わらず季節の移り変わりを教えてくれる。そして、冬の星座でもっとも代表的な星座と言えばやはりオリオン座であろう。ギリシャ神話に出てくる巨人の狩人・オリオンに由来するこの星座は、ふたつの台形を短い辺どうしでくっつけたような形が特徴的である。また、オリオン座には左上にベテルギウス、右下にリゲルというふたつの一等星があり、このうちベテルギウスは、おおいぬ座の一等星であるシリウス、こいぬ座の一等星であるプロキオンと合わせて冬の大三角を形成する。これらの星座の名前を覚えられずに苦戦した思い出がある方も多いだろうか。もっとも、学校で勉強に苦しんだ思い出も大人となった今となっては懐かしいものだ。

そんなオリオン座であるが、受験生にとってはむしろ焦燥感を惹起させる星座かもしれない。というのも、オリオン座が南の空に瞬くということは冬が近づいていることの象徴であり、すなわち受験本番が近づいていることを意味するからである。吐く息が少しずつ白くなる、自分の服が少しずつ厚着になる、部屋の空調がいつの間にか暖房になる。こんな当たり前の営みさえも受験生にとっては、自分の進路が決まる瞬間が刻一刻と近づいていることを残酷なまでに突きつけてくるナイフなのだ。オリオン座を何もない草原での転びながら眺めることができれば、どれほど美しいものに感じられようか。

そんな緊張感に満ちあふれる受験生だったころが私にもあったわけだが、そんな時期を支えてくれるのは一番身近な家族である。私は小学生のころに中学受験をしており、電車とバスを乗り継いで学習塾に通っていた。小学生であっても授業は夜9時くらいまであったので、帰宅するころには10時を回っていた気がする。それなりに遅い時間であったが、最寄りのバス停に必ず母が迎えに来てくれて、帰り道で塾の授業やクラスメイトについて話しながら帰途につくのが子どもながら特別な時間だったのだ。そんな時間を彩ってくれた星座こそオリオン座であり、冬の大三角であった。帰途につく道中でふと見上げた快晴の夜空には、オリオン座と冬の大三角が整然と瞬いている。そんな星座をみて「あの星の名前知ってる?」と母にいたずらっぽく尋ねたことが懐かしい。気の張りつめた時期に静かに存在する平穏な時間。こんな時間がいつまでも続けばいいと思った。

ただ、時は流れる。勝負の時は訪れ、私に突きつけられた結果は残酷なものであった。合格発表の掲示板の横で嗚咽する母と、呆然と結果を眺める私。十二歳のまだ精神的に未熟だった私が、突きつけられた結果を解釈して次に進むまでには思った以上に時間がかかったし、その過程で家族にたくさん迷惑をかけてしまったような気がする。いつしか幾多の星の瞬きは都会の雑踏にかき消され、星空の中にオリオン座を探すことも少なくなった。

あのときから何度オリオン座は南の空に昇っただろうか。巡り巡って今の私は、あのときの自分と同じ挑戦をする子どもたちを教え導く仕事をしている。静謐な帰路を自転車で進むとき、ふと目に映るオリオン座の輝きに思わず足を止める。スマホを向けて撮影を試みるが、それでも肉眼で感じる美しさには敵わない。受験の辛酸の象徴であったオリオン座は、子どもたちの新たな船出が近づいていることを知らせる祝砲になった。

遥か昔の先人たちが広い海を進むとき、星座を使って方角や時間を判断したそうだ。太古の昔から満天の星空は、ちっぽけなわたしたちに進む先を教えてくれる。人間とは大変に面白いもので、満天の空に瞬く無数の点を見て世界の成り立ちに思いを馳せ、星座という形で意味と役割を与え、悠久の時を経て今に至るまで語り継いできたのだ。こうした人間の想像力が持つ無限の可能性を思えば、きっと目の前の子どもたちも想像力を働かせて次の社会を作り上げていくのだろう。どんな現実が突きつけられるかはわからないが、それでも君の未来は明るいのだと叫びたい自分がいる。明るい未来を切り開く力は、もうすでに君の中にあるのだから。

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