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3月は旅立ちと別れの季節

3月は旅立ちと別れの季節だってみんな知っているはずなのに、何回経験してもその寂しさが堪えるのはなぜだろうか。

今週にかけて多くの学校では卒業式が行われた。私の在籍する大学でも同様に卒業式が無事挙行され、研究室での生活をともにした仲間たちが新しいステージへと巣立っていった。仲間たちが研究室を巣立ったまさにその日には慎ましく咲き初めたばかりだったはずの桜が、数日が経ってみればもう七分咲きになっているのだから、時の移ろいの早さには辟易とするばかりである。皮肉なことに、仲間がいなくなった研究室の日常にも早速慣れてしまった自分がいるのだから、人間の適応力もまた早いものだ。


今年に関しては仲の良かった同僚が卒業したこともあり、特に印象深いものがある。ここでは仮にM君としておこう。

M君とはよく遊びに行く仲であり、あまり他人を誘って遊ぶことがない私をご飯に誘ってくれた数少ない友人だ。性格は根明なやつで、初見の印象はいわゆる「ウェイ」ってやつだ。陽気なことを言っていじられ役を率先して買って出る愛されキャラのクラスメイトは、どのクラスでも存在感があっただろう。まさにそのポジションに当たるのがM君である。カラオケに行けば森山直太朗の「夏の終わり」を全力でモノマネしながら歌い、研究室で作業をしていると突然ヒゲダンの「ビンテージ」のサビを歌い出す。側からみていると極めて奇妙な光景だが、「面白い」ってことで成立してしまうのだ。


そんな彼に対する印象が変わったきっかけが、就職活動の話をしたときだ。私と同じ生命系の研究室に所属している彼が選択した進路は、研究とは縁もゆかりもない金融系の営業職だ。それ自体はさほど珍しいことではないが、私がそれ以上に驚いたのはその理由だった。

「俺、人のことを助ける仕事がしたいんですよね。人から感謝されて、ヒーローになれる仕事。営業職ってたくさんの人と関わる仕事だから、自分の仕事で相手を助けることだってできると思ったんです。」

そう思ったきっかけは研究室での活動にあったという。基礎研究の現場では孤独と向き合って黙々と作業を重ねないといけないことが多い。何より、そうして積み重ねた成果は他人に感謝される性質のものではない。すなわち、研究室は先述のような彼の理想とは対局にある現場だったのだ。こうしたギャップに研究を通して気づき、やりたいことを明確にしていったのだ。

要約して書いているのでもちろんもっと深い背景があるのを省略しているが、彼の話を聞くにつれて、「進路について熟慮を重ねている人」ということがよくわかった。シンプルに「この人すげーな」って思ったのは言うまでもない。就職しても明確なビジョンがあるから、きっとこういう人は成果をちゃんと出せるんだろう。いや、彼のような人が成果を出せないような世の中では私も困るのだ。


そんな彼から指摘されたことで印象的なのが「頭のよさに頼って考えすぎないで、考えたことを行動に移すのが大事っすよ」って言葉だった。心の底までぶっ刺さった。よく他人を観察してたよな。薄々自分で気づいていることをはっきりと言語化されたときの納得感って強烈だけど、大人になって一番納得した言葉だった気がする。


もうすぐ旅立ちと別れの3月は終わり、新しい芽吹きが始まる4月になる。
新天地に赴く人はもちろん、そうでない人も含めて、誰もが気持ちを新たにアクセルを踏む季節だ。新天地に赴くことがひとつの選択であるように、今の場所で踏ん張り続けることもまた、同じように尊い選択であろう。「負けないように精一杯生きないとなあ」なんて言葉は月並みだけど、でもそれが一番しっくりくる。巣立ちを迎えた若人を鼓舞するかのように、桜の花はもうじき満開だ。

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