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おばあちゃんの家で発見した色とりどりの布が考えさせてくれた『ファッションとは何か』

ファッション

私の祖母は自分で着たい服を作ってしまうくらいファッションが好きで、そして個性的な服装が好きな人である。最近祖母が老人ホームに入所したため母が祖母の家を掃除していると、祖母が洋服を作ろうと集めていたたくさんの布が出てきた。いずれも個性的な柄であったり、鮮やかな配色が施されているものだ。若い時はこのような個性的な色や柄を身に着けることが理解できなかった。

10代の頃の私は、ベーシックな『当たり障りのない』、一言でいえば『大人しい』『いい子ちゃん』のファッション、さらに悪く言えば『地味な』ファッションをしていた。最もひどいときは、少しでも彩度のある服は目立ちそうで怖いという理由で、全身黒色の服を選んできていた時もある。キラキラな10代をなぜこんな風になるべく目立たないように、地味に過ごしてきたのか。昔は自分はファッションに興味がないからと思いこんでいたが、今になって思うと、単純に『自信がなかった』のだろうと思う。

周囲の友達がファッションへ興味を持つ10代の初め頃。ファッションに全く興味のない兄弟たちの間で育った私は、どこかでファッションに興味を持ちつつも、兄弟の中で一人だけ服へこだわりを見せることがどことなく恥ずかしかった。『興味を持っている』こと自体が恥ずかしく、ファッション雑誌を見るのですら何となく恥ずかしかったのである。10代後半に近づくにつれ、「兄弟と違う興味を持っていたっていいじゃないか」と自分の気持ちを周囲に示すようになってきて、ようやくファッション雑誌を見る恥ずかしさから解放されたが、10代前半からファッションの研究を重ねてきた友達と比べると私は全くの素人。どんな服装をしたらよいのかわからず、とりあえず『当たり障りのない』服を着ることとなった。色は、黒、ベージュ、白・・色があっても薄ピンク、水色など。シャツやスカートなどはできる限りベーシックな形で、装飾がないもの。髪も染めても少し明るいくらい。こんな風に書くと、『シンプルなファッションでもオシャレに着こなしている人がいるではないか。』『シンプルこそがファッションへのこだわりという人もいるぞ』『地味=オシャレではないというわけではないぞ』と思う方もいるだろうし、まったくその通りである。ただ私の場合は、ファッションのためというわけではなく、『とにかく目立たず、どこに行っても当たり障りのない私』を目指すためだった。

20代後半あたりから、何故か『自分の好みや考えがみんなと一緒』『当たり障りのない自分』というのが気になってきた。『個性のない自分』が逆に嫌になってきたのである。その頃は仕事にも慣れてきて少しずつ自分への自信が湧き始めてきた時である。その頃からである。赤い靴を履いたり、ビビッドな色のスカートを履いたりしたのは。今まで隠していた『自分は鮮やかなものが好き』という思いが顔を覗かしてきたのである。そして30代に入った今。今まではさりげない小ぶりなアクセサリーしか身に着けなかったが、その頃から大ぶりで個性的なアクセサリーを身に着けるようになった。シンプルな服の日でも、せめてアクセサリーはちょっと一癖あるようなものをつけたくなった。そして髪にはグラデーションカラーをかけたり、メイクも変わった色をさりげなく取り入れてみたり、ヘアアクセサリーをちょっと個性的にしてみたり。社会人なので派手なことはできないが、ちょっとでも『自分の癖』を身につけてみたくなったのである。この心境の変化は、よくよく考えれば、『自分の個性』というものへの自信が芽生え、さらにそれを表現したいという思いが年々強まっているからなのではないかと思う。

若い時は人とは違うものを身に着けることが恥ずかしかった私は、祖母のファッションがあまり理解できなかった。しかし今、祖母の家から見つかったたくさんの色とりどりの布を見て思ったことがある。私のような若造に比べると祖母は人生経験が豊富だ。人は人生の経験を積み重ねると、自分に自信が湧きそれをファッションとして表現したくなるということもあるのではないだろうか。それが祖母の家でみつけた色とりどりの布へとつながっているのではないかと思った。つまりファッションは単に個性の表現ではなく、人生の豊かさの表現にもつながるのではないかと思う。私も祖母のように、『個性的な』ファッションを着たくなるような人生を歩みたいと思った。

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