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もっさり女子が化粧品をつくる仕事に就いたワケ

私は化粧品会社で、商品企画の仕事をしている。仕事内容は、トレンド解析などのマーケティングのような仕事から、商品の企画、商品開発のスケジュール管理やタスク管理などのマネジメント業務、商品の特徴を考えて広報活動につなげるなど多岐にわたる。商品を考えつくり世に送り出すまでが、私の仕事だ。化粧品会社に勤めていると、さぞオシャレなきらきら女子なんだろうとイメージをもたれがちだ。しかし、全くといってそんなことはない。最近でこそ、少し身なりはマシになったが、働き始めの頃はなんで化粧品会社に就職できたの??と言われるような見た目だった。そんな私が、化粧品会社で働くことをどうして選んだのか?。実はどちらかというと何か強い意志を持って『この仕事を選んだ』というカッコいい感じではなく、気づいたら『この仕事を選んでいた』という感じだ。

子供の頃の『好きだったこと』と『漠然とした将来像』

小さい頃から絵を描くのが好きで、学校の図画工作、美術の時間は自分にとって一番好きな時間だった。祖母の家に遊びに行った際には、絵を趣味にしていた祖母の隣に座り、いつも果物やお花などの静物画などをよく描いていた。そんなこともあり、将来の夢は画家かなぁと小学生の頃は漠然と思っていた。中学生ごろまでは、自分は絵がうまいほうだと思っていたし、当たり前のように美大に行って、そんな道を歩んでいくんだろうなと思っていた。しかし、高校生になり隣の県の高校に通うようになった時に現実を知る。その高校は私立だったこともあり色んな県から通っている子が多かったことから、一気に私の周りの世界は拡大し多様化した。今まで出会ったことのない色んな才能にあふれいている子たちに出会ったのだ。そこで私よりも一段も二段もレベル違いに絵がうまく、美術的センスにあふれている人たちがたくさんいることを知った。その時に思ったのはまさしく『わたしは井の中の蛙だった』だ。

『自信の喪失』からの『切り替え』

今まで自分が得意だと思っていたことが大したことないという衝撃。そして『自分の取柄ってなにもないのでは??』という自信の喪失。この時、この逆境を乗り越えて足りない才能を少しでも磨いていくという道もあったかもしれない。しかし、私がとった行動は、『じゃあ別の得意なことをつくろう』だ。人によったらこれを逃げという人もいるだろう。けど、その時の私にとってはこれが前向きな決断であり精一杯のベストな決断だと思っていた。
小学校、中学校と美術以外に好きな授業があった。それは理科の授業だ。特に生物が好きで、植物や生物についての実験が好きだったし、さらに遺伝学についても興味があった。そしてその頃、バイオテクノロジーが少し流行りだしていたというのもあって、じゃあ大学では生物の勉強をしてそれを極めよう、そして将来は企業で研究者になろうとなんとなく思った。

将来の目標の先延ばし

そんなふんわりとした動機の中、入学した大学の授業は新鮮で面白かった。周りの友人たちも大学院にあがるというので、私も何も考えずに『まぁ学生生活も延びるし、企業の研究職に就くなら大学院に行ったほうがいいよなぁ』くらいのつもりでいた。
4回生から研究室への配属となり、与えられたテーマについて自分で実験計画を組み立てては、実験して結果をまとめていく、、それを土日も関係なく毎日コツコツとしていく。研究室の仲間とご飯を食べに行ったり和気あいあいしながら一日中研究室に閉じこもる。そんな生活も楽しくはあった。
ただ、当初のふんわりした目標であった『企業の研究職』に就職して、これを一生していく、と将来を想像したときにこれは果たして自分がしたかったことなんだろうかと疑問をもった。実験というのは地道にコツコツしていくものだが、一つ発見できてもそれは一個の事象のうちのほんの一部に過ぎない。世間を騒がせる大きな発見などは、小さな発見をコツコツ集めてやっと大きな発見となる。私は飽き症なところがあり、さらに短気なので、小さな発見が大きな発見に到達するまで待てない。これを一生続けていくことが私にはできるだろうかと悩み始めた。ただ、それを考え始めたのは4回生の後期のこと。就職活動を始めて研究以外の別の道を模索するには遅すぎた。そこでこの自分の中の問題を、とりあえず就職活動が始まる大学院1年生の秋まで先延ばしにして、大学を卒業、そして大学院に進むことにした。

まさかの発見

相変わらず大学院での研究室生活は楽しかったし、研究内容自体は好きだった。だがついに問題の就職活動が始まった。就職活動を開始したとき、先送りにしていた問題が私にどんと乗っかかってきた。自分が何を将来したいのか、本当に研究職につきたいのかという問題だ。ただ、『大学院まで卒業したのだから研究職に就く』という固定概念が私にまとわりつき、やはり研究職という選択肢から離れることができなかった。そんなふんわりとした気持ちで始めた就職活動。なかなか内定がもらえるはずもない。周りの友人たちが次々と内定が決まっていく中、私は就職先がなかなか決まらず焦っていた。ところかまわず、次から次へとエントリーシートを送ってみると、美容にほど遠いもっさり女子の私が何故か化粧品会社では最終面接に行くことが何回かあった。母にそのことを伝えると、『あなたは小さい頃から絵が好きで、色の組み合わせを考えたりするの好きそうだから、デザイン感覚が必要そうな化粧品会社って意外とあってるんじゃない?』と言われたのだ。その時、昔自分が好きだったこと、そして今していることが初めて少しつながった。しかも、6年間の大学・大学院生活が無駄にならない化粧品の研究職ならぴったりなのでは?と短絡的に考え、その流れで化粧品会社の研究職をいくつか受けて無事に内定をもらうことができた。

新しい自分の一面の発見と喪失感

やっとの思いで就職できたその会社では、美容に疎かった私はまるで漫画『人は見た目が100パーセント』に出てくる主人公のように、メイクやスキンケアさらにはファッションなどを含む美容のことをインターネットで調べたり、雑誌を見たりして勉強した。私ももっさりとはいえ一応女子なので、それなりに基本的なことは知ってはいたが、こんなにも奥が深い分野なんだなというのは新たな発見だった。ちょっと前に流行ったことがすでにそれは時代遅れになっていたり、この前まで常識だったことが非常識になったり、勉強しても勉強してもどんどん新しく情報がアップデートされていく。。もともと飽き症だった私は、実はこの性格は裏を返せば新しいもの好きということなんだなと新たな自分の一面を発見し、意外とこの業界は向いているのかなと思ったりした。
いろいろ調べていると『この商品がよい!』といった情報が出てくる。しかし、裏面の成分名だけ見てみるとすごい成分が入っていたりすることはなく、、『なぜ自分の携わった製品があまり売れず、ほぼ似ているものが売れていたりするのだろう』ともんもんとすることが多かった。いくら研究し頑張って製品を作っても、売れない。私はペーペーだったので、大したものは作っていなかったが、自分の先輩たちが作ってきたすごい製品であってもそれらが世間に伝わらず、廃盤を迎えていく。。研究者がすごいことを成し遂げたなと思ったとしても一般消費者にとってはマニアックなことだし、それは伝わり切れることもなく誰も見向きもしないのだ。いくら頑張ってもこんな結果になるんだと、なんとなくぼやっとした喪失感ばかりあった。そんなこんなでこの喪失感を解決できる方法を見つけることができず私はこの研究職を3年で辞めてしまった。

断捨離からの新しい発見

大学、大学院で6年間学んだ末につかみ取った研究職。さらに加えて3年間の研究職での仕事の経験。このほぼ10年に近い研究の経験を捨ててしまうのは正直、もったいないとも思ったし、約10年間をなんか無駄にしてしまった感があったが、それよりも今後も続けたい仕事を探すことになぜかあっさりと心が向いてしまった。あれだけ、大学・大学院での経験を活かしたいと研究職にこだわっていたのに。ものすごく執着するかと思えば、たまにあっさりと捨ててしまう私は変わった性格だなぁと思ってしまう。ただ、それだけその時に感じた喪失感が大きかったのだな今になって思う。
仕事を辞めるにあたり、転職サイトで仕事を探していると、『商品企画職』という職を見つけた。正直その時の私はこの仕事が何をするのか具体的にはわからなかったが、研究職の知識も多少活かせるのでは?とまたしても漠然とした動機で応募し、偶然にも採用された。
ふんわりとした流れで商品企画職に就いた私は意外にもこの仕事が好きになっていった。商品企画職の仕事では、研究から上がってきた新しい製剤や研究結果をどのようにしたら今のトレンドにあった製品にできるのか、そしてそれをどのように味付けしたら魅力的に伝わるのかということをしている。料理でいったら、いい食材をどのように『味付け』するのかといった感じだ。シンプルな味付けがいいのか、はたまた何かと掛け合わせたほうが良いのか。それらを考えながら、市場に求められている料理を作っていく。つまり研究成果に『味付け』をしてより魅力的な製品に仕上げ、さらにそれが一番輝くタイミングで世に発表していく。研究職時代に感じた一般消費者に伝わらないというもどかしい思いをこの仕事で立ち向かっている気がする。また、この『味付け』にはデザインだったり、言葉だったり情緒的な感覚が必要で、ある意味昔好きだった美術的な感覚も必要な気がする。流れでこの仕事にたどり着いたが、意外と自分が好きなこと、したかったことが今の仕事ではできている気がする。約10年間に近い研究の経験を捨ててしまったが、すべてを捨てたわけではない。つまり、単なる廃棄ではなく、断捨離なのかなと今では思う。もったいないなと思ってなかなか捨てきれなかった研究職。けれど、研究職という『肩書』を思い切って断捨離することで、『経験』という大切なものを残しながら今の職をつかむことができたと思っている。

もっさりした私が今の仕事についたわけ

大学、大学院の6年間の勉強をせずに、今の仕事に直結するのであれば、経済学部などに行ってマーケティングを学んだり、デザインを学んだりするほうがあっていたかと思う。けれど、6年間の勉強があったからこそ、研究職という経験にもつながったし、3年間の研究職があったからこそ、その時の知識を今の仕事に活かせている。流れの向くままこの仕事を選ぶことになったなと思っていて、駄目だなぁといつも自分のことを思っていた。しかし、この文章を書いていて自分の人生を振り返ると、その時その時で自分の中では必死にもがいていてそれなりに頑張っていたのかなと。確かにもっと確固たる意志があったからこそ『この仕事を選んだ』と言えればカッコいいし、もっと自分でも満足のいく人生になっていたかもしれない。しかし、小さい選択をその都度していき、その小さな選択の連続の結果で今『この仕事を選んだ』んだともいえると思う。化粧品会社に勤めている人は、きちんと身なりを整えていて、美容に興味があって、どうしても美容にかかわりたいという強い思いを持った人という印象があった。けれど、もっさりした私みたいに、こんな紆余曲折を経て化粧品会社に勤めて、化粧品を作っている人もいるのだ。そしてそういう人が一人くらいいてもいんじゃないかとも思っている。

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