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私たち夫婦関係のゆく先は・・・。「note」を書いて見えてきたこの先。

前回、前々回と、夫とのことを書いてきた。

夫との喧嘩のことを赤裸々と綴るのは、全く抵抗がなかったわけではない。

いままでの内容と比べると、まるで夫のことを見下げるように表現するのはどうかと思ったし、何より自分の未熟さをさらけ出すようなものだ。

これで、今まで記事を読みに来てくださっていたフォロワーさんの中には、ひいてしまって、今までの「縁」がなくなってしまうことも考えられるかなと、一瞬、脳裏をよぎった。

だけども、「note」は自分のための「note」だ。

私が書きたいことを書いて、つながる「縁」をだいじにしていけばよいと、初心を思い出して書くことにしたのは、夫との喧嘩のなかにも「気付き」があったからだ。


日常のなかの「気付き」を書いて、自分と向き合おうというのが、「note」を始めたきっかけなので、揺るぎないその思いに沿って書いて残しておこうと書き記した。


そもそも夫が我慢足らずに息子に、予定より早い段階で「(強要はしないけど、)会社を辞めて農家を継ぐなら継いでくれ」と懇願したのは、よほど腰の状態が悪いのだろう。


夫にいままでと同じように働くことを期待するのは、筋違いだと気付いた。


じゃ、私と息子があなたの分まで動けばいいんやな。と、私は夫に言った。


でも・・・。


でも・・・。


もう、私もそんなに頑張らなくていいんや。


いや、息子が仕事のパートナーを見つけてくるまでは、「支え」となって、できる限りもう少し突っ走る。

このまま・・・。

夫は夫で、できることを見つけて、まだまだ仕事を参加してくれているけど、今までのパフォーマンスは期待できないから、無理はしないけど(☚ココ大事!)、このまま夫の分もカバーできるように、もう少し頑張る。


この面積じゃ、息子ひとりじゃ無理だし。


だけど、ふと向こうに、見えた気がした。

まぼろしなのかもしれないけど。


夫と出会ったときに、思い描いたのは、「にこやかに二人で幸せそうに農作業をする夫婦」だった。

決して、楽はできないであろう農業。

それでも、仲睦まじく自然にかこまれたところで、切磋琢磨しながら仕事に挑む夫婦。


心が通じ合ったもの同士、同じ目的に向かって頑張れるなんて、なんて幸せなんだろうと、夢を思い描いた。

それが、「農家」と縁のなかった私の、およその農家へのイメージだった。


嫁いだ当時は、想像とかけ離れる日常に疲弊した。

大変だろうと覚悟はしていたものの、体力勝負で、休日なしの仕事は、初めは勢いで乗り切ったけど、心身の状態はもたなくて、ヘロヘロで余裕がなくなった。

とても笑顔で居られる状態ではなく、覚悟が足りなかったと思い知った。


夫も義母も怖い顔をして、ギスギスした雰囲気のなか、農作業をした。

義父も「負けず嫌い」と認める義母は、当時還暦くらいで、今の夫と変わらない位の年だったと思うが、20代の私と同じくらい動き回り疲弊し、そのストレスが当時私に向けられていたように今となっては思う。


私は農家に嫁ぐことを心配した、母方の祖母の「何もできない位がイチバン可愛がられるんやで。」という言いつけを守らず、「周囲の人と同じくらいに動かなきゃ」の精神が表立っていたので、きっとものすごく動いていたと思うけど、その20代の動きについてくるのだからすごい。


義母の意地とプライドもあったのだろうけど、普通、あり得ないよな・・・と、後々思った。


もし、息子に運よく嫁さんが来てくれたら、「20代にはかなわないわ」とばかりに、私ならスローテンポになると思う。
ま、同じ畑では仕事はしないけど、いざその時がきたら、義母とおなじように「負けないわ」とばかりに動き回るのだろうか(笑)


24歳で嫁いできた私は、30代半ばまで、ただただ畑で疲れていた。

夫も余裕がなく、畑でも喧嘩を繰り返してた。


状況が変わったのは、私が強制的に休日を設けてから。

夫も義母も(義父も)休みをとらなくても、私は休みをとった。
もちろん、仕事のタイミングを見計らってのことだ。

夫も義母も、休みをとるようになるには時間がかからなかった。
労働時間は大幅に改善された。


余裕ができたからかな。
仕事に対する思いも変わったし、40代は充実感溢れる年代だったと思う。

それでも、時々は喧嘩をしたりしたけど、いつしか嫁いだ当時にまぼろしに見えた仲睦まじく仕事をする農家の夫婦は、人生の着地点にあるのかと、妙に腑に落ちた。

いろんな過程を踏んだうえで、見えてくることなのだろうと、焦らずじっくりと人生を歩んでいこうと、気持ちを切り替えた。


40代後半になって、夫はたぶん私を仕事のパートナーとして認めてくれたのではなかろうか。


義父母が畑仕事を引退して、ふたりして広い畑を管理するのは大変だったけど、夫とわたし、どちらが欠けても成り立たない状況になった。

とても忙しかったけど、「私が求めていたのはこんなかんじ」と実感があった。

お互い支えながら、農作業をやっていく実感。


私が、農家に嫁ぐにあたって、およそ夢見た夫婦のあり方だ。


だけども、ここにきて、夫の身体はついていけない状況になった。

現状を受け入れるにあたって、一時は夢が散ったそんな気がしたのは、私が自分のことだけを考えていたからかもしれない。


だけども、よくよく考えると、私たちは年月を経るごとに、一緒に農作業をすることがなくなった。

周囲の農家を見渡すと、たいてい若いご夫婦も、高齢のご夫婦も、一緒に農作業をされている。


わたしは、緑と大地のなかで、自然を感じながら、ヒトリっきりで農作業をするのも嫌いではない。

だけど、嫁いできたときは、まさか、ヒトリで自然に囲まれた、ただっぴろい畑で、農作業をするとは思いもしなかった。


慣れない農作業ながらにして、いかに効率よく仕事をするか考えてた若い頃。
筋肉のない身体はついていけないのに、休むに休めず余裕がなくて、心身ともに疲弊していたけど、切磋琢磨しながらあれだけ働けたのは若かったからだろう。

休日を設けるようになったのは、心身がついていかなかったからだけど、いかに効率よくを追求したお陰で、その余裕が出来たと思っている。

今は昔とちがって機械で作業もすることもあって、効率を図れるのだから、やみくもに365日働くのは無意味だと悟った。


家のため他人のため夫のために働くのではなく、自分のために、仕事の中に働く意義ややりがいを見つけた中年期。

作物が自分に微笑んでくれているのを、初めて感じた。

子育てもひと段落。


さいごは、夫とふたり、ゆっくりとした時間が流れるなか、人生を振り返りながら、微笑んで農作業ができたらいいな。

もう、夫もわたしもそんなに頑張らなくていい。

自分たちができる範囲で、息子を支えることができたらよい。


夫もたぶんそんなこと、感じているのではなかろうか。

ご近所さんを見渡しても、夫と同世代や少し上の世代の方の中には、夫とおなじように腰やら首やらどこかしら状態が悪くても、ご自分のペースで若夫婦を支えていらっしゃる方も多い。

また、畑に行かない日が、2日、3日、1週間と続くと、体調が思わしくなくなるというのは、農作業をしてきたものの性なのかもしれない。

少しくらい体調がすぐれなくとも、農作業をやり続けることこそが、健康につながると夫も言う。

生涯現役でいられるとすれば、これからはもう少しスローペースでいいのかなと。


今回の夫とのことを「note」で記事にしつつ頭を整理していったら、私たちが目指す先は、そこにあると気付いた。


また、つたない記事に寄せてくださったコメントにも、励まされたり、気付きがあったり、気持ちが切り替えることができたりと得るものが大きかったので、書いてよかった。




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