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哲学の必要性は、医学の必要性と似ている【話題書の「はじめに」を公開】

「哲学って、なんの役に立つの?」
そんな素朴な疑問に答えるのは、意外と難しいものです。
世の中には、哲学が人生の中で役立ったことなど一度もないという人もいるでしょうし、むしろ、常に哲学を求めていると豪語する人はほとんどいないでしょう。

しかし、数千年も前から人々の間で受け継がれてきた哲学は、間違いなく人類史上の一つの「ヒットコンテンツ」であると言えます。
その魅力とは、働きとは、一体どのようなものなのでしょうか?

本記事では、哲学者である谷川嘉浩さんの著書『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』の「はじめに」の部分から、この問いについて考えるヒントをご紹介します。
以下抜粋です。(太字筆者)


今病院に行く必要がなくても、医者はいたほうがいい

哲学の働きについて考えるために、古代ローマの哲学者であるエピクテトスの発言を見に行きましょう。エピクテトスは私が好きな哲学者の一人なのですが、元奴隷という大変な経歴の持ち主です。彼はこう言っています。

ねえ君たち、哲学の学校は治療するところだ。〔……〕つまり、健康な状態で〔哲学の学校に〕やって来るわけではなく、ある人は肩を脱臼して、ある人は腫れものができて、ある人は瘻ろう管かんができて、ある人は頭痛がするのでやってくるわけだ。

何かトラブル(病気や怪我)を抱えたとき、人はそれを治療するために哲学を学ぶのだとエピクテトスは言っています。
一生何の病気も怪我もなく生きおおせることが望みがたい以上、今この瞬間に必要性を感じていなくても、「治療するところ」は必要です。医学のメタファーが魅力的なのは、たとえ今この瞬間に哲学の必要性が実感されていなくても、私たちには哲学が必要だということを教えてくれるからです。
エピクテトスは先の言葉に続けて、こんな趣旨のことを言っています。「君がちょっとした言葉を語ったときに、私が「いいね」と言うために、君は哲学を学んでいるのか。ソクラテスやゼノンといった哲学者がやっていたのは、そんなことだったのか」。 聞き手に心地よい承認を与え、耳に心地いいだけの言葉を提示するのが哲学の役割ではなく、自分を変えていく体験をするきっかけを与えることが哲学の役割なのだとエピクテトスは言っているのです。(本書pp.12~13)



…いかがでしょうか?
哲学は、私たちにとって常に必要なものというよりは、日々生きる中で何らかのつまずきに出会い、立ち止まったときにこそ支えとなるものだと、著者の谷川さんは述べています。

この記事を書いている私も大学で2年間哲学を学びましたが、思い返すとそのきっかけは、受験の挫折によって無力感や孤独感、自分がそれまで持っていた考え方に対する漠然とした疑問を抱いたことにあったように思います。
「当たり前」という安心感が崩れたときに哲学を求めるというのは、怪我をしたり病気になったりしたときに、私たちが病院に行くのと似ていますよね。

そして病院では、しばしば自分の生活習慣の悪い点を鋭く指摘され、耳が痛い思いをします。
著者が考える哲学も、長年それと似た役割を果たしてきたのです。

何もかもが順風満帆で何のトラブルも抱えていないときは、哲学なんて不要なように感じるでしょう。
でも、自分の人生が辛く思えて涙が出たり、どうしようもなく気持ちが落ち込んだりしたときに、私たちは哲学の必要性を実感するに違いありません。

困ったときに、あるいは転ばぬ先の杖として、「どんな老舗企業よりも長く、大学が存在するよりも遥か前から」(本書p.16)続いてきた哲学に、ぜひふれてみてください。

私たちは今や、スマートフォンによっていつでもどこでもつながれる「常時接続の世界」の中で生きています。
画面をタップすることで得られる分かりやすい刺激によって、自らを取り巻く不安や退屈、寂しさを埋めようとすることも多いでしょう。
そんな中で今一度、「孤独」をめぐる哲学の冒険に出ませんか。

本書で引用したスマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』では、ニーチェ、オルテガ、ハンナ・アーレント、パスカルなどの哲学者のほか、村上春樹やエヴァンゲリオンなど様々なものを題材として、私たちの主体性が奪われている現状を打破するために必要な「孤独」と、それを確保するための「趣味」について論じていきます。

興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。


■著者紹介

谷川嘉浩(たにがわ・よしひろ)
1990年生まれ。京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在、京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。
哲学者ではあるが、活動は哲学に限らない。個人的な資質や哲学的なスキルを横展開し、新たな知識や技能を身につけることで、メディア論や社会学といった他分野の研究やデザインの実技教育に携わるだけでなく、ビジネスとの協働も度々行ってきた。
単著に『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)。共著に『読書会の教室』(晶文社)、『ゆるレポ』(人文書院)、『フューチャー・デザインと哲学』(勁草書房)、『メディア・コンテンツ・スタディーズ』(ナカニシヤ出版)、Neon Genesis Evangelion and Philosophy (Open Universe)、Whole Person Education in East Asian Universities (Routledge)などがあるほか、マーティン・ハマーズリー『質的社会調査のジレンマ:ハーバート・ブルーマーとシカゴ社会学の伝統』(勁草書房)の翻訳も行っている。

■目次

はじめに
第1章 迷うためのフィールドガイド、あるいはゾンビ映画で死なない生き方
第2章 自分の頭で考えないための哲学――天才たちの問題解決を踏まえて考える力
第3章 常時接続で失われた〈孤独〉――スマホ時代の哲学
第4章 孤独と趣味のつくりかた――ネガティヴ・ケイパビリティがもたらす対話
第5章 ハイテンションと多忙で退屈を忘れようとする社会
第6章 快楽的なダルさの裂け目から見える退屈は、自分を変えるシグナル
おわりに
あとがき

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