Notes of a Dirty Old Man For Introduction

日曜のお休みがあるにしても書き継ぎ出して、
はや一ヶ月が経とうとしているし、
五日が支給日とのことで幾ばくかのお金を事務所からいただいた。
私は通所はしておりませんが、九時半頃から二時間程を、
書きものの時間に当てておりますし、こちらのnoteへの投稿。
間違いの無い話しと事務の方に確認いただける。

多分ですが、六十五を過ぎてからの少ない年金生活においては、
年金以外の初めての現金の受け取り。
少しの余裕が有難い限りです。
またのフィリピンでの長期滞在を考えてる身には心強い限りだ。

金のことばかりでは無く、体調の絶不調からの立ち直りに、
二ヶ月程の設樂の無い生活におさらば出来たのも大きな喜びだし、
一日一日の小さな出来事を書き連ねの積み重ねが、
大きなストーリの流れを思い描くことを出来るようになったのだし、
大を知れば細部にも目くばせ出来る、良い方へ良い方へと続くよう。

ただ一日ごとの仕上がりにはむらがあるようだ。
寄る年波、体力の衰えはぬぐうべくも無し。
でも今の今に与えて貰った、
踏み出せずに過ぎて仕舞った書きものへのチャンスを頂いたことを、
ただ畏いなるものとの約束と感謝して進めるだけだ。

今は、精神の不安定の現われの、人となりの確立への道程の内に、
誰からも眼を向けていただける書きものとも思いませんが、
他人と同じが良いとする方の多いお国柄ですし、
忖度に上手な方の多いくにたみ成ればこそ、
我が過ぎ越し方を、行く道を表すが良かれと思うばかりです。

もちろん考えごとをしながらの書きものですし、
世情の動きの中に生きる身であれば、流されても行くのだし、
合点が行かぬなら行かぬなりに書き現わしながら進める。
ただ今は過ぎ越し方の書きもの故、余り露わに自分の気持ちを、
あけすけにするは憚られるでしょう。

誰もあなたはこんなひとだったと言ってくれる方も無く、
自分で自分を出来るだけ客観的に表すだけ。

そうそう、
昨日アップした後にまた考え継いだこと。忘れていたことが思い浮かべば、
これも書き残したいあれも、と気が急いていた。

どちらにしても、
転校したはずの子がまだ同じとこに居るなんて変な話しで、
私は浦和の駅まで歩き電車で学校へ行く身、時間が合わないので、
同級生には合わないんだけれど、何かの都合でのこと。
駅からの公舎への帰り道の近道は街中にある刑務所の壁沿いを歩く道。
人通りもほとんどなく顔見知りの二人が歩いていた。

私は駅近くの本屋で買ったサザエさんの漫画を読みながらぶらぶら。
挨拶の後に聞こえた二人の会話。一人がすごい勉強しながら歩いてるとか、
一人が返して、サザエさんの漫画だよ。
私は最初から気取ってる気も無いんだから、漫画本。
でも見る人が見れば、のお話しだ。
彼らの姿かたちは今も思い浮かぶよ。逢えて嬉しいのに口少ない私、
あの頃からそんな質だったよう。

ああしたら良かったのに、こうすれば、の繰り返しが、
父親が役所を辞めて、
母親の関係の大宮の官有無番地の大きな団地に引っ越して、
ほんの少しの公立中学でのご縁が三年生の中頃まで、続いていたはず。
逢いたいなあの頃の私に、そして彼らに。
~~続く

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