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外国語で俳句~チェコ語編

noteには俳人がとても多いように感じる昨今。自分がフォローしている方々がnote上の俳句クラブ(?)に所属しているからか、最近は「あなたへのおすすめ」としても、俳句関連がよく表示されるようになった。

個人的には俳句を詠むなどという風流な趣味は持っておらず、日本語母語話者として血肉にしみわたっている七五調で、俳句とも川柳ともはたまた短歌とも言えないような言葉の連なりが頭の中を駆け巡ることは頻繁にあっても、ついぞ「作品」として仕上げたためしがない。

しかし俳句とは何か妙な縁があるらしく、半年ほど前、知人と「外国語の俳句」についてメールのやり取りで熱く議論したかと思ったら、昨年11月、チェコ人の俳人から「チェコ語で詠んだ俳句を日本語に翻訳してくれないか」というオファーが来た。

そこで今回、日本語以外の言語で俳句を作るということに対する考察と、上記した俳句翻訳にまつわる小話などを書き留めておこうと思う。


俳句の「音」とは

読者のほとんどが日本語母語話者であることを前提としている記事で、「音とは」から始めるのは無意味な行為に見えるが、後述する「輸出された俳句のルール」の理解をスムーズにするためにも、おさらいしておきたい。

俳句の5・7・5で区切られる十七音というのは、すべて仮名に直して表記した文字の総数、とも言える。「ウ・サ・ギ」なら3、「う・み」なら2、といったように。同じく長母音、促音「っ」、撥音「ん」も独立して1音として数える。「コーヒー」は「コ・ー・ヒ・ー」で4、「あさって」は「あ・さ・っ・て」で4、「みかん」は「み・か・ん」で3、である。
拗音としての「やゆよ」は独立して数えない。「チャーシュー」は「チャ・ー・シュ・ー」で4、「ちょうちん」も「ちょ・う・ち・ん」で4である。

この「音」を数えるという法則、つまりは「拍(モーラ)」を数えるのと同じことなのである。俳句や短歌で数えられる音は長さとして同じ重要度を与えられたものを数えている。

音韻論には「音節」という概念がある。「音節」は俳句の5・7・5を数えるときの「音」とは異なる。基本的な音節の理解として「母音を中心とした音のかたまり」のことを指す、と説明される。日本語の各音には「ン」を除いてすべてに母音がついている。つまり日本語ではほとんどの場合、一音は一音節に対応している。チェコでは日本語の平仮名・片仮名のことを「slabičná abeceda(音節アルファベット)」と呼ぶ。
しかしその法則から外れるのが前述の長母音、促音、撥音である。例えば「コーヒー」は「コ・ー・ヒ・ー」で4音(4拍)だが「コー・ヒー」で2音節、「みかん」も「み・か・ん」で3音(3拍)だが「み・かん」で2音節である。

この日本語の「音」と「音節」のずれの何が問題なのかと言うと、「音節」は他言語と共通する概念であるのに対して、「音」の概念は日本語特有である、という点にある。

外国で理解された俳句のルール

日本語以外で俳句を詠む、というのは19世紀終わりごろに英語で読まれたのが始まりらしい。今でこそ英語のWikipediaにも日本の俳句を説明するページには日本語における「音」の項があるが、やはり英語で俳句を作るために輸出された俳句のルールは17の「音節」で作られる詩、という解釈であったようだ。英語のWikipediaにはHaiku in Englishという項目もあり、そこでは季語を含み、5・7・5の17音節で、といったルール以外にも「韻を踏まない」などという規則も見られる。これは日本の俳句のルールというより、ヨーロッパ語圏で詩を詠むときに重視される韻を逆に付け足さないように、という注意書きのような気もする。

そのHaiku in Englishで紹介されている1899年に読まれた英語俳句で「音節」を数えてみよう。

The west wind whispered,
And touched the eyelids of spring:
Her eyes, Primroses.

英語版Wikipedia Haiku in English - Historyより

The west wind whisperedはthe/west/wind/whis/peredで5、
And touched the eyelids of springはand/touched/the/eye/lids/of/springで7、
Her eyes, Primrosesはher/eyes/prim/ro/sesで5。
きれいに5・7・5音節を守っている。が、はたして5・7・5の「音」を守っているだろうか?この句を朗々と流暢な英語で読み上げられたとして、日本語母語話者の耳にあの俳句のリズムとして響くであろうか。ここに俳句を「17音節で完成させる詩」という理解に限界を感じるのである。一音節に基本的に一子音と一母音しか使えない日本語に対して、子音と母音をバラバラに使いまわせるヨーロッパ諸語は一音節に複数の子音を詰め込むことができる。必然的に、日本人の耳には英語の俳句は「音が多すぎる」ように聞こえる。そして前述したように、一音として数えられていた長母音や促音、撥音は音節を数える場合、その前の音と合わせて一つとして数えるわけだから、結果的に日本の俳句は17音節より少ない音節を使っている場合も出てくる。

ちなみに英語で読まれる俳句にも新しい発想は常に取り込まれ、現在では「音節少なめの日本の俳句(しつこいようだが音の数を基準に作られた日本の俳句は音節が17より少ない、という場合がある)」に似せるため10から14音節で作るというルールがあったり、俳人によっては一単語だけの詩で「Haiku!」、五行詩を作っても「Haiku!」という自由さ加減であるらしい。

チェコ語の子音と母音のバランス

そろそろチェコ語俳句の話に移ろう。

チェコ語はインドヨーロッパ語族のスラブ語に属する言語で、スラブ語は東部・南部・西部の3グループに分けられているが、そのうちの西グループに分類されており、最も近い言語はスロヴァキア語である。言わずもがな、チェコ語はチェコ共和国の公用語である。今回は本題からそれるので、詳しい言語的特徴の説明は省略する。

チェコ語で俳句を詠むにあたって、気になるのは一音節に含まれる子音の多さであろう。参考にこちらの図をご覧いただきたい。

Úvod do studia jazyka (J. Černý, 2008)より

これはドイツ語、チェコ語、ポルトガル語(図の中でも上からこの順)それぞれでの言語で「机とタンスは部屋の中にある」という文で、それぞれの音節の数と、いくつ子音と母音が使われているかという比較をしている図である。Cが子音(consonant)、Vが母音(vocal)の表示であるが、チェコ語はドイツ語よりも母音の頻出率が高く、ポルトガル語より少ない、という特徴が見てとれる。だいたい、文字の総数が少ない。これはチェコ語が冠詞を使わない言語だからかもしれない。

チェコ語による俳句のルール

チェコ語で俳句の作り方について検索すると、最初に出てくるのが英語から翻訳された情報である。芭蕉や一茶は日本語から直接チェコ語に翻訳され出版されているものの、自分で作りたい人のためには英語などのすでに盛んに俳句が作られている言語の情報を翻訳して流したほうが、日本語や日本文化を解する人に聞くより手っ取り早いということなのかもしれない。

チェコ語で俳句を作る場合、大きく二つのルールがあるらしい。一つは5・7・5の17音節で作るというもの、もう一つはアクセントのある単語を二つ・三つ・二つ並べて作るというもの。二つ目の方法は日本語の句に比べて音が多くなるのを解消すベく考え出されたのかもしれない。

チェコ語は強弱アクセントで常に単語の第一母音にアクセントが置かれる。参考までにネットで見つけたアクセントのある単語2・3・2で作られた句を引用しておく。

Květnová bouře
sehly se květy a šneci
jí je v řa

Umění haiku - část 2.: technika psaní haiku より

太字で示した部分が、アクセントのある音節である。確かに17音節の詩よりも短めの傾向がある気がするし、リズム感も出しやすいのではないかという気もする。

外国語での俳句でいちばん盛んに作られているらしい英語でも、前述したように17音節にはこだわらなくなっているようだし、日本の俳句も昔から字余り・字足らずなどの破調があったわけだから、「Haikuというのは日本で生まれた季節感のある短い詩」という解釈でも、構わないのではないかと思う反面、やはり俳句を詠む人には俳句の基本は知っていてほしいな、と思ってしまう。

チェコ語俳句の翻訳

昨年11月、あるチェコ人男性から彼のチェコ語で作った俳句を日本語に翻訳してほしい、というオファーをいただいた。なんでも彼はずいぶん前からチェコ語で俳句を詠んでいるが、自分の俳句が日本語で書かれた姿を目にするというのが長年の夢だ、ということだった。5.7.5音節でなくて構わない、日本でもそのルールから外れる俳句はたくさん詠まれているんでしょ、とのこと。送られてきたのは六句、そこから一つ、私が気に入ったものを選んで訳してくれればいいから、とのことだった。

知人の紹介でなければ即座に断っていたかもしれない。訳せるか訳せないかの問題ではなく、どうも釈然としないのは、私が日本語に翻訳したところで「アナタの俳句の日本語バージョン」にはなりえない、それが分かっていて頼んでいるのか、という点だった。
事前に、私の翻訳に日本語の俳句としての芸術的価値はないということ、私は翻訳を仕事にもしているので金銭的代価が要求されることを説明した上で、送ってくれた六句すべてを翻訳すること、5・7・5音に揃えることも可能であることを伝えた。案の定、相手はすべての条件にすぐさま同意した。

前項で子音と母音をばらして使えるヨーロッパ言語は一音節に複数の子音を詰め込むことが可能である、よって日本語母語話者には音が多く聞こえる、と書いたが、つまりそれは日本語より多くの単語を詰め込むことも可能である、ということを意味している。そんな言語で作られた俳句を日本語の5・7・5に詰め直す、それは思った以上に工夫が必要な作業であった。本人が最初に「5・7・5じゃなくていい」と言っていたにもかかわらず十七音にこだわってしまったのは、七五調が感じられないものを「俳句です」と仕上げるのは非常に理不尽なものを感じる、というほぼ個人的感情だった。

彼の作品の著作権の問題があるので、ここにはオリジナルも翻訳も載せないが、一番多くそぎ落としたのは助詞。これもチェコ語は文中の言葉の役割を格変化で表すため、言葉に助詞をつけ足さなければいけない日本語の不利な点。あとは同じ意味でより短めの言葉を選んだりして、それでも二か所字余りを起こしたものの、六句すべての翻訳を仕上げた。

やり取りはメールだったので、この目では見ていないが、翻訳を手にして飛び上がって喜んでいたらしい。「やっと夢が叶った、ありがとう」という返信メールに、もう一言添えられていた。「日本語が分からないから、どんな風に読まれるのか分からないのが悲しい」…当たり前ではないか。それが分かっていて、その上で日本語翻訳が欲しかったんでしょ?という言葉を飲み込み、私は自分の日本語翻訳の読みをチェコ語アルファベットで表記し、送った。

そのあとの彼の返信メールからは、まさに歓喜がほとばしっていた。「嬉しくて嬉しくて、さっきからずっと音読してます!」と…。
その返事を読んだ時、やはり私が翻訳前に注意したことを理解してくれていなかったのだなあ、と思った次第である。

この翻訳問題は広くは俳句に限ったことではない。翻訳文化というのは、本当にありがたいものである。日本にいたころは幼少時から海外文学の翻訳をむさぼっていたし、チェコに来てからもその恩恵にあずかっている。怠慢なドストエフスキー好きはロシア語をマスターすることなく、同じスラブ語圏で言語が近いチェコ語翻訳で満足することに味をしめた。しかしそれは、いくら言語が近くても、あくまで翻訳家の手を介して書き直されたドストエフスキーであり、ドストエフスキーが残した言葉そのままではない。どんなに優秀な翻訳家でも、「あそこが訳しきれなかった、文化背景の分からない人には想像つかないだろう、原書より劇的な展開に仕上がってしまった…」など、いろいろ悩まれていることだろう。その難しさに醍醐味を感じて翻訳家はその職種を選んでいるのかもしれない。

私がいただく翻訳の仕事はたいてい企業の新しいプロジェクトの説明だったりプロモーションに関するものだったりする。だから「芸術である文学作品をいかに訳すか」にまつわる問題にはこれまであまり考えたことはなかった。件の俳句翻訳には未だにモヤモヤしたものを抱えているが、良い勉強になったと思っている。そのチェコ俳人もそんなに自分の句を日本語で見てみたい、という日本語に対する憧れがあるなら、一刻も早く日本語学習を始め、自分で日本語俳句を作ってみたらどうだい、と思うものの、それなら自分もドストエフスキーを原書で堪能するためにロシア語学習を始めるか?と自問し、言うは易しかあ、と情けない自分を発見してしまうのであった。


【後記】

ここまでお読みくださり、ありがとうございました…って、どなたかここまでついて来てくださった方、いらっしゃるのでしょうか…?なんと五千字超えてしまいましたよ。
先日橘鶫さんの記事にうっかり「チェコ語俳句の翻訳したことがあるんですよ」とコメントしてしまい、書きたいけれどまとめるのが難しそう、と躊躇していたトピックにやっと着手できました。
「よし、書く!」と腰を上げたのが二月三日の節分の日。その日は見出しの長老の絵を描いて「爺や、それは俳句か川柳か?」と自分ツッコミしながら終了。節分をすぎてから投稿するのは目に見えていたので、句を変えたかったのですが、何とも良いアイデアが浮かばず、そのままに。今回、文体はである体で書きましたが、どうも絵を描いたときに長老に舌を乗っ取られたようです。

最後までお付き合いしてくださった方がいらっしゃったなら幸いです。偏った知識で書き進めてしまった感が否めませんが、「〇〇語で俳句って、こういうところが大変なのよ!」とか、「△△語の俳句はけっこう日本語の音のセンスでいけるのよ!」など、他言語での俳句事情に詳しい方がいらっしゃいましたら、どうぞご教授ください。

豆氏のスイーツ探求の旅費に当てます。