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 【マキァヴェッリを読む】Part1〜モンテスキューからマキァヴェッリへ


政治思想史における古代と近代

モンテスキューが共和主義者?

大型書店でブラブラして専門書コーナーをながめていたら、定森亮『共和主義者モンテスキュー』という研究書にふと目がとまった。
モンテスキューといえば、「主著『法の精神』で三権分立を唱えた」と、教科書にも記載されている思想家である。

新刊情報でこの本を見たときは、「またシヴィック・ヒューマニズムか〜もうお腹一杯なんだよな〜」とか思って、ろくに気にもとめなかった。
しかし、あらためてこの題名に向き合ってみると、モンテスキューに「共和主義者」というレッテルを貼り付けていることに違和感を覚える。

なぜなら、18世紀の政治思想史を捉える古典的な分類において、モンテスキューは非-共和主義的な位置づけを与えられているはずだからである。

富と徳

ここで18世紀の政治思想史を整理する古典的な分類というのは、いわゆる「富と徳」である。
私的な経済活動・富の拡大を言祝いで商業社会を擁護した近代派と、古代の共和政を模範として徳や公共精神を賞賛した古代派。
奢侈論などをめぐるこの両者の対立が近代派の優勢へと推移していく、という徳から富へという物語のことである。

もちろん、このような大雑把な図式が、18世紀頃のすべての論客たちに綺麗に当てはまるわけではない。
しかし、モンテスキューの場合は、この図式になじみやすいはずなのである。

なぜなら、『法の精神』でのモンテスキューは、

従来のような王政/貴族政/民主政という政体分類に代わって、共和制/君主制/専制という独自の政体分類を提出、
古代都市国家の政治に発想が由来する過去の政体分類の大半を「共和制」のカテゴリー内に押し込む一方、
近世ヨーロッパの政治体制という新しい事態を「君主制」というカテゴリーで仕分け、君主制の仕組みに好意的な評価を与えた

というように政治思想史の教科書には整理されるからである。

ならば、なぜこの通説に反するようなタイトルを著書に付けたのだろうか。
それとも、モンテスキューについて私の聞き知っていることは的はずれだったのだろうか。

このような疑問を抱いて、本書の序章や終章を立ち読みしてみる。

定森亮『共和主義者モンテスキュー 古代ローマをめぐるマキァヴェッリとの交錯』

モンテスキューは、1734年に2番目の著書『ローマ人盛衰論』を出版していた。
3番目の著書にして主著である『法の精神』を出版した1748年には、この『ローマ人盛衰論』に大幅な加筆をして再販している。

『法の精神』の思索形成中にも並行して考えが練られて続けていた、この古代ローマ共和政論を手掛かりにして、モンテスキュー『法の精神』をより深く理解してみよう。
共和政の長所短所を思索してその歴史を活かそうとしたという意味での「共和主義者」モンテスキューの姿を描いてみよう。
共和主義への思索の中からこそ、近世の特徴を掴む視座が登場して来ることを理解してみよう。

大筋で言えば、このモンテスキュー研究書はこう要約されると思う。
「共和主義を極限まで追求する営みの結果、共和主義でないものに到達した」という意味で、モンテスキューは「共和主義者」だったと表現したのだ。

上に挙げた古典的な政治思想史の分類「富と徳」との関係でいえば、
モンテスキューの場合、富と徳との対立が、まったく異なる二つの源泉ではなく、徳の追求の中から出てきたことを示している。

なかなか面白そうなので、購入。

ローマ史解釈の政治思想史

この研究書は、富と徳、政治思想史における近代と古代という文脈だけではなく、ローマ史解釈の政治思想史の伝統という文脈からも読むことができる。
むしろ、こちらの文脈の1ページを深く掘り下げたものと位置づける方が適切だ。
本書の大半は、モンテスキューの古代ローマ論をマキァヴェッリのそれと比較することに費やされているのだから。

ローマ史解釈の政治思想は、自分で取り組むにはハードルが高いものの、読む分にはとても面白いという印象がある。
古代に対する純粋な思索だけからローマ史解釈が行われるわけではなく、解釈者自身の同時代の政治情勢に対する主張とリンクしているからだ。
古代についての評価がそのまま現状への評価だったり、古代と対比することで現状の美点ないし欠点を強調したり。
この両者の絡み合いを自分で解きほぐして料理するのは難しいが、調理済みの説明を食するのは美味という次第。

犬塚元『デイヴィッド・ヒュームの政治学』

この古代ローマ史解釈の政治思想の面白さを私に教えてくれたのは、犬塚元『デイヴィッド・ヒュームの政治学』の第1章。

18世紀英国において、すなわち、共和政ローマを論じることとイングランド混合君主政を論じることがリンクしていた時代において、さまざまなローマ史解釈が登場している様を面白く描いている。
(正直なところ、本体であるヒューム論より面白いんじゃないかとも思ったり)

そうだ マキァヴェッリを読もう

こういうローマ史解釈の面白さ、『共和主義者モンテスキュー』でも味わえそうだなぁ…
でも、そこにはモンテスキューだけではなく、マキァヴェッリの古代ローマ論『ディスコルシ』も多く登場しているんだよなぁ…
マキァヴェッリについての知識がなくても読み進めることはできるだろうけど…
でも、マキァヴェッリを読んでいれば、この本をもっと面白く味わうことができそう…

ちょうど数年前、『マキァヴェッリ全集』は古本で入手している。
(収録された主要著作が文庫化された頃だったせいか、値崩れしていた)
しかも、その後、死蔵したままになっている。
これを機会にちょっとマキァヴェッリを読んでみようか。

そう思い立って、マキァヴェッリを少しずつ読み始めてみました。
そのうち『共和主義者モンテスキュー』のことも完全に忘れて…(平常運転)

実際にマキァヴェッリを読んでみて思ったことなどを整理するためにも、ここに少しずつ読書結果をアウトプットして書き残していこうかと思います(続く)


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