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手紙は爆走である。

手紙は爆走である。
編集されたEメールのように書類ではなく、
毎日打つショート・メッセージの2m走ではなく、
手紙は100mの爆走。

小沢健二   『三島由紀夫レター教室』の帯より

久しぶりに文章で衝撃を受けた。今月のベスト・ヒットワードかもしれない。

これは何かというと、『三島由紀夫レター教室』という小説の帯に、小沢健二さんが寄稿したエッセイの冒頭。

しかし、この最高にイカした文章がついているのは限定版。上記のAmazonの商品には恐らくついてないのでご注意されたし。


最高の書き出しではないだろうか。ちなみに、この帯文は、これだけでは終わらない。もはや帯というよりは、カバー全体に文章が書かれているという、面白い構成。

こんな感じでカバー裏にも印刷されている

小沢健二さんは『今夜はブギー・バック』と『ラブリー』の歌手としてくらいしか知らなかったのだが、こんなにも文才があるとは。この後の文書もたまらない。全文掲載したいくらいだ。

文章の要旨としては、後から色々と編集できるEメールなどの文章と違い、手紙は手で思うままに書いていくから、意識の流れがそのまま並んでいくというのが特色だということ。もちろん、編集され、意味の焦点がハッキリした文章のほうが読みやすいが、人間というのはそんな感じで常に理路整然とした思考をしているわけではないでしょ、ごちゃごちゃとカオスな意識の中で生きているでしょ、という主張がなされる。


なんでこの文章がこんなにも心に響いたかというと、似たようなことを自分も実感していたから。自分は手書きで手帳をつけている。

この手帳は、ボールペンで思うがままに殴り書きをしており、まさにこの文章で書かれている通り「意識の流れが垂れ流されている」状態だ。1文字、2文字くらいの誤字ならたまに雑に横線とかで訂正したりするが、基本はめちゃくちゃな構成になっていても、推敲などは一切しない。

たまーに過去の日付の手帳を冷静に読み返すと、ハチャメチャな文章が書かれていることが多い。しかし、それもそれで楽しいのだ。結局何を言いたいか分からないスッカラカンな文章に、思わず笑ってしまうこともある。

何かおもしろい情報をインプットして、それに対して自分なりのユニークな考えを添えて、おもしろおかしく発信して…そんな風に気張って文章を書くのも楽しいのだけども、濁流のように流れ込む思考をそのまま文章化するのも、それはそれでおもしろいし、なんだが大事な時間だと感じている。


今までは、noteに書くような文章を「スタジオ収録した音源」だとすると、こうした手書きの文章は「ライブ音源」みたいなものだと思っていた。

しかし、ある意味この手帳は「自分自身に対しての手紙」なのかもしれない。過去の自分が、それを読む未来の自分に向けて、リアルでカオスな思考をそのまま伝える手紙。そういう側面もあるんだなと思うと、より一層手帳を書く時間が楽しくなってきた。


よく行く本屋に「書店員の影響を受けた本」というコーナーがあり、そこで出会えたこの本と帯文。中身も三島由紀夫らしい少し毒っ気がある素敵な文章、いや手紙がいっぱい。いい文章に出会わせてくれた書店員さんに感謝である。

自分は字が汚いし、手紙を書くような相手はいない。でも、数日間かけてじっくりとお互いの思考を垂れ流しあうような、そんな素敵な文通相手がいつか生まれたらいいなと思う、そう思える本でした。


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