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青春映画?いいえ、ホラー映画でした。 『数分間のエールを』感想

映画『数分間のエールを』を見てきた。脚本が大好きな花田十輝さんだったので、初週のうちに見に行きたかったのだ。
1時間ちょっとの短い映画ということで、あらすじはシンプルだ。

MV(ミュージックビデオ)を作るのが大好きな高校生動画クリエイター、朝屋彼方。本作品の主人公。

公式サイトより

彼はある日ストリートで歌う女性の声に惚れ込み、彼女のMVを作りたいと思う。その翌日、朝屋の学校に英語教師として赴任してきたのは、なんとそのストリートミュージシャン、織重夕だった。前日、主人公が見たのは、彼女が音楽の道を諦めた最後の弾き語りだったのだ。

モノづくりを始めた男子高校生と、モノづくりを諦めた先生の物語。
一言で表すなら、そんなあらすじになるだろう。

このあらすじを聞いて、青春モノっぽいなと自分は思った。実際に、アニメーションの色彩も、雰囲気も、カラッと明るい。そして、テーマはモノづくり。こうしてネットに作品を発表している自分には刺さりそうなテーマだ。きっと清々しい気持ちで、劇場を後にするだろうと思っていた。


全然そんなことはなかった。むしろ、自分は変な恐怖を感じていた。
この映画のジャンルを自分が分類するとしたら、ホラー映画になるかもしれない。

才能というのはこうも残酷で、恐ろしいものなんだ。そんな感想を、自分はもってしまった。以降、ネタバレがあります。


自分が恐怖を感じた瞬間

主人公の朝屋彼方は、高校生になってからMVづくりを始めたばかり。純粋にモノづくりの楽しさを味わっている段階だ。ネットでも少しずつ評価をされており、その反応がさらにモチベーションになって、モノづくりの楽しさにのめり込んでいる状況といえる。

高校生で知名度がない状態からネットに作品を発表してコメントがつくあたり、相当センスがあるクリエイターなのだろう。ふつう、大多数のクリエイターは反応がないことに落ち込んだりするのだが、彼にはそのフェーズがない。


一方で、それに対になるように描かれるのが、先生こと織重夕。彼女は音楽を作り続けていた。しかし、誰にも反応されることもなく。プロの事務所にも声がかからない。そんな状態でも作り続けていたのだが、ついに心が折れ、モノづくりをすることを辞める。

この挫折した音楽家に対して主人公はMVを作らせてほしいと依頼するのだ。純粋にキラキラとした目で。これもこれで、少し残酷な話である。「うわぁ…」って感覚があったのを覚えている。

その主人公がMVにするのは、「未明」という曲。その曲は、100曲作ってきた彼女が、この曲でブレイクしなかったら引退すると言って作った曲だった。100曲作った分の苦悩と、そして音楽への諦めも込められた曲だった。

叶えたいと思うほど離れそうだ
その距離を測るだけ…日が暮れたの
もういいよ
忘れたいと願うほど刻まれるから
無くしたの 考えること
悪くないよな

『未明』歌詞より 


この曲を主人公はどう解釈したか。まっすぐで、何かを作り感動させることが大好きな主人公が作ったMVは、巨大な塔へ立ち向かう少女の映像だった。遥か彼方にそびえる巨大な塔に、不敵な笑みを浮かべながら挑戦し、登っていく少女の歌。

そう、ミュージシャンという大きな目標を諦めたい心境で描いた曲とは真逆のメッセージの曲を彼は作ったのである。

それを見た先生の反応は、想像できるだろう。「君にMVを作ってもらうのはやめて欲しい」。その発言が出るのもしょうがない。


NGを出された理由も分からず、うろたえる主人公。美大の道をあきらめた先生と同じ境遇の親友に諭されてようやく、「未明」という曲が「あきらめ」を歌った曲だと気づく。

きっと、彼の頭の中には、モノづくりに対するあきらめとか、悲しさとか、そうしたネガティブなイメージはなかったのだ。前を向き続けた、若きクリエイターの頭の中には、想像もできないことだったのだろう。表現したいものがあり、自分の中で信じる「才」があるにも関わらず、作るという行為を辞するということが。

悩んだり、紆余曲折あって、もう一度「未明」のMVを作る主人公。彼が描いたもの。「未明」があきらめの曲だと知ったうえで描いたもの。


それは、一心不乱にキャンバスに絵を書き続ける少女だった。


この瞬間、自分はゾッとした。感動する場面なのだろう。しかし、自分はこのシーンに恐怖を覚えてしまったのだ。なんでなんだろうか。映画の鑑賞後も、ずっと考えていた。まさにタイトル通り、主人公なりのエールだったはずなのに。


傲慢で、残酷で。

あのシーンは自分の予想を裏切られた。いうなら、主人公はクライアントからNGを出されたわけだ。「あなたの作る映像は、私の曲のメッセージと合致していない」と。凡人なら、クライアントの意向に沿って修正する。他人の意見を参考にして、自分の作品を作り上げていく。

しかし、主人公は真逆の道を選んだ。「あきらめ」の曲だと言われたのにも関わらず、「つづける」というメッセージ性のあるMVをもう一度作り直したのだ。

それは、ある意味で傲慢と言えるだろう。他者、というよりも、大元の原作者であり発注者(今回は先生から依頼したわけではないが)の意見すらも無視して、自分の主張したいことを誇示する。まったく動じない才能が彼にあるのだ。

この映画では、主人公は先生に対しての「エール」としてMVを作っているんだと言っていた。実際、主人公の気持ちとしてはそうなのは間違いない。しかし、それは自分が感じ、表現したいのは「エール」であり、そこは絶対に譲らないという精神がある。


こう書くと主人公のことを批判しているように思われるかもしれないが、そうではない。この「傲慢さ」こそが、クリエイターでのし上がっていくためには大切なことだと自分は考えている。

あるマンガのシーンを紹介したい。『BLUE GIANT EXPLORE』というジャズマンガのライブシーン。プロになることを諦めたロックミュージシャンと、後に世界一になるサックスマンが一緒にライブした時のシーンだ。

ロックバンドを来ている観客の前で、主人公は長い長いサックスソロを吹く。観客からはブーイングと称賛、半々の中、一切の戸惑いなく吹き続ける。そんな彼を、音楽を諦めかけていたギタリストが見ているシーンだ。

『BLUE GIANT EXPLORE』 第1巻より

どんな評価をされようとも、自分の表現を貫く。その圧倒的な傲慢さ。
凡人がそれを見たときに、ポッキリと人の心は折れる。他者の細々として評価なんかを気にするような世界に、本当の表現者は存在していないという事実を突きつけられるから。自分との、クオリティ以前のメンタル面での違いに気付かされるから。

結局、このギタリストはこのライブをきっかけに音楽の道を諦める。


自分が、このシーンを思い浮かんだのは、今作品も全く同じ構図だからだ。

「周りの反応がない」という他者の評価で、自分の才を信じ続けられず、音楽の道から逃げたした先生と、作曲した本人の意見よりも、自分の伝えたいこと優先し、モノづくりを続ける主人公。

そして、この狂気とも言える傲慢さから作り出されたMVは、「CGがキモい」なんて批判コメントもありながらも、称賛の声も書かれる。まさに賛否の形で人の心を動かすものを作り出しているのだ。


自分は、先生がこのMVを見てどんな感想を抱いたのかはわからない。ただ、もし自分が先生だとしたら。

「尊敬する」と言っていた人の意見を無視して、我道を貫き通し、人の心を動かすMVを作るくらい傲慢で、でも意欲的で、人の心を動かす若き才能を見てどう思うか。評価されないという状況なだけで自分が信じられなくなり、モノづくりを辞めていた自分と比較してどう思うのだろうか。

恐らく、完全に音楽の道を諦めていたと思う。それこそ、先程紹介した「BLUE GIANT EXPLORE」のギタリストみたいに。


もちろん、映画ではそんなことはならなかったのだが。才能というものの差がもたらす、どうしようもない違い。その絶望。それを踏まえても、先生は立ち上がった。すごい強さだ。あるいは、主人公の心を動かせたことにより、自信がついたのかもしれない。

彼女が音楽家としてどうなったのかは描かれていない。もし、彼女の作品が泣かず飛ばずで、あのMVだけが唯一の成功だったとき。逆にあのMVにすがりつきながら、音楽活動を苦しい中で続ける、なんてことになっていないことを祈っている。もうそうなると、あのMVが呪いになってしまうから…


イイ映画デシタヨ…?

なんだが、とっても暗い感じで終わってしまった。決して作品はこんな雰囲気ではない。花田十輝先生の素晴らしいセリフをたくさん聞けるし、カラフルでよく動くアニメーションは見ていて楽しい。

1時間という短い時間に、モノづくりの苦しさとよさを詰め合わせたいい映画だったと思う。いや、本当に。勝手に自分が暗くなっていただけなのだから。


…最後に明るい話題で終わろう。サブキャラとして出てくる、軽音部のベースの女の子。

公式サイトより

カワイイ系のキャラかと思ってたら、いいセリフ言うのよ。この見た目で、あの眼差しをしながら主人公のMVに対して語るシーン。何気に一番好きなシーンだし、このキャラが一番好きになった。番外編としてこの娘のスピンオフ待ってます。

しかし、ガルクラといいなんだかバンド系のアニメが多くて嬉しいなぁ。


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