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劇場版『BLUE GIANT』感想 スタッフの勇気を原作勢こそ見てほしい

今日は劇場版『BLUE GIANT』の感想を書こうと思う。

賛否両論かもしれないが、結論から言うととりあえず、見に行ってほしいと思った。原作好きな人は特に。
原作を未読の方も、1本の映画としてそれなりに丁寧にまとめているから、楽しめると思う。

ちなみに、僕はJAZZは素人なので、劇中曲に対する評価はノータッチで。
普通に良かったとは思う。


まずは概要から。
原作はビックコミックスの漫画。個人的に、ここ数年で出会った漫画で一番大好きな漫画だ。
何度も読み返して、心が熱くなるし、涙ぐむ。この作者は本当に天才だ。

『BLUE GIANT』は大きく分けて日本編、ヨーロッパ編、アメリカ編でタイトルも別れて書かれている。今作品は、その中の日本編の後半、主人公の宮本大が東京に上京し、同年代3人でバンドを結成する話から描かれる。


冒頭シーンでスタッフのセンスは好きになれた

実は、『BLUE GIANT』で一番大好きなのは、東京に上京するまでの高校生編だったりする。だから、予告で高校生編は丸々カットされてそうな感じなのは、個人的にはかなり残念であった。

が、嬉しいサプライズが。
あるシーンだけ、高校生編の内容をアニメ化されている。自分がトップクラスに好きな話。
深夜、吹雪の中、一人で練習している中、猫が通りかかるシーンだ。

初見の人は「?」と思うだろうが、原作を読んだことある人は分かるだろう。あのシーンを冒頭に持ってくるとは、本当にセンスがある。
「これを冒頭に持ってくるセンスのスタッフ、これ絶対神映画じゃん」
そう確信した。

でも、映像の表現がイマイチだった。もっと雪の中の孤独感、絶望感を漫画では表現できていたのに、映像だと普通に明るい。
アレ?って感じ。そしてこの違和感は最後まで変わらない。


物語:100点 映像:50点

結論から言うと、この冒頭シーンが一貫したこの作品の感想になった。
場面の抽出、構成、アレンジ、声優の演技、全てほぼ満点。よくあの原作をここまでまとめた。
賛否両論あるだろう、オリジナルシーンも、個人的には大好き。でも漫画のほうがすべて「画面の」迫力では勝っている。

つまるところ、話の面ではほぼ100点。
でも映像表現が50点。

映像面、演出面では凡庸なんです。見た人100%思う、平成初期かと思うダサダサCG。もうちょっと頑張れたと思う演出。
本当に映像面が足を引っ張っていた気がする。


いや、もちろんアニメーション部分でめちゃくちゃ良かった部分もあった。
CGは本当に初見でも文句を言っていただろうが、他の部分に関しては、正直、原作が偉大すぎるのもある。

なんで、漫画で音もないのに、あの迫力なんでしょうね。
あの原作に勝てる映像表現ってめちゃくちゃ難しいと思うから、原作既読勢からの高いハードルを超えられなかったというのが正しい評価かもしれない。

でも、あのクソCGは絶対に許せません!!


玉田の物語

この東京編の主な登場人物は3人。

高校からサックスを始めた、主人公の宮本大。
4歳からピアノを始めた、沢辺雪折。
そして、彼らと組みたいという理由でドラムを始める玉田俊二。

個人的に東京編で一番好きなのは、ドラマーの玉田なんです。
他の2人は天才だと周りから散々描写される。楽器経験も、練習してきた時間も、音楽にかける情熱も、本当に「狂人」だ。

そんな中で、彼は普通に「凡人」だ。音楽以外の人生も、どこにでもいる大学生なのだ。
気楽にサッカーをやるサークルに参加し、女子たちとのコンパで彼女を作ることを目的に飲み歩く日々。そこに、全力も狂気もない。


そんな中、異常な情熱で音楽に取り組む主人公の宮本ダイの姿、天才ピアニストのユキノリの姿を見て、彼らと一緒に何かに熱中したいと思う。そしてドラムを始める。

ある意味で、彼の存在が一番のファンタジーで、フィクションだ。たったの1年と少しであそこまでドラムがうまくなることは多分無いだろう。でも、だからこそ、彼の物語は一番フィクション作品として盛り上がりがある。

スタッフも分かっていたのだろうか。彼の描写が一番丁寧だったと思う。一番泣かされたのは、彼に関係するシーンばかりだった。


後は、玉田のエピソードって、音の出ない漫画の『BLUE GIANT』において重要な存在なんだと思う。漫画では、主人公たちの演奏の凄さはわからない。音がでないから。

そうなると、何で、音の凄さを表現するか。それは、聞いた人のリアクション。そして、『BLUE GIANT』の凄いところはただのリアクションで終わらない。

聞いた人の人生が変わる。これを表現することで主人公たちの演奏の凄さを伝えている。

コミックスのラストに挿入される登場人物のインタビューなんかはまさにそれ。そういう意味では、玉田は一番東京編で音楽で人生を変えた男。個人的には『BLUE GIANT』を象徴する人物だと思うのだ。

※ここから下は、重要なネタバレがあります。ここまで見て、劇場で見ようかなと思った人(特に原作既読の人)はブラウザバックしてください。
多分、後悔します。









勇気あるラストライブ

実は、めちゃくちゃ大好きで何度も読み返している漫画なのだが、最終巻だけはほとんど読んでいない。
読んでいて、辛すぎるから。救いがなさすぎるから。

いや、めちゃくちゃカッコイイシーンだし、物語としての重みは半端ない。
ユキノリがピアノを弾けなくなったからこそ、その分、ダイがトッププレイヤーになるための道を突き進まなくてはいけなくなる。
凄いエピソードだ。でも、辛すぎる。


音の出ない、傑作JAZZ漫画を、ところどころカットしながら、音がある2時間の映画にする。
この時点で、一種の劣化は避けられない。

なぜなら、音の出ない原作漫画は、まさに読み手の心の中で音が聞ける。「想像の中の最強のJASSの音」が読者の脳内に展開されていく。そこと比較すると、どうしても勝てないと思う。エピソードもカットしなくてはならないし。
この作品は、原作の良さだったり、音楽の良さだったり、とにかくメッセージをポップにエンタメとして伝えていくこと。


ラストライブのシーンは、そうしたスタッフたちの思いが詰まった、勇気あるシーンだったと思う。色々と原作と違うのだ。

まず、観客。原作ではラストライブの観客が描かれることは殆どない。
劇場版では、主人公のサックスの師匠も、兄貴も。今まで描かれていた色んなファンたちも。あらゆる登場人物が一斉に観客席に登場する。

チープで、ありきたりな演出だ。原作にはない、安っぽい演出だ。でも、自分はそういう演出が大好きだ。エンタメの王道だと思う。
そして、この作品においてこれは大事なことだ。
なぜなら、これはもう既に原作との比較では劣化することが決まっている作品なのだから。何か、新しい作品としての意味を持たせないと行けない。


そして、最後の演奏シーン。
原作では、入院して、主人公たちのライブに行くことすら叶わなかったユキノリが、ライブにアンコールで登場する。
かろうじて動く左手だけで、1曲演奏する。

きっと本当に原作の好きな人は怒り狂うだろう。
正直、あれほどまでに音楽の厳しさ、現実の非常さを訴え続けていた原作のメッセージからは異なる。真逆、ご都合主義な展開だ。

でも、僕は大好きです。あの決断したスタッフに賛美を送りたい。
あれがあったからこそ、この作品は意味が生まれたと思う。なければ、原作読んだほうがよし、で終わりな作品だった。これこそが、アニメ化、メディアミックス化の大事な姿勢だと思う。

そもそもユキノリがピアノを弾けなくなるシーンも、ご都合主義と言えばご都合主義だし、どうせご都合主義で、映画として1本終わるなら、少しでも救いを持たせよう!そんなスタッフたちの、粋なはからいだと思う。


小説版の『ポケットの中の戦争』を思い出す。原作が、完璧な悲劇として描かれる作品において、ノベライズした作者は、真逆のハッピーエンドにした。
あとがきで、「蛇足と知りつつもあえてこうした」と記載した。

これで良いのかもしれない。だって、突き詰めるとこうしたメディアミックスというのは、蛇足だから。何をやっても、批判はあるだろう。

そんなスタッフたちの勇気に、決断に、僕は惚れちゃいました。


原作を知っている人こそ見てほしい

原作がまず神なので、未読の人はまず読んでほしい。かなり端折ってるところもあるので、そっちのほうが楽しめると思う。

そして、既読勢は、本当に劇場に行って下さい。
スタッフの勇気を見届けてください。
それで怒り狂っても良いと思う。その権利はある。でも、あのラストを決断した勇気だけは、褒めても良いかなと思った。

でも、クソCG、テメーはダメだ。

以上、メディアミックスについて考えさせられた、素敵な作品の感想でした。

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