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100Kmを走る 柴又100K ウルトラマラソン参加 

 2022年5月22日 柴又をスタートし、埼玉から茨城へ50Km走り、再び柴又へ50Km戻る100Kmのウルトラマラソンに参加してきました。実に3年ぶりの参加。私が思う柴又100Kの特徴は、延々と続く変化のない景色、晴れた時の直射日光、暴力的な向かい風です。
 結果は途中潰れながら、12時間36分でゴール。3年前の14時間の制限時間ギリギリゴールから1時間10分ほど短縮する事ができました。日没前には帰って来れなかったけど、自己ベストを達成。3年分年を取ってもなんとかなるもんですね。多分これが30代最後のレースになりそうです。
 ここからは、レース中に自分の身に起こった事などを書いていきます。お時間のある時に読んでいただければ幸いです(3000文字ほど)。今回のGPSの走行結果は下の画像になります。

 柴又駅近くの江戸川の土手を埼玉を越え茨城県の五霞町まで行き、また柴又まで帰ってくる往復ルートです。レースのスタート時間は早朝6時37分。3年前は当日だけ早く起きれば大丈夫だろうと甘く見ており、眠すぎて30km付近で凹凸につまづいて転倒。膝を怪我しながらのレースになりました。そのため今回はレース1週間前から朝3時起き。早起きに慣らす作戦で行きました。お陰でレース中は眠気に襲われることはありませんでした。
 レース前日は押上のスカイツリー近くに宿泊。当日は5:07分の始発電車に乗り柴又へ向かいました。柴又駅に到着すると駅の中はランナーでいっぱい。そして3年前と同じく、会場へ向かう前に帝釈天で無事に完走できるようお参り。結構多くのランナーがお参りしていました。駅から帝釈天参道を通り8分ほどで会場に到着です。
 いざ会場に到着してみると、空は雲で覆われており半袖で涼しいというより肌寒いくらい。マラソンには丁度いい天候。しかしレース途中から晴れて夏の陽気に。江戸川の土手を走るコースなのですが、土手では太陽を遮るものが何もないため、レース中は太陽の光が容赦なく襲ってきました。
 私はレース中に食べる補給食などを背負って走るスタイルなので、トレイルランニング用のザック(小さなリュック)を背負い、スタート地点へ。スタート地点ではDJが「一般人には理解できない距離だー!!」など会場に笑いをプレゼント。ウルトラマラソンはスタート前でも、エリート選手以外はフルマラソンと違い和やかな雰囲気なのが私は好きです。ちなみに走りながら話したりもします。
 いざスタートの合図と共にのんびりとスタート。まずは47.4kmのレストステーションを目指します。ここではあらかじめ預けてあった荷物を受け取る事ができます。自己ベストを狙いながらも、体調に合わせて走行プランを変える作戦でいきます。
 まずは第一プランの10時間48分でゴールできるペースで走ります。30Kmまでは涼しいけど結構な向かい風。涼しいが向かい風の為、汗がすぐ乾き汗をあまりかいている実感がない。そのため知らないうちに給水が足りなくなっていたらしく、徐々に脱水症状が忍び寄っていました。さらに向かい風で走っていたため体力を結構持って行かれたらしく、65Km以降の大失速につながるとはここでは思いもよりませんでした。
 30kmを超えてからは、段々と夏空を思わせるような晴れに。初夏の雲と川が遠くまで続くのんびりとした風景で心癒されます。カメラを持っていれば写真を撮りたい所ですが、日差しが強く暑さが増していく中、そんな余裕はなく先へ進みます。
 途中39kmでエコ・スポいずみに到着。ここは温水プールと浴室を備えた施設。ここではボランティアの方々がおにぎりを提供してくれたり、バンドが演奏でランナーを応援してくれます。ボランティアの方々の「ゆっくりしていってね」という言葉と笑顔に癒されます。私は失敗レースになると完走できなくなる恐れがあるので、ボランティアの方々にお礼を言いながら先を急ぎます。
 そして徐々に暑さが増していく中を走り、47.4kmのレストステーションに到着。スタート地点で預けた荷物を受け取ります。荷物を抱え、ゆっくりと駐車場に座ります。汗で汚れた上着を着替えながら身体の状態をチェックすると、唇がパサパサでトイレにも余り行きたくない。「脱水症状ですねこれは。。。」と思い預けていた、OS1のゼリーを一気に飲み干し、羊羹でエネルギー補給。気持ちを落ちつけるべく預けていたペットボトルの珈琲で珈琲ブレイク。制限時間との戦いもあるので、5分だけ座って休憩。脱水対策のために緊急用に預けていたOS1のペットボトルをザックのフロントポケットに収納しいざ出発。ここで1kmあたり7分の速度に落ちてきたので、12時間ほどで到着するプランBに変更。脱水から復活する為に、OS1を少しずつ飲みながら進みます。
 帰りは、走って来た土手をひたすら戻るコース。でもその前に五霞町の周辺を少し走ります。周りを見渡すと水田に映った夏のような雲と青空が綺麗。そんな綺麗な風景を眺めながらも、65km地点でガクッとスピードが落ち1km9分かかるという恐ろしいペースに。ウルトラマラソンでは潰れても、エネルギージェルとドリンクを飲んだりしていると復活することがあるので、それを信じて手持ちのエネルギージェルとOS1を補給しつつ、そこから20kmの地獄を耐えることに。さらに問題としては、左足の股関節と太もものあたりに力が入らなくなってきて痛い。給水で立ち止まると、走り出しが痛い。途中救いだったのが、スズメが5羽ほど数メートル先の道にいて、スズメに追いつくと、スズメが飛んで数メートル先に。また追いつくと数メートル先にという追いかけっこを繰り返しました。おかげで良い気分転換に。
 その後、土手に降り注ぐ太陽の光と、向かい風に耐え(潰れているときに向かい風が吹くと本当に進みません)、途中プレスの方に潰れている様子を撮影されながらも走り続け、復活の時が85kmを超えてやってきました。身体が軽くなり、痛い箇所もあまり文句を言わなくなり、ペースアップ。
 そこからは給水所で立ち止まると、走り出す時に左足が痛いため、持っていたOS1のペットボトルに給水所でスポーツドリンクを入れ、止まらずに残り15kmを急ぎました。日没には間に合わないけれど、12時間半にはおさまる。その思いで走り続ました。そして2km手前でエネルギーが切れそうになりエネルギージェルを胃に流し込み、ラストスパートらしき物(後で家族の動画を見たら全然前に進んでない)をしました。ゴールの手前でDJの方に名前を読んでもらい、「お帰りなさい」と言われてゴール。ゴールゲートを通過してメダルを首にかけてもらいました。ゴールできて良かったとほっとした気持ちになりました。ただただ安堵感です。
 ゴール後、着替えようと更衣室に。しかし更衣室では足が棒になり、着替えるのがやっとの状態。周りのランナーも身体が痛そうに着替えているのが印象的でした。
 柴又駅に帰る途中では帝釈天へ至る参道はまだ明るく、お汁粉を振る舞ってくれているお店が。そしてお汁粉が入っている鍋の下には無料の文字が。その文字に引き寄せられ、ありがたくお汁粉をいただきました。

12時間ぶりのジェルと羊羹以外の食事です。疲れた身体に温かいお汁粉がしみわたりました。お礼を言い宿泊している押上のホテルに帰ると、スカイツリーの開業10周年ということで特別な色に光っておりました。

スカイツリーを見上げながら、今年の柴又100Kが終了。終わってしまうとなんだか寂しいものです。そして翌日案の定、階段の上り下りが大変になっておりました。
 さて次の目標は10月の水戸黄門漫遊マラソン。でも1ヶ月くらいはゆっくりしていたいです。

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