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「枠から人へ」が見逃してしまったこと。

消費者のプライバシー保護の観点から、近年インターネット広告でのクッキーの使用制限が議論されている。

クッキーの制限について

クッキーが使えなくなると、各種のデータ(消費者のWeb行動データ)を元にした詳細なターゲティングができなくなる。例えば、特定のサイトを閲覧した人に対して、そのサイトに関連する商品の広告を別なメディアで掲載するとか、そういった広告手法ができなくなるのだ。一度サイトに訪問しているということは、そのサイトに対して興味があると考えられるため、別のメディアを閲覧している時にそのサイトに関する商品の広告を掲載するとクリックしてもらえる可能性が高い。つまり、広告出稿の効果が高いと考えられるし、さらに実際にクリックしてもらえる回数も増えるので効率も良いと考えることができる。最近のネット広告ではそんな手法が人気だったりする。

クッキーの登場以前

マスメディアでの広告出稿の時には、もちろんそんな行動データを使った広告出稿はできるはずもなく、ではどうやっていたのかというと広告を出したいターゲット(人)を考え、その人が見るであろうメディアやメディアコンテンツに用意されている広告スペース(広告枠)に広告を出稿していた。広告ターゲットから広告枠を選定し、その広告枠に広告を掲載していたのだ。

したがって、マスメディア時代には「広告枠に広告を出稿した」といった感覚が強かったのかもしれない。それが、ネット時代になると、広告ターゲットを設定し、そのターゲットの各種データ(各種IDやWeb閲覧行動データ、購買データ等)などを使ってターゲット(人そのもの)に対して広告を配信するという手法に変わっていった。

これが、デジタル時代の広告手法の考え方として「枠から人へ」といったスローガン的な考え方を産んだのではないだろか。

枠から人へができなくなる時代

ところが、冒頭にも書いたように「人へ」という広告配信を成立させていたのがクッキーを活用したテクノロジーであって、それが今度は使えなくなる。要は「枠から人へ」なはずだったのが「人へ」ができなくなるのだ。

さて困ったデジタル時代の広告なのだが、最近登場してきた考え方がポストクッキーとコンテクスチュアルターゲティングという考え方。何かというと、ポストクッキーというのは、ぶっちゃけていうとクッキー以外のテクノロジーを活用して消費者のデータを収集(例えばIDを統合するとか、AIを活用するとかなんとかしてユーザーを識別)し、それをベースにターゲティングを行なっていこうという発想。一方、コンテクスチュアルターゲティングというのは、消費者がWebを閲覧したという事実だけではなく、消費者の閲覧に至る興味や関心などに着目をし、そのWebを閲覧しているコンテキスト(文脈)に合わせた広告配信をしようとするもの。

ところがここで違和感を感じるわけです。

ポストクッキーに感じる違和感

まず、ポストクッキーについては、そもそもクッキーを使わないようにするというのは「個人のプライバシー保護」の視点からそういう流れになったんだよね?という点。つまり、消費者は様々なデータを提供したくない、個人を識別されたくない、そもそもするべきではない、からクッキーの利用をしないようにするというのが原点だったはず。なのに、また何か他のテクノロジーを利用して個人の情報を収集しようとするのは本末転倒であって消費者に対する裏切りではないのか?といった違和感。

コンテクスチュアルターゲティングに感じる違和感

また、コンテクスチュアルターゲティングについては、新しい概念というものではない。検索連動型広告という手法が現れた時にコンテンツ連動型広告という手法があった。検索エンジンであるGoogleらしい広告メニューで、要はWebページをクローリングしてインデックス(ページの内容を自動で分類して格納すること)する際にページの内容を判断しておき、ページ内容に合わせた広告を出稿するというメニューだった。検索連動型に押されて注目されなくなってしまった印象があるが、また注目され始めたというかんじ。

理想的な進化した考え方のように見えるが、実はマスメディア時代はそもそもコンテクスチュアルターゲティングだったんじゃないか?と思う。どういうことかというと、マスメディア時代のメディア選定は、ターゲット設定→ターゲットの趣味嗜好・ニーズにあったメディア選定、が基本なわけで、たとえば、30代サラリーマン中間管理職といったターゲットを設定した場合、そのターゲットが見るであろう新聞・テレビ番組・週刊誌がまずピックアップされる。次に、そのターゲットとプロモーションを行うブランドを十分に考慮しながらどこのページに設定されている広告枠に出稿するのかを判断する。つまり、30代サラリーマン中間管理職であれば、日経新聞の経済面は読むだろうし、日経ビジネスやダイヤモンドを読む可能性も高いと考えられる。もちろん、見るテレビはテレビ東京のワールドビジネスサテライトだ。

これは何で判断しているかというと、メディアコンテンツの内容を判断しているわけで、その結果上記のメディアには、30代サラリーマン中間管理職の興味を引くような、ファミリーカー、株式投資、ITセミナーの案内、旅行、ビタミン剤や成人病予防の広告が集中することになる。読者の視点から見てみると、日経新聞で経済記事やM&Aの記事を見ている中で投資関連サービスの広告が出てきたり、ビジネス書の新刊の広告が出てくる。日経やダイヤモンドには30代向けの健康情報の記事をも載っているのでその周辺では成人病予防のサプリの広告が出てくるし、当然新車情報の記事もあれば、おすすめの温泉地の記事があるので、トヨタやANA/JAL、ホテルの広告が出てきても全く違和感はない。データをさほど活用していないものの十分にコンテクスチュアルターゲティングであると考えられる。っていうか、メディアプランニングとは本来「広告の受け手である消費者にとって、ニーズや状況に合わせて自然に受け取ってもらえることを目指す」コンテクスチュアルターゲティングなのだとも言える。

「枠から人へ」の功罪

こんなことをつらつらと考えていると、「枠から人へ」といったスローガンで、データを活用しながら個人を識別し、その人に対して広告を配信するという手法が、広告を考えるにあたって実は大切なことを見逃してしまっていたのではないだろうかと思えてくる。

「枠から人へ」というスローガンは、消費者にとって本来渡したくないWeb行動データを何とかして取得することとなり、同時にそれを利用する手法が発達した。さらに企業にとっては広告を配信したいターゲットであることだけを重視し、その広告を受け取る消費者の受け取るべきタイミングを考慮しない広告配信という状況を生んだのだ。そりゃ、たしかにターゲットなのかもしれないが、ターゲットであるというだけで、いま見ているWebコンテンツやTPOに無関係に所構わず広告が出てきちゃ「いまは、それじゃない」「うざい」「やめろ」「嫌いだ」と言われてしまっても仕方がないだろう。消費者のネット広告に対するネガティブな印象も、だいたいこんな感じだ。

そんなんじゃ「好かれるネット広告」なんていっても無理。タイミングの悪い迷惑なラブレターを頻繁に送りつけてくる相手を好きになれるわけがないし、好きだったとしても嫌いにすらなるだろう。

広告を使った企業と消費者のコミュニケーションとは

確かに、今までネット広告業界を風靡してきたクッキーを使ったリターゲティングなどの手法が一気に使えなくなりネット業界に激震が走るとか言われている。当然困る人も出てくる。しかしそれは、広告配信しようとする側が自分たちにとって都合の良い利便性や効率を追求し、本来向き合うべき消費者を置き去りにし、真摯に向き合ってこなかった結果ではないだろうか。そのような状態で「好かれる広告とは?」とかいう議論をいくら続けても、そりゃ好かれっこない。「広告が好かれるため」には、広告の受けてである消費者のことを真摯に考え、広告出稿する側の都合(予算や効率、社内事情等)だけで広告出稿を決めない、ってことなんじゃないのかと思う。

ここらで、きちんと冷静に広告を使った企業と消費者のコミュニケーションというものはどういうことなのか?を一からきちんと考え直す時期にきていることは確かだといえる。

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