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"Tango macondo" - Paolo Fresu

心がざわつく11月。ざわつきは数週間ずっと抜け切らず、その影響で眠りが浅くなる。だが眠りが浅いと体のどこかが警戒モードを発動するので、かえって神経がぴりぴりと尖がって来る。
普段は遠くに聴こえているものが近くに思えたり、塀の上を歩く猫の、コンクリートと肉球の触れ合う音がとても近くに聴こえて来たり、複数の現実が折り重なるように私は幾つもの世界を同時に生きているような錯覚に陥って行く。

世界は混沌としながらも、必死で前へ前へと歩を進めて行く。だがそれも惑星レベルの動きに比べれば何とも小さく、吹けば呆気なく飛んでしまう綿埃のように人間は為すすべもなく、誰もが今日一日を生き延びることできっと必死なのだ。

心を緩めたい音楽もあれば、逆に緊張と高揚へと誘(いざな)う音楽も現れる。丁度今日の私がそうであるように、Paolo Fresu のトランペットの音色が私の、直前の過去世の地「トスカーナ」の風景を想起させる。

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美しい思い出はいつも、どこかくすみを帯びるものである。四方が少しだけ黒ずんでいて、あり得ないような色彩感で心を制覇し、押し潰す。そのやわらかな重量感がなおも私を、過去へ過去へと押しやるように少しずつ重くのしかかる。

それまでは職種ゆえ余り好きになれなかった「カンツォーネ」や「イタリアン・ポップス」等が段々と好きになって来たのは、魂の帰巣本能がそうさせると言うよりは音楽が、私よりも私のことを本当は知り尽くしているからだと最近思うようになった。

そんな折り、アルバムTango macondoの方から私におずおずと近づいて来て、背後からぎゅっと私を抱きしめた。それはまるでイタリア男がするような小狡い多幸感を帯びながら、低い声で「アモーレ!」と囁きかけて来る。

そう言えば10年近く前に今世で再会出来た「過去世の弟」とは、あることからずっと会えていない。会えたと言ってもSNSのメッセンジャー越しのことだから、双方の居住地の長い距離を超えるにはまだ多くのプロセスを経なければならない。
恐らくきっとこのまま、私たちは実際に目を見て会えずに今世を終えて行くことになるだろう。そう、あの時互いの存在を確認出来ただけで私たちの目的は達成された。それだけで今世は良いのだ。

このアルバムのクレジットには Paolo Fresu を含む三人の音楽家(Paolo Fresu, Daniele Di Bonaventura, Pierpaolo Vacca)の名前しか記載されていないが、冒頭のタンゴAlguien le dice al Tango』(曲: Astor Piazzolla / 詞: Jorge Luis Borges) から悩ましく心を掻きむしって来るこのピアノの音色は、一体誰のものだろうか?

あくまで推察に過ぎないが、おそらくこの音色はスウェーデンのジャズ・ピアニスト「ヤン・ラングレン(Jan Lundgren)」ではないだろうか‥。
 

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20年前にこの人に出会っていなくて、本当に良かったと思う。絶対私、この男に惚れてまうやろ‥ と心の中で乾いた微笑みを浮かべられるのも、私がもう57歳になったことや今の夫や家庭を199%愛してやまないからだ。

‥とTango macondoで渋いピアノの音色を炸裂させているのがきっと「ヤン・ラングレン(Jan Lundgren)」に違いないと言う勝手な憶測が、段々と確信に変わって行くのだから、これはもう恋の病と言う厄介なあれを患った可能性が大だ(笑)。

でもよくある「映画の中の役を好きになった」ような感じで、素に戻った「ヤン・ラングレン(Jan Lundgren)」ではないそれは別の人。
音楽を奏でることは、役者が役を演じることによく似ていると思う。その瞬間の世界は煌めく照明に彩られた別の世界で、演奏者はその別世界の中で新たな生を授かり、その生は音楽一曲分と言う短いスパンで生まれたり消えたりしながら夜を越えて行く。

それにしても Paolo Fresu のミュート・トランペットはなんと切なく、そして乾いているのだろう。散々泣きはらした女の頬の余熱を思わせる。
あんなに泣いても泣き足りなくて、だけど瞼も涙も涸れ果ててしまい、横隔膜だけが小刻みに震える以外の余力などもはや残されていない‥。幼い私はとある事情で、成人になるまでの多くの時間を泣きながら過ごしたことを思い出し、苦悩や苦痛を通り越して新たに誰か別の人の「諦め」を吸い込んだような焦燥感に苛まれる。

だから私はこんなに大好きな Paolo Fresu の音色には、不用意に触れないように気を付けている。

アルバムTango macondoにはなぜか分からないが、とてもケルティックな楽曲が複数インクルードされている。それがイタリアよりもスコットランドの大地を想起させ、長く聴き過ぎると前後不覚に陥りそうになる。
大地から魂の軸が吹き飛ばされぬよう、時折右腕を上唇で噛むようにしながらそれでも私はこのアルバムを、今日は三周も聴き続けている。

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Paolo Fresu1961年2月10日 (年齢 60歳)
イタリアのジャズトランペッター及びとフリューゲルホルン奏者、作曲家 兼 編曲家。


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