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短大の授業

『人を成長させるのは、純粋な孤独である。孤独の時こそ、内なる声を聴くことができるのだ。』(トランジション/ウィリアム・ブリッジズより抜粋)

在職中から通っている短大の今の課題は、『人生の転機について考える』というもの。

その授業で使われている教科書に、上記の一文が記載されていた。


私は幼少期からずっと、常に誰かといた。誰かの為の自分だったから。

ひとり行動が好きで、高校生の頃から1人で行動するようになっても、あの頃は自分のことを考えられる余裕は持ってなかった。
ずっと、死について考えてた。

卒業してもそう。ずっと、誰かの為の自分だったし、早く死にたいとばかり思ってた。
一人暮らしを始めてからは、彼氏を1年ごとに取っかえ引っ変えして、自分の存在意義を見つけようとしていた。
(これは、毒親から植え付けられた、"誰かの為の私でないといけない"という思い込みだったんだなと後になって気づく。)

旦那に出会った(26歳)頃に付き合っていた彼氏が酷すぎて、いろんなことに気づいて、ようやく吹っ切れて、誰かの為の自分をやめようと思った。自分の気持ちを大事にしようと思った。
そして、次はこういう人と付き合おう。そんな人に出会えるまではもう恋愛をやめようと思った矢先に旦那に会った。
これはホント、すごい偶然だと思う。

今、私は人との繋がりを絶とうとしている。
それをする為に、9年勤めた会社を退職した。

そして、ひとり、車中泊で四国を一周する旅に出てみた。

人間が必ず通る成長の道
私は、多くの人よりその道に辿り着くのが遅い。
それはずっと思っていたことだけど、どうすれば辿り着けるのかわからなかった。

旦那に出会った頃、たぶん私は、ようやく自立の階段を登ったんだと思う。

全肯定してくれる旦那のおかげで、それまでできなかった、『やってみたいこと』を何でもやった。
そして、自分がやろうと思えば何でもできることを知った。
そして、やろうと思っても、それができない人もいることを知った。

手当り次第、やってみたいことをやってみて、私は今、『その中で、自分が追求したいこと』は何かを考える段階にいる。

それと同時に、『自分の内なる声を聴く』段階なのかもしれない。
というか、周りを度外視して『自分が追求したいこと』『自分が本当にやりたいこと』を考えるってことが、『内なる声を聴く』ってことなのかな。

自分はどうなりたいのか
自分が求めていることは何なのか

周りを度外視する為に、孤独が必要ってことなのかな。

高校卒業してからずっと、寝る間も惜しんで、時間関係無く働いていた私にとって、仕事をしない、収入が無い、ということがどうしても耐えられなくて、仕事を探してしまうのだけど、今この、何もしない時間というのが、私の人生には必要なのかもしれない、と授業を受けていて思った。

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