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中古品には前世がある

リサイクルショップが好きだ。ただ見て回るだけでも楽しい気分になれるし、何となくだらりとした店内の雰囲気も肌に合っている。

リサイクルショップの商品には、当然前の持ち主がいる。その人がどんな人かは分からないし、その物をどんなふうに使ってきたのかも分からない。分かるのは、今ここに現物があって、それが使える状態だということだけだ。そしてこれらの商品は、売れれば次の持ち主に渡る。どんな人が買い、どんな使い方をするのかは完全に不明だ。こういった事柄は、今店にいる僕がその物を観察しても知ることができないという点なども含めて、前世や来世にちょっと似ていると思う。

そんなわけで僕は、リサイクルショップに置いてある中古品の前世?をよく想像する。

例えば今、楽器コーナーに緑色のマンドリンがある。このマンドリンはどんな人が売ったものなのだろう。困窮したマンドリン奏者が、次の日のご飯のために泣く泣く売ったのかもしれないし、単に全く弾かずに壁飾りになっていたものを売っただけかもしれない。いずれにせよ、楽器を売るというのはそれなりのステップだと思う。例えばそれは、音楽を辞めるという人生のターニングポイントだったかもしれない。また、それほどではなくても、その楽器の演奏を諦めることだったかもしれない。あるいは、楽器を買ってそのまま三日坊主に終わったダメな自分を誤魔化さず、きちんと向き合った結果かもしれない。あるいは、努力して演奏が上達したことで、より高級なものを買ったからこれを売ったのかもしれない。

そんなことを想像していると、なんだかそのマンドリンが欲しくなってきて、マンドリンを優雅に弾く自分を想像してみたりする。良いなと思う。でも、アパートの壁は薄いし、もうウクレレもエレキウクレレも持ってるし、と思い至ってやめる。

リサイクルショップの、だらりとした雰囲気について考える。前世と来世のあいだで物が眠る場所。リサイクルショップは物の死後や生前の世界なのかもしれない。自分の死後や生前も、そんなふうにだらりとしていたら良いな、と思った。

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