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肺ガン先輩のお話を聞きに

昨年、おじゃました時にガンにかかったと言うお話をしていた知人を訪ねました。そして、今日、初めてわたしと同じ肺ガンだと教えてくださいました。家族にも話をしないまま手術に臨み、切除をし、残った部分については投薬で生活しているとのこと。仕事も、これまでと同じようにこなし、新しいチャレンジもされています。

やはり、わたしと同じように生き仕舞いを考えたそうです。

「会社のこと、残された家族へのメッセージなど。でも、もうすぐ1年になるけれど、何も進んでいないんだよ。」と。

「落ち込むこともないし、不安に思うこともない。生きるために必要なことを今日もやっている。検査にしても、手術にしても、もう、まな板に乗った鯉になるしかない。あれこれ考えても、仕方がないからね。」

わたしより、あっけらかんとしている知人の言葉に、なんだか救われました。   家族に打ち明けない、そう言う選択もあるな、とも。

そして、うっかり余命が○○と言う話をしてしまったら、打ち明けられた友人たちはきっと戸惑うでしょう。これまで頻回にとっていた連絡も、気づかって、とってくれなくなるかもしれません。それは、とても寂しい。

そこで、今日、決めたこと。

①検査はともかく、素直に受けること。・・・少し迷っていましたから。

②家族には、検査の結果が出てから話をすること。・・・本心はすぐにでも相談に乗ってほしい。でも、それはあまりにも自分勝手なことだと。

③友人たちには、話さないでいること。・・・これまでと同じようにお付き合いをして欲しい。身体を気づかって、距離ができるのは寂しいから。

知人が言うのです。

「いずれ、人は逝く時がくるんだから、それが少し早くなったくらいのこと。でも、余命宣告を受けても、長く生きている人もいる。誰にもわからないことだから、くよくよしても仕方がないよ。」

わたしは、くよくよしているのではないのですが。この先、体調が悪化した時、自分はどのようなケアが受けられるのか?または受けないのか?

きっと、その時その時の判断になるのだと思います。元気で動けるうちは、仕事も友だち付き合いも、今までのようにいたしましょう。

ただ、片付け(家の)だけは、これまでの数倍がんばらなくてはなりません。何があるか本当にわからないから。それは、告知を受ける前も後も同じですけどね。

清しき家に天使が舞い降りる 

肝に銘じて。

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