【不安な未来】なぜドラッカーは日本人に繰り返し警鐘を鳴らしたのか?
ドラッカー『プロフェッショナルの条件』を読む
ドラッカーはなぜ「明治維新」に驚いたのか
ドラッカーの入門書として初めて日本発で企画され、世に送り出されたのが、『プロフェッショナルの条件』。本書の冒頭では、「日本の読者へ──モデルとしての日本」と題したメッセージも綴られているが、こんな書き出しで始まっている。
本書の担当編集を務めた中嶋秀喜氏はこう語る。
「ドラッカーさんと日本との出会いは、1930年代のロンドンでした。雨宿りで近くのビルにたまたま入ったら、日本の絵画展をやっていたんですね。そこで、それまでまったく意識したことがなかった日本の美術について見ることになり、魅せられたんだそうです」
室町時代の水墨画や禅画だった。僧侶が描いた直感的な絵にドラッカーは強い関心を抱く。後に、水墨画のコレクターとなった。実は千葉市美術館で、彼のコレクションを見ることができるそうだ。
「それで日本の歴史や文化を調べて、まず驚いたことがあったんです。明治維新でした。日本をひっくり返すような一種の革命なのに、それほど大きな血が流されなかったからです。ヨーロッパの血塗られた革命に比べるとまったく違う、と」
もしかすると、とんでもない民族なのではないか、という思いがドラッカーの中に浮かんだのである。
日本人に向けて繰り返した警鐘
そして第二次世界大戦で日本は敗戦、都市部は焼け野原になったが、ここからまた日本はドラッカーを驚かせる。戦後の急激な復興である。中嶋氏はいう。
「モノが何もないにもかかわらず、わずか10数年で一気に高度成長していった。そうした日本の国民の心のバイタリティに魅せられたんです。このことは、いろんな原稿で書かれています」
本書の冒頭の「日本の読者へ」にもこうある。
ビジネス界にもっとも影響力を持つ思想家からの、これは最大の賛辞ではあるまいか。それほどまでに、ドラッカーは日本を評価してくれていたのだ。しかし一方で、もう20年以上も前からドラッカーは日本に警鐘を鳴らし続けていたと中嶋氏は語る。
「日本の読者に繰り返しドラッカーさんが言っていたのが、成功体験は仇になりかねない、ということだったんです」
うまくいってしまったがゆえに、陥る危なさがあったのだ。
「変われない日本」が苦境を抜け出すためのヒント
本書の刊行から20年以上が経ち、ドラッカーの警鐘は現実のものとなってしまっている。成功体験の呪縛にさいなまれ、変われないままに長い時間が過ぎた。失われた20年とも、30年とも呼ばれる閉塞した時代が、今なお日本を覆っている。
20年前の本だが、もしかすると今こそ、この本を読むべきなのかもしれない。
亡くなるまで、ドラッカーは変われない日本を心配していたという。しかし、では、どうすればいいのか、は語らなかった。中嶋氏はいう。
「ドラッカーさんは、こうしなさい、とは言わないんです。最終的には、自分で行動しなさい、なんですよ。行動の仕方は人それぞれですから。10人みんなに、同じようにこうしなさい、とは言えない」
どうすればいいのかは、一人ひとりが考えなければならないのだ。そこにこそ、日本が苦況を抜け出す鍵があるのかもしれない。新しい社会の主役は誰か、強い組織に何が求められるのか、成果をあげる能力とは何か、意志決定の秘訣とは、リーダーシップの本質……。本書には、そのヒントがたくさん隠されている。
(本記事は、『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』の編集者にインタビューしてまとめた書き下ろし記事です)