Archives 16歳1か月時の試論 『(一つの)新たな直観によってそれ迄のいくつかの思考をいくらか結合させた総合的な(諸)問題に対する概括的な試論』
『我々は、各自固有なベクトルの帯の内部に生きている。我々が知り得るどんなこともそのベクトルの内部より超出することはできないし我々の知り得るどんなこともその存在要因を我々の存在するベクトル以外に求め得ない。従って我々は何も真に知り得ない。しかもこのベクトルを測る規準などどこにも存在しないのだから我々はあるいは無限である全体の中における有限であるかも知れぬし、虚無であるかも知れぬし、あるいはそのどちらでもないかも知れない。我々は我々に固有な“生成の内部における生成のベクトルの内部”より超え出ることは永遠にできない。人類の全ての歴史がすでに一つのベクトルであるのだから、我々は永遠にある一定の量を超え出得ない。我々のベクトルを否定することは同時に我々を否定することだからである。
我々が知り得る時間的・空間的な幅と大きさは限られている。我々は未来を予測することは出来るが知ることはできない。未来を知ること(仮定として)は自らのベクトルの否定であり自らの否定である。我々の未来は常に現在に流れ込む。未来は常に現在であり現在は常に過去となり得るが我々は未来を知ることができぬように過去と現在をも知り得ない。我々は未来と現在と過去とをどこで分離するのであろうか。おそらくベクトルの流れを停止することができたときに初めてそこに瞬間が現在しそこに過去と未来が彼方に広がるであろう。しかし過去と未来は存在してはいない。そして現在も存在してはいない。(現在という概念が成立しないという意味で。)そこには瞬間だけが在る。それは瞬間である。我々は瞬間を理解することによって初めてその瞬間より派生する全ての連関の機構を、その一地点より来るもの(流れ)、及びその一地点にいたるもの(流れ)を理解するだろう。
その瞬間を唯瞬間それ自体として我々の生成の流れの停止の中で、即ち瞬間の完全な移動のない存在の凝視において初めて我々は我々の組成を、そして創造の過程を、また全ての連関を知るのでありそこで初めて瞬間が永遠と融合するのである。それは同一の瞬間の永遠の持続である。それはある空間内における“時間の存在化”であり、同一の瞬間内における全ての存在の連関的意味の理解であり、そうすることなしには我々は真に連関を、つまりすべての組成と創造の過程を完全に知ることができない。
もしそれが可能ならば、我々は我々を知り得ようが、それは不可能である。従って、瞬間を独立に取り出すことができない以上、我々は何も完全には知り得ないか、あるいは何も知り得ない。我々はある固有なベクトルの内にある。それは全宇宙の時間、及び空間の内部のいずれの時間、いずれの空間であるのかは解らないしまたそれはいずれの時間、いずれの空間であってもさしつかえないが、我々が全体を知り得ないのと同様に少なくとも我々のベクトルの全体だけでも、また自己の固有の生存のベクトルのみでも完全には知り得ないのはそのベクトルを個々の瞬間において停止させて考察することができないがためである。我々は常に変様している。我々の存在は変化し、従って存在に対する思考も変化する。世界は変化し世界観も変化する。しか
しそこには根源的な連関があるのである。先に述べたように我々はそれを完全には理解し得ない。それは不可能である。しかし我々は予測することができる。また推定することができる。そしてそれだけが我々に残された唯一の道である。
注)ここで扱われる瞬間を単に時間的な意味で受け取ってはならない。あくまでも瞬間の内部の総合的な全体を意味している。また瞬間は完全に連関的であるとともに完全に自己完結的であり、それゆえ永遠的である。
問題点:瞬間あるいは瞬間の無限の持続である時が全存在を包み込むと同時 に時が存在(eg.人間)内の最も重要な構成要素であること(時の定義). 存在(eg.人間)内の要素あるいは存在の組成・形成のための根源的な存 在である時と空間の関係(融合されたものとしての).
“連関”の存在規定.
訂正:未来はどこにも存在しない.(全宇宙においても規定され得ない)
現在は瞬間に還元される.
過去という概念も規定できない.
過去は存在内における個々の瞬間(それぞれ自ら現在化している)に還元される.
現在化の規定は現在という規定し得ない概念に基づくのではなく個々の瞬間に基づく.』
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