『論語』の「礼」 孔子は「道徳」を超えていくことを目指した

画像1 「道徳」はどのような言動も自分自身のポジションへと至る手段と考える病理を持つ。孔子『論語』の「礼」はそうした罠に陥ることへの実践的な予防策または最後の堡塁と考えられる。ただしこの「礼」は「挨拶」程度のミニマムな振る舞いに限定されると思われる。こうした多分孔子自身があれほど厳しい時代を生き抜く上で必須のものとしたミニマムな「礼」を欠くと、孔子のエッセンスを完璧に捉え損なった総ての「道徳の徒」によって瞬時に「無礼者」「道徳を欠くバルバロイ」として少なくとも社会から抹殺される。孔子の時代なら文字通りに。

よろしければサポートお願いいたします。頂いたサポートは必ず活かします。🌹🌈🎁