道徳と独在性①

画像1 この場合言語と理性の水準が対応している。当然ニーチェ もそこで「語っている」。カント的に言えば道徳は理性的でしかあり得ない。ニーチェの『道徳の系譜』もあたかも初めから計算可能な負債の(同時にそれを受肉する人間の身体の)等価交換(たとえそれが「記憶」や「約束」を創出する残酷極まりない行為という物語の形を取っているとしても)があったかのような創設神話をアダム・スミスと共有している。

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