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マインドフルネスと睡眠ー脳に効果的な休み方

はじめに

15年住んだタイ北部のチェンマイから南のホアヒンに引っ越して、半年がたちました。そして引っ越ししてから初めて、南での熱期が来ました。

タイの気候は四季ではなく、熱期・雨季・乾季の3サイクルです。北は亜熱帯なので、11月~2月の冬にあたる乾季は気温が下がり、3月に突然ぬるい風が吹いてくるとグッと気温が上昇します。ですが南では様子が違うようで、そんなに気温が下がることなく、30℃前後の過ごしやすい気候からいつのまにかじわじわ気温が上がり、気づかないうちに暑くなり茹でガエルのようになってしまいました。

わたしは思った以上にバテてしまったようで、体もマインドも全然ついていけずに、ここのところちょっと溶けたアイスクリームみたいになっていました。そして実は今年に入ってから無料の瞑想グループにて毎朝6時からサティパタナ(マインドフルネス瞑想)をシェアしているのですが、時差が2時間あるのでこちらは朝4時。それが原因なのかな、と思いました。日曜はふらふらしてしまって、とうとう朝の瞑想もお休みしてしまいました。

「何をしているときも休んでいる」ってどういうこと?

そこで何か察したのかここ数日、指導していただいている先生や僧侶の友人が連絡してくるので「正直きつい。日中全然頭が回らない。」と弱音を吐いてしまいました。するとみな口を揃えて「休みなさい」というのです。でも仏教哲学的な「休み方」はわたしたちが普通に考えるそれとは違って、とても面白いので今日はそれをシェアさせていただきます。

① 「何をしているときも、休んでいなさい」
② 「休んでいる状態でいなさい」
③ 「あなたは休み方を知っているのに、休んでない」

そう言われたのですが、みなさんどういう事かわかりますか?原因はわたしが「休めていない」ことにあったのです。

それでわたしは「睡眠時間を増やしたいとか、8時間寝たほうが良いかも」と普通の考えを言い、人間は7~8時間寝たほうが頭もよく働くし、免疫力も上がる、という普通の話をしました。すると「お坊さん」たちは口を揃えてこう言うのです。

「基本的なことを思い出してください。全部マインドです。睡眠時間は関係ありません。身体が回復するのに平均8時間の睡眠が必要だというのであれば、その原因はマインドの活動ですよね。休まなければならないのは身体ではなくて、マインドです。マインドが充分に休まっていれば、頭は働くし、免疫力も上がります。

寝ても根本的な問題解決にはなりませんよ。あなたのマインドがナマ・ルパ(固有名詞・固体)にこだわって普通の考えに傾いているから、振り回されて休めないのです。朝4時に起きて9時に就寝するのは仏教に限らず行のスタンダードですよね。不十分なはずはないのです。それにあなたはリトリートの時は一晩中起きてても平気じゃないですか。」

そうですね、それでも体が辛いのでわたしは普通の考えからの正論を言い返してしまいます。

「でもリトリートって行と掃除以外何もしないじゃないですか、だからどんどん睡眠が必要なくなってきますけれど、日常生活では子供がいたり、仕事をしたり、人と関わらなければならないですし、煩わしいことが多くてそうはいかないでしょう?」

先生「何のために行をしているのですか?」
わたし「…日常生活のためのです。」
先生「だったら日常で休めるように気をつけていなさい。マインドを常にどんなときでも休んでいる状態にしなさい。」
わたし「(絶句)。」

効果的な休み方とは、睡眠をたっぷり取ることではなく「いつも休んでいること」だというのです。

マインドが休んでいないと内観は起こらない

「いろいろなことをしながら同時に休んでいろ」と言われてもピンとこないかもしれません。まずはじめにどうしたらマインドが休まるのか分からないですよね。

いきなり動きながら休むことはできないので、まずは今流行っているような「一点に意識を集中する」マインドフルネス瞑想からはじまります。実践してマインドが休まっている状態の体験を積み重ねていきます。まず呼吸に意識を置いたり、呼吸を数えたり、ひとつの対象物に意識を置いたりという基本的なシャマタ瞑想を練習して、マインドが休まっている状態を体験し、慣れていきます。

テラヴァーダ(上座部)のヴィパッサナーは突然内観に入ると捉えられがちですが、ほとんどの先生がただ呼吸に意識を留めるアナパナサティからはじめます。もちろん呼吸を「観察」しているのですが、呼吸を瞑想の対象とし、意識をどこか一点決めたところに留まって呼吸を観察することで集中力を養います。なのでシャマタ瞑想とは呼ばれませんが、シャマタと同じ鎮静効果が起こります。

鎮静してはじめてマインドがどうなっているのか見る余裕が出てくるので、小学校の理科の実験でやったジャガイモを摺って絞った水のデンプンと上澄み液が分かれるのを待つように、まずはかき混ぜたりせずにじっとマインドが鎮静するのを待ちます。

「内観」というと自主的にマインドを見るという感じがしますが、実際のヴィパッサナーでの内観は「起こる」ものであって、「する」ものではありません。マインドが静かになってくると、本質的なものが勝手に顔を出すというもので、自我で見て自我で解釈するのは実は内観のうちに入りません。内なる静けさに熟考することも「ヴィパッサナー」に至るひとつの過程ですので否定はされませんが、厳密に「ヴィパッサナー」の状態ではないということです。

ヴィパッサナーという言葉も「ヴィ」は普通の外側という意味です。「パッサナ―」は見るという意味なので「普通じゃない見え方」ということになります。だから普通の考えの内側にいたら、ゴチャゴチャしてデンプンが舞って、なかなか見えてこないものです。デンプンが沈殿し、上澄み液の向こう側が見えるのがヴィパッサナーです。

マインドフルネスの状態だとマインドはいつも休んでいる

このひとつの対象物に集中する行為は疲れることではありません。マインドフルネスという言葉を検索すると、「今ここに意識を集中する」と書いてあるので、「全然集中できません!」「瞑想すると疲れる」と時々言われますが、ここでの集中はひとつの対象物に「休んでいる」、つまり腰を下ろすようなものです。ずっと歩いている途中でちょっと歩くのを止めて座る、みたいな感じで、がむしゃらに何かに集中することの真逆にあります。

だからラス・デイヴィスは「サティ」の訳に困ったのだと思います。普通に「アウェアネス」だと力みすぎ(笑)だから「マインドフルネス」という言葉を作ったのでしょう。

それで最終的にはずっと座って歩かないのではなく、歩いているときも、座っている時のように「休んでいる」まま歩くようになるのです。これが集中(サティ)の基礎です。そうすると余裕ができて、意識は何をしているのか、ということに落ち着いて興味を持つことができます。

そういった本質的なことに興味が持てるようになってくると、「集中」もどんどん洗練されていきます。その段階を経て内観=普通じゃない見え方が起こる条件が揃っていきます。

睡眠時間が長く必要な時は、マインドが濁っているサイン

ということは、集中すればするほど、マインドフルであればあるほど「休んでいる」ということで、たくさん寝なくてもいいということです。いつもはタイでのんびりしているわたしですが、今年に入ってからは日本の方々とたくさん関わる機会が増えて、何かがむしゃらなところがあったのかもしれません。それがマインドフルネスから遠のいた「集中」になってしまって、どこか緊張して休むことができなかったのです。何か逆戻りしていました。

普通に考えるとおかしな話で、みなさんも科学的に8時間睡眠を取ると脳が回復して集中力が上がるという話のほうが馴染みがあるかもしれません。でもなぜ睡眠が8時間必要か、という問いかけに身体や脳を通してエネルギーを消費している「マインド」が考察されていないのが現状です。

実は先生方から改めて話を聞いて、はっとしたその瞬間に力が抜けてスーッと元気になりました(笑)こうして文章を書いているときも、何をしていてもどこか「休んでいること」これが「気づき」の基本的状態です。

もちろん子供は成長しているので10時間くらい寝てもいいと思うのですが、わたしたち大人に睡眠時間が長く必要な時は、本質を忘れてしまいマインドが濁っているサインなのでしょうね。


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