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サッカーを通じて社会で通用する人材を育成してるのか・それともサッカー選手として向き合ってるのか -教えてもらえない世界はどっちが目的なの?-

Hola Chavales!!!!

『スペインのジュニア年代の試合を見て感じることなんですが、なんでスペインの子供たちはあのような年代でも自分たちで考えながらサッカーができるんですか?』

このような質問を頂きまして。

僕は逆に日本のジュニア年代の試合を見た回数があまりにも少ないので“違い“は答えられなくて。

ただ間違いなく言えることは、

【小さい頃からサッカーを教わっていること】は理由の一つにあると思ってます。

要するに彼らは教わったからできてるのであって、生まれた瞬間にサッカーを理解していたわけではないということ。


でね、ここからは僕の偏見だと思って聞いてください。

いつからか、

【教えないこと・選手自身に考えさせること・主体性】を美談・美学・美徳として指導者の中で捉えられるようになって。

むしろ1から丁寧に教えようとする行為が、

【選手の考える力を奪う悪いもの】というイメージが付いてるような気がしてます。


確かにサッカーを通じて社会に出ても通用する人間を育てる。

これが目的であるならば選手自身に考えさせることはもしかしたら正解なのかもしれない。


ただその選手のサッカー選手としての成長はどうなるのか。

何歳になったらサッカーを教えていいのか。

どのカテゴリーに行けばサッカーを教えてもいいのか。

部活は教育機関なのでサッカーを教えるのではなくて人間形成の方が大事なのか。

学生から大人になればサッカーを教えていいのか。

プロサッカー選手になればサッカーを教えていいのか。

ヨーロッパのクラブはサッカーを早くから教えていいのか。


人それぞれ価値観というものがあるからここで正解を探す議論をすることはないけど。


僕の場合はサッカーというスポーツが好きなわけ。

上手くなって、いろいろなことを知って、今まで以上にサッカーというスポーツを楽しめるようになりたいわけ。

だからサッカーを学ぼうと思ってて。

それはサッカーというスポーツの楽しみ方の幅を広げるために。

そこの学びが社会に出て通用するかどうかは僕は関係ないわけさ。

たしかに通用するに越したことはないけど、通用しないからと言って、『あ、じゃあもう学ぶの辞めよう』とは僕はならなくて。



だから僕は、

『自分で考えなさい!!』っていう選手に丸投げの世界をサッカーの世界に持って来られると辛いなって思ってる。

だからこそきちんとサッカーを教われる場所があった方がいいなって。

『今日こんな学びがあってね!!』っていう毎日であった方がサッカーというスポーツは楽しい。(僕の経験上は)


もちろん『俺はサッカーを通して社会に出ても通用する人間になりたいです。だから鍛えてください!!』っていう選手がいたらハナシは別だけど。


ただ少なからず僕はサッカーを教わってる選手が自分で考える能力が育たないという現象を見たことはないし、

むしろ自分の頭で何が最適解なのか常にサッカーを通して考えてる選手たちはたくさん観てきた。


【サッカーを教われない世界】で成長できることはある。

でもそれと同時に【サッカーを教われる世界】も必要なんじゃないかなって思う。


だからこそ僕は僕なりサッカー観を発信して【教われる世界】を作りたい👇

もし今、【教われない世界】に居て、苦しんでる選手がいたら覗いてみてください。



一つの参考までに。


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ではまたー。






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