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サッカーというスポーツの【構造】を教える前に『自分で考えなさい』と言うのは卑怯すぎる –教えてもらえない世界はやっぱり辛い–

Hola Chavales!!!!

昨日の記事はもう読みましたか?

トレーニングのハナシを元にサッカーのハナシをしたんですけど、

もしまだの方はこの記事も読んでみてください。


で、今日本にいる期間を使って色々な方々が集まって自主トレをしてるんです👇


昨日も最終的には8人でトレーニングしてきたんですけど、一応僕がトレーニングメニューを考えて全て行っています。

で、僕のトレーニングが良い・悪いは置いといて。

トレーニングを終えた中での選手の感想として、

『今まで教えてもらったことないことが多い』


でね、僕は常々言ってるのは、

『教えてもらえない世界は辛い』


もちろん選手が自分自身で考えないといけない部分はあると思う。

どうしてもプレーするのは指導者じゃないので、

『自分で考えなさい』という言葉も必要な場面があることも知ってる。

でもやっぱり何十年とサッカーをしてきて【教えてくれる(教えることができる)人】に出会えなかったというのは選手だけの問題でもないと思ってるんです。

(かといって学ぼうとアクションを起こさない選手が許されるわけではないですよ)


でね、

個人分析としてある高校サッカー部の分析を4回に渡って行った時にまず初めに行ったのは【構造作り】なんです。


僕は【構造→局面→個人】というアプローチの仕方をしていて。

【個人→局面→構造】というアプローチの仕方をしてないんですね。


というのも【個】がないとチーム戦術を表現できないとは全く思ってなくて。

むしろ【構造】がない中で【個】を修正したところで何の意味もないと思っています。

要するに大枠を知らないで表面の目に見えるところだけにアプローチしてても問題は解決されないということです。


じゃあ教えてあげるというのはどこから始めるのかというと、

【サッカーというスポーツ構造を知ること】からだと思っていて。

要するに誰がするかではなくて、誰がしてもそうなる原理原則のハナシ。


例えばこの記事のハナシ👇

【1−4−3−3】におけるインテリオールの19種類のボールのもらい方と42種類のプレーの選択肢 –これを全て頭に叩き込むところからサッカーを理解することは始まる–


この内容って美玖ちゃんじゃなくても良いんです。

ただ【1−4−3−3】のインテリオールでプレーさえしてくれれば誰でも良いんです。

こういう大枠を知った上で、

じゃあ美玖ちゃんという一人の選手はどうプレーした方がいいのかというハナシになっていく。


構造を知る。

大枠を知る。


ここを『自分達で考えなさい』というのは卑怯だなって個人的には思ってます。



一つの参考までに。



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ではまたー。







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