多様性という言葉について思う事
近頃、私が思う事を吐き出します。
多様性を尊重する、という言葉で尊重を強いて、矛盾してはいないだろうか。と。
というのも、適当にTVのスイッチを押して流れるニュースや、アプリ化された動画投稿サイトで投稿された動画を見るだけでも、胃もたれするほどに多様性という言葉が出てくる。
確かに、多種多様な人々が居るのは、道徳的な事を考えるまでもなく素晴らしく、また認めるべきものだと思う。
しかしながら、人々の間ではこれも、この記事と同様に沢山の思考の内の一つであって、絶対ではない。
それが、多様性に含まれている筈のものだ。
今起こっているのは、マイノリティ、つまり立場上これまで弱者とされて来た人達が、一般的な偏見を払拭し、誰もが手を取り合える新しい社会を築いていく為の、共通価値観の代謝の一環なのかもしれない。
例えば、有色人種といえばアメリカ発見の際には、白人たちは問答無用で奴隷にしてきたし、野蛮人かつ全く違った異種族のように扱われて来た。
今はそうではないというのは、価値観的に当然として、では今LGBTQと呼ばれている人達はどうだろうか。
性的倒錯者と蔑まれてきた、気持ちが悪い、体は男か女なのに。だのと本人の意思で、肉体を変えられるわけではない、自分が一番自分らしく居るだけであるにも関わらず――偏見はいいところで、中には主教の教えに反すると迫害されたりもした。
障がい者はどうだろうか。
後天的な障害ならばいざ知らず、かもしれないが先天的な知的障害、精神障害、身体的障害には風当たりが強く、今もなおネットでは傷つけるような言葉が横行している。
では、もっと原始的な、男女差別について。
体の機能が違う事だけで、何を互いに傷つけあうのだろうか。
私の周りでよく聞くのは、男は機械的で怠け者で、共感性に欠け、汚らわしいだの、女は感情的で怠け者、理不尽で陰湿だのと、それは個人間の性格の問題であって、全体の話では無い筈(毎回これを言って、笑って寄り添うのも正直疲れている)
機能の違いこそあれ、それは互いに優れている部分もあれば、扱いの難しい部分もあるのだから、どっちもどっち、つまり元から優劣なんて存在しないし、平等であろうと私は考えている。
生理の苦しみは男子には一生解らんだろうし、女子には勃起不全の苦しみを味わう事は無いし想像もしにくいだろう。
某青い鳥で声を挙げている方、両性には、一度その豊満な語彙力を操る知性で、どうか想像していただきたい。
私はこの場を借りて断言するが、偏見は無くなったりはしないし、もし無くなるようなことがあればそれは新手のファシストによる洗脳と呼びたい。
彼らの存在を認めること、人間として社会的な保証を受けさせるのは当然の権利だと思う。
だがその一方で、偏見を持つ事、目くじらを立てて、一瞬だけでも傷つけるような事を言っていた自体をまるで重罪、人としてありえないという風に言いふらすのは、私からすればそれもまた、迫害の一環であろうと思う。
自由には責任が伴うというのは、中学生の道徳から学ぶ事だが、その責任というのは、言葉によって誰かを傷つけたり、また誰かに何かを強いたりした結果の落とし前も含まれている筈だ。
私は、偏見を持つ人も、持たない人も、またマイノリティだろうと関係ない。
人が人であることには変わりない。
私個人は、一方を叩きのめしていくという風潮は絶対に許せない。
今や差別をする人を、差別する、といったような具合に傾いているような気がしてならない。
さて、私は、差別は考えの根幹から消える事は恐らくないのではないかと思っている。
【差別をしてはいけない】、これも昔から言われている事だが、差別をしてはいけないという言葉がある時点で差別の存在を認めている事にならないだろうかと思うし、また差別の対義語のように今の状況がある訳だが、これも新手の差別ではないだろうか?
もしそうだとしたら、この言葉を掲げるのは即刻辞めていただきたい。
される側が、遠回しに隠れてする側に回っただけだ。
ネットや、また仕事場といった場所でも、私の理想としては多様性を掲げるのなら、いわば【思想のサラダボウル】であってほしいと、私は思っている。
交流を経れば、その具材らもまた、おのずと少々差別的だったとしても○○
だけど、認める。という事が起きるだろうから。
私は、誰にでも優しく、どんな人であっても仲良くしていたい人を大事にしながら、日々を過ごしていたい。
だから、きっと私の友人が少々差別的な事を言ったとしても言うだけなら許すだろう(類は友を呼ぶらしく、幸運にも今私は寛容な友達と恋人に恵まれている)。
「社会的に言えばマイノリティに居る」だからどうした。
「マイノリティじゃあない」それがなんだ。
「どうでも良い、自分は」そうか。
「マイノリティに携わる者として~云々」頑張れ。
私のスタンスは、今後も揺ぎ無いつもりである。
最後に、稚拙な駄文に付き合っていただいて、ありがとうございました。
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