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ウソの上手な演じ方~『パラサイト 半地下の家族』(ネタバレ注意/考察)

『パラサイト 半地下の家族』ご覧になりましたか?
いや~ドキドキしましたね~。(以下、今回もネタバレしまくりですw)

エンターテイメントなのに社会派!パワフルでありながら繊細!生活感あふれながらファンタジック!シリアスでありながらユーモラス!リアルでありながらデフォルメが効いている・・・あまりにも豊かな、多面性の権化みたいな映画でした。

そしてこの映画、登場人物も多面的に演じられています。どの人物も「自分ではない誰か」を演じているんです。

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まず半地下のキム家の4人組。

家族全員失業者の彼らは、みんな素性を偽ってセレブ家庭に入り込みます。長男ギウは一流大学生の家庭教師として、長女ギジョンはカリスマ絵画教師として、母チュンスクはセレブ家庭御用達の家政婦として、父ギテクは超ベテラン運転手として。

まあここまでは当たり前ですよね。だってそういうストーリーだから。ところがこの映画、それ以外のほとんどの人物も「自分ではない誰か」を演じているんですね。

まず入り込まれる側のセレブ家庭・パク家の4人組。

パク社長は寛大でスケールの大きな男を演じ、ヤング&シンプルな奥さんヨンギョはセレブ家庭にふさわしい教養ある女性を演じ、上の女の子ダヘは大人の恋をする乙女を演じ、下の男の子ダソンはなぜか前衛的なアーティストを演じています。しかもお互いに向かって、家族なのに。

さらにパク家の使用人たち。

運転手や家政婦ムングァンはよき下僕を演じ、後半出てくる家政婦の夫グンセも「リスペクト!」と死に物狂いでセレブ家族に忠実な下僕を演じています。誰も見てないのに(笑)

そう、全員が自分が周囲からどう見られているかに不安に感じ、自分以外の誰かとして振る舞ってその環境にふさわしい自分であろうとしているのです。必死ですw。
長男ギウがパーティーを見ながら言う「俺はこの場所にふさわしいかな?」という台詞がありますよね。それがこの映画における演技の基本姿勢なんです。

超多面的な人格・・・これって演技として超複雑、超難易度高いですよね?(笑)

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現実の世界において「ウソのつき方」に必勝法はありません。

だってウソをつく相手がどんな人かによってもウソのつき方は変わってくるし、そのウソがどんな類のウソかによっても正しいウソのつき方は変わっくるじゃないですか。ウソがバレないように、われわれは慎重に慎重にふるまいを微調整しながらウソをつきますよね。現実世界のウソは超複雑なんです。

なのに!
芝居としてウソをつくとき、俳優はバカみたいにシンプルな「定番のウソをつく演技」みたいなのをやってしまうんですよねー。

① 「そ、そんな人知りません」ドモりながら緊張しながら。

② 「俺がやりました!犯人は俺です!」思いつめたように下を向き大声で。

③ 「おいで。心配ないよ~」ニヤリと笑いながら。

・・・バレるって(笑)。

はい!私はいまウソついてますよー!って言わんばかりの説明的なウソ演技w。安い演技なんですけど、ドラマや映画ではいまだに見られますよねー。この古いタイプのウソの演技法が『パラサイト 半地下の家族』では一切演じられてないんですよ。

例えば長男ギウ。
彼はセレブ家庭の奥さんヨンギョの前では謙虚でひかえめな大学生、娘ダヘの前では優秀でかっこいい男性を、自分の家族の前では天真爛漫な少年を、友人ミニョクの前では後輩感を出してくるじゃないですか。では本当の彼はそれのうちどれか?・・・いやいやこれ、ぜんぶ本当のギウなんです。

ウソじゃないんです。その環境に適応しているだけなんです。

だからどのシーンのギウも活き活きとしていて、演技に豊かなディテールがある・・・これが新しいタイプのウソの演じ方です。

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だって現実世界の自分自身のことを考えてみましょう。我々はかなり多重人格的な存在です。

職場や学校での自分がいますよね。そして趣味の集まりの時の自分がいて、さらに両親や兄弟と一緒の時の自分がいて、恋人と一緒の時の自分がいて、親友と一緒の時の自分がいて、Twitterでの自分がいて、インスタでの自分がいる(笑)・・・どれも人格がちょっと違うじゃないですか。

恋人だったとしても、その相手が誰かによって微妙に自分のキャラ、違ってきたりしませんか?この人といる時の自分とあの人といる時の自分、違くないですか?・・・「あの男とつきあってた時の自分はもう二度と思いだしたくない!」とかあるじゃないですか(笑)。じゃあその思い出したくない自分がウソの自分だったのか?というと・・・いやいやそれも自分なんですよ。認めたくないけど。

その場その場で、その状況その状況で、さらに相手が誰かによって自然に、自動的に出てきてしまうふるまいをしているだけで、なので場所場所でキャラが違っちゃったりするんですが、別にそれはウソをついているわけじゃないですよね。 いわば、それらすべての人格をまるっと統合して、その多面的な存在こそが自分・・・。

それと同じ演技法なんです。「その場その場でその人物が自然にしてしまう行動をそのままする」という超シンプルな演技法。

シンプルな演技法なんですが、結果として描き出される人物像は多面的で複雑・・・ボクが思うに2019年の最新の演技法です。今年のアカデミー賞はこの演技法の映画が賞を獲りまくりました。

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『ジョーカー』でのホアキン・フェニックスも場所場所によってアーサーがとりたくなる行動を演じることによって複雑で多重人格的な人物像を演じて、映画のラストには優しい青年アーサーが悪のカリスマ・ジョーカーになってしまうという離れ業を演じてみせました。今年のアカデミー主演男優賞の演技です。

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でのブラッド・ピットもその場その場で彼が求められる行動、そして彼がやりたくなる行動をとるという方法でクリフ・ブースという多層的な人物を演じています。そして映画のラストにはこの控えめで優しい男が、侵入者をものすごい暴力で惨殺するという超難易度高い演技をシームレスで演じきってアカデミー助演男優賞を獲得しました。

そしてアカデミー作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞の『パラサイト 半地下の家族』の俳優たちも、彼らと同じ演技法「状況状況に合わせてその人物がとりたくなる行動を演じる」という演技法で人物を演じています。

もしかしたら『スノー・ピアサー』『オクジャ』でハリウッド・スタイルをマスターしたポン・ジュノ監督がそれを意図的に設計したのかもしれませんね。だって脚本からもうそういう設計になっていますから。いや~今年のアカデミー賞はドキドキしました。

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最後に名優ソン・ガンホの演技について語らせてください。

この映画の俳優たちはみな素晴しかったですが、彼はそのさらに一歩先の圧巻の演技を見せてくれました。

ソン・ガンホ演じるギテクは不器用な男で、ほかの家族たちのように上手に立ち回ることが出来ないダメなお父さんでした。彼だけは家でウソをつく練習をしなければならなかった。息子ギウが書いたシナリオ通りに演じていただけなんです。そしてたとえば運転中などギテクはついつい後ろを振り返ってパク社長の顔を見ようとしてしまいます。相手が自分のウソを信じているか不安になるからです。これが息子ギウや娘ギジュンだったら前を向いて堂々とウソをつき続けていることでしょう。

そして洪水騒ぎがあり自信を完全に失ったギテクは、ラストのパーティーのシーン、インディアンの格好をさせられた時にはもう優秀な運転手になりきることが出来ずに、無表情な顔をパク社長にさらしてしまいます。

そして最地下から出てきた黒い男グンセの匂いを嫌がるパク社長のことをなんと刺し殺してしまいます。しかもグンセが持っていた包丁で。そうつまりギテクはその時意識の上では「半地下の男」ではなく「最地下の男」になっていたんです。そして彼はそのまま最地下に逃げ込んでそのまま(おそらく)一生をそこで過ごすことになります。

つまりソン・ガンホが演じていたのは「状況状況に合わせてやりたい行動をとろうとしていたのだけど、それがなかなかうまくいかずに、段々とどうふるまっていいか分からなくなってゆき、自信を完全に失った結果、意図せず最下層の人間に感情移入して最下層の人間としての怒りで行動してしまった」という人物の人生・・・難易度ハンパなくないですか。

しかも脚本上ではギテクはパク社長を手斧で殺すことになっていたそうなんですね。それが撮影現場でグンセが持っていた包丁を拾ってパク社長を殺すことに変更になり、それはなんとソン・ガンホの提案だったそうな・・・それをポン・ジュノが受け入れてあの見事なシーンになったんですね。

ソン・ガンホ、凄いとしか言いようがないですよね。それも彼が「ギテクとしてやりたいこと」を演じている過程でグンセの包丁を拾いたくなった、というコトなんでしょう。

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この『パラサイト 半地下の家族』はよく言われるように階級社会・格差社会を描いた映画ではないとボクは思います。その階級社会・格差社会の中で揺れ動く人々の心の動きを描いた作品だと思うのです。だからドスンとくるのです。

そして『ジョーカー』もそうだったんですが、『パラサイト 半地下の家族』は緻密に計算され構築された脚本を、俳優たちが完全にその人物になって行動することによって逸脱ギリギリの生々しい演技で次のレベルに押し上げた、という脚本・演出・俳優が完全に一体になったからこそできあがった傑作なのだと思います。

俳優の皆さん、ウソを演じる時にどうかわかりやすくウソを演じるのはもうやめましょうw。ウソは本当になってゆくのです。 そのウソが本当になってゆく過程、そしてそれが崩壊する瞬間を演じるためには、「その環境にその人物が飲み込まれる」という演技が必要です。

だって我々がウソをつく時は、ウソのふるまいをせねばならないその状況に飲み込まれるからじゃないですか。それを演じましょう。

きっと最高の演技になりますよ。

小林でび <でびノート☆彡>


追伸:
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