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『すばらしき世界』VS『うなぎ』VS『恐怖の二十四時間』~役所広司の演技史。

「役所力」ってあるなとボクは思っていましてw。
役所広司主演作がその映画監督の最高傑作だというパターンって結構あるのでは?という・・・もちろん現在公開中の西川美和監督の『すばらしき世界』もそうですし。周防正行監督の『Shall we ダンス?』、青山真司監督の『EUREKA』、黒澤清監督の『CURE』、そして三谷幸喜監督の『THE 有頂天ホテル』・・・いや最高傑作がどれかについては異論があるとは思いますがw、役所さんが主演した作品は解像度がグンと上がるというか、観客に伝わるディテールの量が圧倒的な気がするんですね。

これって黒澤明監督作品の最高のものが三船敏郎主演作だったという現象と非常に似ていると思うんですよ。三船敏郎は破天荒な俳優でしたが、同時に観客に寄り添うような演技をする俳優であり、そしてなによりも脚本を誰よりも読み込んで完全に役の人物と一体化した状態で演じる俳優でした。

三船さんも役所さんも脚本を読み込みまくって役の人物に磨きをかける・・・作品の核となる部分に磨きをかけるという作業をするタイプの俳優なのだと思います。
西川美和監督のインタビューで語られているんですが、役所さんとは人物の解釈について特に打ち合わせはしなかったそうですが、『すばらしき世界』の撮影現場に来て最初に演じる時点ですでに脚本の意図の本質を完璧に体現した演技をなさっていたそうです。

その『すばらしき世界』での役所さんの演技・・・元殺人犯・三上正夫という人物像が「多面的に」「瑞々しく」描写されていて、まさに2020年代式!という芝居を見せてくれたのですが、そんな役所さんも80年代には80年代式の演技を、90年代には90年代式の演技を演じていました。

今回の「でびノート☆彡」は、役所広司主演の1991年のドラマ『実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期』と1997年の映画『うなぎ』、そして2020年の『すばらしき世界』・・・この役所広司さんが「殺人したことを後悔していない殺人犯」を演じた3作品での演技を見比べてみることで役所さんの演技史、そして映画の演技法の変遷について語ってみたいと思います。

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西川美和監督が『すばらしき世界』の主演を役所さんにオファーする直接のきっかけになったのが、この1991年のドラマ『実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期』での役所さんの連続殺人犯の演技だったそうです。

1980年代は全世界的に「キャラクターを演じる演技法」が全盛期だった時代で、例えば第1作目はアメリカン・ニューシネマの流れの内省的な演技で演じられていた『ロッキー』や『ランボー』などがシリーズ化されて決めポーズバリバリのキャラクター演技に変化していったり、エディ・マーフィーやトム・クルーズなど人物を「内面的」にではなく「外面的」に表現することが得意な俳優たちが脚光を浴びていた時代でした。
1991年というのはそのキャラ人気が若干陰りを帯び始めてはいたものの、逆にその「外面で人物を表現する演技法」が世界の隅々まで浸透していった時代で、この『実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期』でも役所さんは西口彰という連続殺人犯を、特徴的な喋りかたや声色、ギロリとした目の動きや、落ち着きなく横柄な動作・・・などの「外面的アプローチ」でもって人物を表現しています。

結果この「外面は見えているのだけど内面が謎」な、いつ爆発するかわからないダイナマイトのような人物がそこにいるせいで、観客は最初から最後までドキドキハラハラし通しになるのです・・・面白かった。このドラマはYouTubeで観れるようです。

そして1997年の今村昌平監督作品『うなぎ』

カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したこの映画で、役所さんは浮気した妻を殺したサラリーマンの男を演じています。映画冒頭の「たった今、妻を殺しました」という血まみれの自首シーンの演技が当時から印象的でした。

『恐怖の二十四時間』での「外面的アプローチ」に対して、役所さんは『うなぎ』では「内面的アプローチ」で役を演じています。いやむしろ「外面的アプローチ」を極力排除しようとするように、喋り方も動作もなるべく淡々と、表情もなるべくフラットに、キャラとしての特徴的な仕掛けをなるべく排した演技をしていて・・・では役所さんは何を演じているかというと、過去から孤立した人間の内面の苦しみを、そして喜びを演じています。内面の演技です。

ただその内面が外界と接続していないので、そのシーンで何かが起こったとしても、役所さんが演じるのは主人公山下がその時感じた「感想」になります。

たとえば山下が土手で自殺未遂の女を発見するシーン。
なにかを見ている緊張した山下の顔と、倒れた女性の足・スカート・顔、そして地面に投げ出された薬の袋のモンタージュで構成されています。
山下は彼女が生きているのか死んでいるのかを確認しようとしません。ただ若干追いつめられた顔でボーっと見つめているだけなのです。ではこのとき役所さんはなにを演じているのか・・・おそらく内面で演じているのです。「なぜこの女はこんなところに?」「薬の袋が落ちてる、そうか薬を飲んだのか」「つまり自殺ってことか?」などなど、色々と「感想」を思考しているんだと思います。ただそれは「思考」なので映像に映っていません。

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「心の動き」は身体の反応に変換されてカメラに映るんですが、「思考」は身体に影響を及ぼさないのでカメラに映らないんですね。俳優が演じる「内面のモノローグ」はじつは意外と観客に伝わらないのです。

そしてここで鮮烈なモンタージュが一瞬挿入されます・・・かつて山下が殺した元妻の血まみれの映像です。このモンタージュによって「なるほど山下は殺した元妻の姿を連想して動揺しているんだな」と観客に想像させる効果があります。そこにさらに警官が自転車で去ってゆく映像がモンタージュされ、「なるほど山下はこんなところを警官に見られたら誤解される」、さらに刑務所の仮出所の際の「仮出所中の行動について。身辺にトラブルが発生しても決して巻き込まれることの無いように」というナレーションがインサートされ・・・山下はその場から女を残していったん逃げ去ります。
このシーンの山下の心情は演技ではなく、モンタージュで描写されているのです。役所さん自体は目の前にある対象の女性の足とも乱れたスカートとも薬の袋とも深い関係を結ぶ演技をしていません。

そういえば『Shall we ダンス?(1996)』でも映画冒頭で、役所さん演じる主人公杉山が駅に停まった電車の窓からダンススタジオの窓辺にたたずむ女性を発見するシーンもモンタージュでしたね。杉山はただ窓の外を見上げているだけなのですが、観客がめいめい勝手に「お、窓辺の美人が気になったんだ、なんだ意外とスケベなんだな」とか「孤独な女性のシルエットに自分の孤独を重ね合わせて目が離せなくなったんだな」とか「塔に囚われたお姫様を救い出さなきゃ!と思ったんだな」とか杉山の思考をいろいろと想像するんですよね。

90年代はこのモンタージュという手法のある意味全盛でした・・・そういえば90年代当時とある映画監督に「俳優が表情を作っちゃうと観客の想像する余白が無くなっちゃうから、演技はなるべく無表情がいいんだ」と言われたことをいま思い出しました。そうなんです。モンタージュで物語を進行するにはある意味「無表情」の方が編集上都合がよかったんです。

なんだか話題があっちこっち行っちゃってますが(笑)、まとめると『うなぎ』での役所広司さんの演技は、「外面的な表現」を極力抑えて、演じている「内面的な表現」も「なにか葛藤しているのはわかるのだけど、なにを考えているのかは具体的には観客に伝えずに、想像を促す演技」で演じられています。

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そして2020年『すばらしき世界』の元殺人犯、三上の演技です。

同じ殺人犯の演技なのですが、この『すばらしき世界』での役所さんの演技が『恐怖の二十四時間』『うなぎ』での演技と一番大きく違っているのは・・・役所さんの演技が変化に富んでいることです。

『恐怖の二十四時間』『うなぎ』では人物像が映画の最初から最後までかなりの一貫性をもって、つまり一面的に演じられています。
それに対して『すばらしき世界』での役所さんの演技は多面的です。ある時は子供っぽい男性、ある時は粗暴な元ヤクザとして、ある時はピュアで正義感の強い人間として・・・人物描写に一貫性を持たせる方向性ではなく、状況状況に合わせて態度が変わる多面的な人物として、それぞれのシーンで瑞々しく演じられています。

どんな状況の中にいるか、そしてどんな相手と一緒にいるか・・・によって我々だってキャラや態度が変わりますよね。日常生活の中では。そういう意味でのリアルな分析で役所さんは人物描写をしています。

なので「キャラを演じる」とか「内面を演じる」などのようなスタンドアローンな演技を役所さんはもうしていません。『すばらしき世界』での役所さんはつねに目の前の対象に向かって、対象を動かそうと演技を働きかけています。そして対象からのリアクションやアクションのひとつひとつに心を大きく動かされているのです・・・つまり常に「関係性」を役所さんは演じています。

なので『すばらしき世界』での役所さんの演技には「モンタージュ」が必要ありません。交互に映すことで観客に想像を促す必要が無いのです。
対象との関係性から生まれた三上の反応が超具体的に演じられていて、しかもしっかり映像に映っているので、観客はそれを素直に受け取ればよい・・・これが最近の役所さんの演技の解像度の高さの理由です。

そのような演技は何によって成立しているのか。それは役所さんの「対象を見る能力」「対象と関係を結ぶ能力」の高さです。

たとえば『すばらしき世界』の序盤、TVスタッフの津乃田(仲野太賀)と吉澤(長澤まさみ)が三上の部屋を玄関の新聞受けの穴から覗くシーン。
外からこっそり覗いている側の、覗きたいという動機がハッキリしているはずの津乃田と吉澤よりも、それをふと中から覗き返してる三上のほうが相手を強く具体的に見ています。
ただ誰かが覗いていることに気づいた!という演技をしているだけでなく、「ん?誰だ?覗いてるのは?」とドアの向こうの人間たちに対して、そしてじつは彼らと一緒に覗いている観客の方に、三上はコミュニケーションの触手をギューンと伸ばしてきます。だからあのシーン、ドキッとするんです(笑)

「見る」という触手を伸ばしてきて相手を捕まえて、具体的な「関係」を結ぶ。そしてその「関係」の中で心を動かされ続ける。

それが『すばらしき世界』での役所さんの芝居を力強く、瑞々しくしています。

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『恐怖の二十四時間』『うなぎ』『すばらしき世界』の三作品での役所広司さんの演技の違い、そして演技法の変遷、理解していただけましたでしょうか?
どれも一見「いつもの役所広司」の芝居に見えるのですが、じつはそれぞれがまったく別のアプローチで演じられていることを楽しんでいただけたら幸いです。

時代の変化とともに芝居へのアプローチを変え続けていることが、役所さんの演技が古く錆びてゆくことが無い理由なのかもしれませんね。
しかし65歳でまだまだ更新中、そして瑞々しさはどんどん増していっている・・・これは三船敏郎さんですら成し遂げなかったことで。日本では高倉健さんと並ぶモンスター俳優だと思います。次の主演作がまた楽しみです。

小林でび <でびノート☆彡>

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