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クロエ・ジャオ監督の「腐女子サイド」が炸裂!『エターナルズ』

「アベンジャーズを継ぐ、新たな最強チームが遂に始動。」
というのが映画『エターナルズ』のキャッチコピー・・・これは期待に胸膨らみますよね。

しかも監督は『ノマドランド』『ザ・ライダー』で現代社会を美しくも切実に撮りきった女流天才映画監督クロエ・ジャオ。
まさに映画界の最先端を走る、しかもヒーロー映画から一番遠いところにいる芸術映画監督じゃないですか!これはマーベルも生半可な覚悟じゃない、アッと驚く新機軸を見せてくれるに違いないぞ!と。
・・・しかしジャオ監督のことだからヒーロー映画とはいえ、分断するアメリカの問題点にドキュメンタリータッチで斬りこむのでは? それとも現代社会に生きる世界中の人々が抱える孤独感・ディスコミュニケーション感をまた血が出るような斬り口で描くのかな? いや、それとも現代社会に於いて楽観的でいることの困難さを描くのかしら?・・・などなど期待に胸を膨らませて、外国人の客でいっぱいの新宿TOHOシネマズのレイトショーに行ってまいりました。 さあその正直な感想は・・・

二次創作っぽかった!

二次創作というか、薄い本系の漫画とか小説って「本編のアニメや漫画では描かれていない、戦士たちの穏やかな日常の時間」を描いてたりするじゃないですか。すごく乱暴な言い方をすると映画『エターナルズ』はまさにソレで満たされてました。
最強の戦士たちが和気あいあいとご飯作って食べて冗談を言い合ったり、筋肉ムキムキの戦士(マ・ドンソク)が可愛いエプロン姿でパイを焼いて失敗したり、最強の戦士たちが様々なカップリングでイチャイチャしたり喧嘩したりメイクラブしたり・・・いや〜二次創作感ハンパない。

『エターナルズ』は『幽☆遊☆白書』の大ファンだというクロエ・ジャオ監督のB面というか、腐女子サイド全開の会心の一作!でした。

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親密さ。

クロエ・ジャオ監督はインタビューで「この映画に対する私のビジョンは、壮大さと親密さを描き、それらを共存させること。難しい挑戦だったけど楽しかった」と意気込みを語っています。

壮大さと親密さ・・・なるほど!映画『エターナルズ』はまさにそういう作品に仕上がってます。そういう意味では100点の仕上がりですよね。
ギルガメッシュとセナ、マッカリとドルイグ、キンゴと彼のマネージャー:カルーン、ファストスと彼の夫:ベン、そして彼ら2人の息子ジャック、そして主人公セルシと彼女の人間の恋人デイン・・・キャラ同士の親密さは見事に描かれていたと思います。

しかも『アベンジャーズ』の中で描かれていたような戦いの中の親密さではなく、『エターナルズ』で描かれたのは日常の中でのもっと甘い甘い親密さです。なるほどMCUはこういう二次創作的な喜びを本編作品の中に取り込むことで新機軸を打ち出したのか!と膝を打ちました。

親密さの演技も素晴らしかったですね。親密さは「説明的・記号的」に演じてもウソっぽくなるので、俳優はちゃんと役の人物同士としてコミュニケーションする必要があります。そのあたりを演出するのはさすがジャオ監督!見事だと思ったし、俳優たちの血の通った演技も素晴らしかったです。

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セルシの「いまを生きる演技」。

主人公セルシ役を演じたジェンマ・チャンの「親密さ」の芝居、みずみずしかったですねー。

特に映画序盤の、恋人であるデインにバースデープレゼントを渡すシーン。キスしながらの会話の間、セルシは彼の一挙一動足に心を動かされ続けていて、デインに対する愛情が目の表情から溢れまくっていました。まさに「いまを生きる演技」。いま目の前に起きていることに集中して、繊細に一喜一憂している様が超可愛らしかったです。

そう、セルシたちエターナルズって7000年も前に地球に来て、ずーっと人類を見守っているっていう設定じゃないですか。そんな人物たちをジャオ監督がどんな人物として描くのか・・・見る前からすごく気になってたんですよね。

普通は神様っぽい存在だから「賢者みたいに老成・達観している」的に演じたりするじゃないですか。でも実際『エターナルズ』を見てみたら・・・なんとその真逆だったんですよね。みんな子供みたいなんです。子供みたいにみずみずしく、様々なことに感動し続けている。

なるほど。ジャオ監督のエターナルズは「神様」じゃなくて「天使」なんだな、と思いました。

みんなティーンエイジャーみたいな若い演技をしてるんですよ。アンジェリーナ・ジョリーもマ・ドンソクも「歴戦の勇士」感を出してこないで、青い若々しい芝居をしてるんですよね。だから親密さの種類が「お主やるな」「貴殿こそ」みたいな達人ぽい距離感のある渋いコミュニケーションにならないで、お互いに素直に感動しあってキャッキャキャッキャ、親密にイチャイチャしていられるんですよねー。ここら辺の演出はジャオ監督だと思うんですが、見事だと思いました。

ところがエターナルズ10名の中で1人だけ、そのティーンエイジャー芝居に参加しない人物がいました。それは・・・イカリスです。
(以下ネタバレあり〼)

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イカリスのネタバレ芝居。

エターナルズの他9人が心を動かしまくって様々な表情を見せている間、リチャード・マッデン演じるイカリスだけはどのシーンでもずーっとほぼ同じ表情をしているんですよね。表情が硬い。

セルシとの再会のシーンなんかでもとにかく表情が硬いんです・・・だから残念ながら最初から「こやつ実は敵なのでは?」という雰囲気が漂っちゃってるんですよw。ネタバレちゃってるんです。

いや、俳優さんの気持ちは分かるんですよ。「オレは皆を裏切っている」という役作りをしてるんですよね。正しいです。正しいんですけど・・・その内向的演技によって芝居はソレ一色に塗りつぶされてディテールが乏しくなっちゃうんですよねー。

この映画が90年代の映画だったら、その内向した芝居でよかったんです。
90年代の観客は「個々のキャラクター」を見ていたから。でも2021年の観客は「個々のキャラクター」を楽しんでいるわけではなく、「キャラクター同士の関係性」を楽しんでいるわけなんですよね。それが二次創作系の作品であれば尚のことです。

実際イカリスとセルシの再会のシーンとか、イカリスの表情が固すぎて関係がちょっとおかしな感じに見えちゃってるんですよね。悪役っぽい雰囲気が出ちゃってる・・・それってネタバレですよね。

裏切ったとはいえセルシに対して恨みがあるわけじゃないので、セルシの顔を見たときにはもっと心動かされてもいいと思うんですよねー。だって久しぶりに会った愛する人の危機を救ったんでしょ?じゃあセルシの無事にもっと安堵してもいいじゃないですか。(治癒能力を持ったエイジャックがもういないことをイカリスは知ってるのだから)

イカリスのこの内向的な演技は、彼らを裏切る前の、なんと回想シーンでも起こるんです。

たとえばイカリスとセルシのメイクラブシーンの前のキスシーンです。キスをする前後にセルシは大きく心が揺り動かされて「愛情」や「欲望」や、様々な情感が湧き上がっているのが表情に見えるのですが、イカリスはずっと同じ表情のまま・・・イケメンのキスシーンを演じ続けています。

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そしてそれはサウスダコタでイカリスとエイジャックと二人きりで会話する重要な回想シーンでも。

2人の会話の間、エイジャックはきちんとイカリスを見てイカリスの言葉を聞いているんですが、イカリスは全然エイジャックの言葉が聞けてない状態で、追い詰められて自問自答する演技をずっとしています。エイジャックを演じるサルマ・ハエックからの新しい刺激がイカリスに入っていかないのだから、もちろん心は揺れ動かずに同じところをぐるぐると回り続けます。

このシーンでイカリスは大きく揺れ動くべきだと思うんです。エイジャックに従うべきか、セレスティアルズに従うべきかで悩んでるはずなんだから、もっと彷徨うべきなんです。で、結果として悲劇を巻き起こしてしまうという物語なんですから。 彷徨うから悲劇なんです、そして間違ってしまうから悲劇なんです。

そして後半イカリスが急に再び仲間になる瞬間、なにが引き金になって彼の心を変えたのかが観客には伝わらないんですよねー。「あれ?なんで急にまた仲間になったの?」って。表情にセルシに対する具体的な情感が現れてないから。イカリスを演じるリチャード・マッデンの中だけで何かが起こってしまっていて、それがセルシとも観客とも共有されていないんです。

だから最後にイカリスが太陽に向かって突っ込んで行くかっこいいシーンも、切なくならなかったんですよねー。イカリスの芝居の中に苦悩と彷徨いがなかったから。なぜ彼が太陽に飛び込んだのかも観客にはわからない。正直、観客が彼に同情できる点が無かったんです。

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わ。まだ書こうとしてたことの半分も書いてないのにもう字数が尽きてしまい・・・えっと、これ前後編にしようかなw。・・・じゃあじゃあ、最後に一つだけ。素晴らしいセルシの演技の残念な点について。

セルシの演技、前半部分はみずみずしくて可愛らしくて最高だったんですが、中盤あたりからなぜか精彩を欠いてくるんですよね。表情がぼんやりしてくるんです。これ最初に見た時はどうした?どうした?と思って見てたんですが、2度目に見た時にその理由がわかりました。

CG相手に芝居してる時に、セルシの表情が硬くなってるんです。

俳優相手に演じてる時はみずみずしいコミュニケーションの芝居が出来ているんですが、完全CGキャラであるセレスティアルズやディーヴィアンツを相手に芝居してる時、そしてCGによるスペクタクルシーンを目の前にして心を痛めるべきシーンで、セルシを演じるジェンマ・チャンの心の動き・表情の変化が鈍くなってるんですよ。そして表現が少し説明的・記号的な芝居になってしまっているんです。

いや〜ジェンマ・チャンみたいな反応の演技が素晴らしい俳優さんだからこそ、逆にCGがいっぱいの映画で主人公を演じるのが大変なんだなあと思いました。ああ、セレスティアルズやディーヴィアンツも、せめて撮影現場では俳優が演じてセルシの相手をしてくれてたらよかったのに・・・。

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あ〜長文になってしまった。ここまでお付き合いくださりありがとうございました。この続きはまた来週この「でびノート☆彡」で書こうと思います。

次回の内容は「クロエ・ジャオ監督の傑作『ザ・ライダー』『ノマドランド』の演技と『エターナルズ』の演技の比較」などジャオ監督の作家性に踏み込んだ内容を。それと「マーベルはじめアメコミ映画の演技がどこに向かおうとしてるのか」について・・・またお付き合いいただけると嬉しいです。ではでは!

小林でび <でびノート☆彡>




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