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踊り続ける人


 若い頃、インドのアシュラムと呼ばれた瞑想を探求する施設に通っていた時のこと。ふとしたきっかけで、ある西洋人の女性と知り合った。

 ある日、街のレストランのテラス席で一人昼食をとっていると、少し離れた向かいの席に女性2人が食事をしながら楽しそうにおしゃべりをしている姿があった。ふと彼女と眼が合った時、"ハーイ!" と気楽な挨拶をした。彼女もニコニコしながら同じ挨拶を返してきた。
その時はそれで終わったが、翌日施設内を歩いていたら、向こうから近づいてくる彼女とばったり会い、また気楽な挨拶を交わすことになった。
今度は至近距離だった。そこでようやく勘違いをしていたことに、はたと気づいた。てっきり知人のドイツ人の女性だと誤解していたのだ。ここアシュラムにやってくる人は千人を超え、大半が西洋人だった。しかもその内の7割が女性。私にはまだ西洋人の国籍の違いがよくわからなかった。

 彼女はクレタ島生まれのギリシャ人で、ベリーダンスのダンサーとして世界中を公演旅行していた人だった。名前をEさんという。
気楽な挨拶をしてしまった手前、何気にすぐには立ち去ることができず話が続くことになった。ここでの生活のことなどから始まり、彼女がベリーダンスをやっているという話に至ったのだと思う。ところが話がだんだん止まらなくなって、やがて彼女の生い立ちにまで話が及ぶことになる。
それが殊の外あまりにユニークな話で驚いてしまった。生まれ持ったエネルギーを抑圧せずに、そのまま大人になったみたいな人だな。こういう無垢で繊細でパワフルな人も世の中にいるんだと、思わずのめり込んで聞き入ってしまった。

彼女の話によるとこんなストーリーだった。

 『赤子の頃から立つよりも先に踊り始めていた、と母親から聞かされていたわ。小さい頃は朝起きてから夜寝るまで一日中踊りが止まらなかったの。踊ることがエクスタシーだった。両親もそれを許してくれていた。
小学校に行き始めた頃、学校に踊りながら通ったの。クラスでも授業中じっとしていられずにずっと踊っていた。とうとう学校の先生が我慢できずに家にやってきて、
「お願いですから、歩くことと座ることをお嬢さんに覚えさせてくださいませんか。」と、親に頼み込んで、それからようやく歩くことと座ることを覚えたわ。

 小学校を出てすぐ13歳の時に、一人でクレタ島を出てアテネに移り住むことにした。美容室に住み込みで働き始めた。でもね、働き始めてすぐ店に飾ってあった大切な花瓶を掃除中に間違って落とし、粉々に割ってしまったのよ。私は店の主人にごめんなさいって丁寧に謝った。でも彼は怒りが収まらず私に怒鳴り続けた。それを見て私も大声で言い返してやったの。
「私はこうしてあなたにちゃんと謝っているのに、あなたは何でそんなに怒るのよ!」ってね。
店の主人は13歳の女の子から言い返されて、呆気にとられて怒りが吹き飛んでしまったみたいだったわ。ふふ。

 それから15歳でベリーダンスをアテネで本格的に習い始め、18歳からは世界中を公演してまわるようになった。いろいろな所へ出かけたわ。ところが公演のステージで突然、私の意識が体から抜け出してしまったのよ。びっくりしたわ。ステージの上の高い所から、下で自分の身体が踊っているのが見えたの。観客はみんな踊る私の身体を観ていた。その現象がいったい何なのかさっぱりわからず、しばらくの間、混乱が続いたわ。

 その頃ちょうど友人から、ここインドのアシュラムの話を聞いて、すぐにやってきて瞑想を始めたの。だんだん瞑想が深くなっていくうちに、意識と肉体は別のものだったということを初めて理解したわ。あのステージでの体験は幽体離脱というものだとそこで知ったの。
ダンスは動的なエクスタシー。
瞑想は静寂のエクスタシーよね。
片方だけだと不安定だったの。内側でその二つのバランスが起こり、それからは混乱が消えて、あるがままの自分自身に向かい合うことができるようになったわ。』



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 幽体離脱という現象はなかなか体験できることではない。小生も夜中寝ている時にベッドから上がって天井の近くに浮いている、或いはエネルギー身体だけがベッドの上で回転していると感じたことがあった。しかしそれは夢見のような漠然とした感覚で、はっきりとしたものではなかった。
幽体離脱という現象は、すべての人が熟睡している最中に無意識のうちに起きていて、離脱した霊体はエネルギー充電のために毎晩天上界に上昇していると、よく経験しているという人から聞いたことがある。
だから人は、充電のためにもしっかり夜中は睡眠をとらないといけないらしい。肉体と霊体とはへその緒から伸びた光の糸で繋がっているので、充電後は迷わず肉体に戻ってこれる。死を迎えるとその糸は切れて、霊体は肉体から離れることになる、とも言っていた。
 
 このインドのアシュラムという所は宗教的な場所ではなく、純粋に瞑想を探求することがワークの中心にあったが、その他にも瞑想性を高めるために役立つという観点からダンス、絵画、彫刻、音楽などのアートや、セラピー、ボディワークといったヒーリングに関するものも、数多く探求されていた。その中から自分に合ったものを選んで深めていくことができる。私はそこでボディワークを学んでいる最中だった。

 またベリーダンスの他にも、スーフィズムの回転舞踊とか、グルジェフダンスなどの様々なダンスが探求されていた。ワ―リングと呼ばれる回転舞踊は、ぐるぐると廻り続けることによって内なるセンターを見い出し、深い変容をもたらす瞑想テクニック。(下手にやるとただ気分が悪くなるだけ。)またグルジェフダンスは、人間が持つ5つのエネルギーセンター『思考、感情、動作、本能、性』を調和させるために開発されたトレーニング方法で、体の各部分の異なる動作が組み合わされて続いていく超難解なダンスだ。(見ただけでこれは無理。)これらは半年間ものトレーニングを必要とするハードなワークとなる。




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 Eさんの話を聞いた後、何故かアシュラムの中で行われていた彼女が教えるワークショップのアシスタントをすることになった。アシスタントと言っても雑用と、他の参加者と一緒に踊る位しかすることはない。ベリーダンスは女性がするものという固定観念があったが、彼女に言わせれば、
「そんなことはないのよ、男性も楽しめるのよ。腰をいっぱい動かすから健康にとってもいいの。」ということだった。

 クラスではベリーダンスのエキゾチックな音楽をかけ、妖艶な衣装を身にまとった西洋の美女たちが踊りまくる。ベリーとは腹のこと。つまり「腹踊り」と訳される。確かに腹をかなり露出させてはいるが、それではあまりに品がない。やはりベリーダンスと呼ぶのが相応しい。

 Eさんのさすが円熟のダンスを見ていると、その美しさに魅了されてしまう。ベリーダンスでは腰の動きを中心にして、体の各部分が独立した円運動をする。彼女は体全体がリラックスし、かつ体幹がしっかりしていて、そしてセンタリングしている。体に緊張がないので、見ているだけでもこちらの緊張も溶けてゆくようだ。
無駄な動きが一切見えない。そして繊細。ぶれない。しかもずっとにこやかに微笑んでいる。ダンスする喜びが全身から溢れ出ている。同時に体の中心に動きのない一点が見えてくる。躍動の美と内的な静寂との絶妙なコントラストが身体芸術として見事に表現されている。

 Eさんの華麗なダンスに触発されてクラスのみんなも踊りまくる。当然すぐには真似できるものではないが、見様見真似で踊っているだけでも、確かにのめり込んでいく魅力がある。ベリーダンス音楽に合わせて腰や手をくねくね動かしていれば、それが何となく形になってしまう。
決まった振付などないので、頭を使わずに済む。体が動きたいように動くのを許す。あるがままの自分自身に戻っていく。参加者のみんなもニコニコして踊っていた。年齢に関係なく誰でもすぐに踊り始められるのもベリーダンスの魅力の一つだろう。
このワークショップは、部屋ではなく施設内のオープンスペースで開かれていた。通りすがりの人々が興味深そうに覗いていた。やがてじっとしていられずに次から次へと飛び込みで踊り始めた。Eさんもこういうハプニングは大歓迎だった。

 ワークショップ終了後、Eさんのアパートの部屋で打ち上げホームパーティがあった。ここでもメインイベントはやはりベリーダンス。彼女は本当にダンスが好きな人だった。時が経つのも忘れて踊り続けた。
後でEさんから頂いたそのときの写真を見たら、白目を向いて陶酔して阿波踊りみたいに踊っている自分の姿と、それを見て横で爆笑している彼女が写っていた。いやはや何ともお恥ずかしい限り。

 古くは、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中にも、ベリーダンスの描写が見られるという。長い歴史の中で育まれた伝統が、ダンサーの中にかくも妖艶な美と神秘をもたらした。踊る人だけでなく、それは見る者を癒す力さえ持っている。喜びと悲しみを超えていく力さえ秘めている。地中海沿岸諸国を中心に世界中で広く受け入れられてきた背景には、娯楽的な要素を超えた、そうした人を魅了する特別な親和力が内在しているからだと思う。



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 このアシスタントを終えてから、Eさんに日本に来てもらい、ベリーダンスのワークショップを開催しようかという話しになった。
「日本の人にも是非ベリーダンスの楽しさをシェアしたいわ。」と喜んで賛成してくれた。

 日本に戻って準備を始め、参加希望者もたくさん集まり、会場も手配し、宿泊施設も予約し、地元新聞にも写真入りで紹介されたりして、すべて準備万端。
ところが成田空港に迎えに行ったら予定の時刻に現れない。どうしたのかと気を揉んで待っていたら、到着ロビーに流れるアナウンスが私の名前を呼んでいる。空港職員に連れられて向かった先は、イミグレーションの奥にある別室。そこでは取り調べ用の机に向かって寂しそうにうつむくEさんの姿が。。。何とギリシャ政府機関のパスポート発行手続きミスで、前回の訪日時の内容と記載がたった一字だけ違っていたのだ。

 「お願い、何とか頼んでみて。」
疲れ切った顔のEさんが囁いた。彼女自身、それまで相当交渉したが、まるで埒が明かなかったようだ。

 「ギリシャ政府機関というのは、かなりいい加減な所みたいで、こういうことはしょっちゅうあるらしいですよ。ギリシャからはるばる日本まで長旅をしてきたんですよ。ごらんなさい彼女はもうヘトヘトなんです。彼女は見ても分かる通り何か犯罪を犯すような危険人物では絶対ないし、今回もまったく問題を起こすようなことはないんです。その一字違いで人間の良し悪しが決まるわけでもないし。そんなこと許容範囲なんじゃないですか。前回の来日の際も、何の問題もなく出国したでしょ。だから今回も、入国をどうか許可してください!お願いです!!」
執拗に迫ってみたものの、向こうは東京出入国在留管理局成田空港支局という名前からして厳しそうな所。まったく歯が立たなかった。
そしてただ一言、
「いいえ、できません。」

 「Eさん。。。本当に本当に残念なんだけど、まったく申し訳ないんだけど、ここのイミグレーションは日本の表玄関でかなり厳しくて何を言ってもだめなんだ。だから入国は無理みたい。。。」

 「。。。」

 途方に暮れるEさんの今にも泣きそうな顔。笑顔が消えた彼女の顔を見るのはそれが初めてだった。最後に、またインドで会おうね、とだけしか声をかけられなかった。彼女は言葉なく、ただ小さく頷くだけだった。彼女はその後、3日間空港内に留まり帰国便を待つこととなる。
それから会うことはもうなかった。インドにはその後一度だけ行ったが、その時彼女はいなかった。まだパソコンも携帯も普及していなかった時代。クレタ島の友人の家に行くとだけしか聞いていなかった。

 それでも彼女は地球のどこかで踊り続けていただろうなと思う。今でもきっと踊ってるに違いない。いくつになっても、おばあさんになっても踊ってる。

 生まれた時から内側に持っているピュアなひとすじの道。
眼には見えないその道をたどりながら踊り続けている。
喜びも悲しみもすべてダンスのエネルギーに変容させてしまうことだって、できてしまう。それはあたかも流れゆく白雲の道だ。
臨機応変。自由自在。あるがまま。

 『その道はあなたの内側にもあるのよ。』
ということを皆に伝え、分かち合おうとしていたのだと思う。
そういう人だった。




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ベリーダンスの美と神秘溢れる動画。

"Celts.Druids" - Tash @ Tribal Festival in Belarus 2017



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