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心を込めて作る料理は愛情表現のひとつ

いつだったか数年前の春分の頃のことです・・

当時の私は、いろいろな問題を抱えていました。

毎日がとても大変で苦しかったけれど、それでも希望を失わずに生きていました。

その頃、私の子どもは思春期を迎えて何かと意見が対立することが多くなりました。

それは、とても自然な人としての発達なのですが・・

子どもが小さかった頃の微笑ましいエピソードを思い出しては、どうしてこうなってしまったのかと気分が沈みました。

子どもにとって良かれと思ったことでも、子どもに否定されたり、全く子どもの為になっていなかったりと、何かと子どもと心がすれ違ってばかりでした。

私は、元々子どもに構いすぎで過干渉でした。

どうしてそうなったのかと、よくよく考えてみると、自分が子どもだった頃の環境に行きつきました。

私は、逆で親に構ってもらえなくて寂しい子ども時代を過ごしました。

だから、私は自分が親になったら、子どもには何でもしてあげたいと思っていました。

でも、実際に親になってみて気づいたことは、子どもが求めてきたら与えれば良くて、求められてもいないのに与えると子どもの成長の妨げになり信頼関係が築けないということでした。

私は、自分の親を反面教師にして子育てをしていましたが、一方では、
自分が育てられたようにしか育てられないという人もいます。

子を育ててみてわかるのは、失敗させないように育てるのではなく失敗をどんどんさせて、その後どうするのかを自分で考えて行動していく力をつけることが大切だと思いました。

子どもが思春期だと、なかなか関わりづらく、そっと見守る日々ですが、それでも出来ること・・

それは、大人になった時、辛いことや悲しいことがあっても逆境に負けない土台となる身体

その身体をつくる日々の食事(食習慣)

親としてやってあげられること

私は、かねてからこう思っていました・・

今の時代、食べるものは、お金を出せば何でも買える。

でも、その料理を食べる人のことを考えて、身近な人が作った料理は美味しさだけではなくプラスαの想い(愛)が込められている

それは、身体の中に入ると、その力を発揮して、その人を護ってる

私は、そんな風に思っています✨

そう考えると、私が親として確かに子どもに与えられるものは、丈夫な身体だけなのかもしれないとさえ思いました。

数年前、新宿の街を歩きながらそう感じたことをつい最近思い出しました。

心を込めて作る料理は、愛情表現のひとつだと思う。



ここまで、お読みくださいましてありがとうございます✨


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