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ワタシハナニモノ?(2)

最近、自分の意志で何かを決断して人生を選んでいる友人をSNS上で見つけると「ワタシハ…?」となんだかモヤモヤする。

レールを作ってもらって、チョウチンアンコウのように餌を魅せられて前だか後ろだかわからない方向に進んでいる自分と比べているから余計にモヤモヤする。

案外私は外から与えられる変化(敷いてもらったレール)より、中からの変化(自らの選択で決まる意志)に居心地の良さを感じる。
最近気づいたが外からの変化に、私はめっぽう弱いらしい。

そして自分のことを器用だと微塵も思っていないが、どうやら器用に見えるらしい。
コミュニケーション能力は人並みにはあると思う。
まあ、「外国語」をツールとしたコミュニケーションを勉強してきましたからね。
最近言われて気づいたのは、他人の口から出て来た言葉をそのまま受け取ることはあんまりしない。
疑っているという意味ではなく、前後の会話からこの言葉が出て来たってことはこの背景と繋がるのかなとか、含みや行間を無意識的に考えている気がする。
その行動こそが私の強みであり、やりたいことの一つなのだと指摘されて気づいた。
自分で気付けないのが私のポンコツ加減。
野球部でも、アルティメットのチームでも、マネージャーという立場は、誰かの
「これがあったら良いな」
「こうだったら良いのにな」
「本当はこの言葉からここを汲み取って欲しいんだけどな」
のような痒いところに手が届くみたいな、そんな立ち回りに居心地の良さを感じる。
そして誰かのためになったり、人の役に立てているという実感を得られる。

そうなると私が望んでいるのは、「言葉」というツールを使って人と関わること・コミュニケーションを生業とすること。
そして自分が先頭立って旗を振ったり、個人で何かを成し遂げるのではなく、チームで旗を振ってる人の穴を埋めていくこと。
ってことにやっと辿り着いたわけです。

っていう話を友人にすると、「でしょうね」の一言で会話が完結する。
自分のこと何もわかってないなあ。

そしてやっぱり型にハマっておけば楽で良いのにね。とも思う。
「私たちは2択を提示された時に、なんでこんなにも難しい方を選んでしまうんだろう。」
これは腐れ縁との会話。
人生の折に触れるといつもこのセリフがどっちかの口から溢れている気がする。
今日もこのセリフが出て来た。

さてさて頭をリセットして色々考え直すフェーズですかね。

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