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わたしが子どものころ、ほしかった親

✤こちらは2018年9月4日に公開した記事のアーカイブです

前回の記事から3ヶ月、その間にたくさんのことを考えてきて、そろそろ1つ記事としてまとまるかな、と思っていたところでした。

先日発売された幡野広志さんの「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」を読み、たくさん心に響くものがあったので、触発された記事を急きょ書くことにしました。


親子関係に悩む人たちの救いの手にもなる1冊

読み始めたきっかけは、コピーライターの糸井重里さんがtwitterでリツイートされていたこと、著者の幡野さんが自分と同年代でありながら、癌で余命宣告を受け、お子さんに向けて書かれた本であることでした。

しかし読み始めて、これはぜひ「自分の親はおかしい(かもしれない)」と思う方にも手にしてもらいたい本だと強く思いました。お子さんのいる方や、闘病中の方だけではなく。

同年代の方が闘病し余命を意識しながらも、こんなことが書けるのだという衝撃。
こんな親のもとに育てられたかった、そうだったらどんなに良かったかという切なさ。
こんな風に考えられる父親である著者が、子供と過ごせる残された時間と自分の気持ちを文字にして子供に託す勇気。

そういうものが何度も胸に迫ってきて、何度も読むのを中断しました。後半1/3程にもなると、夢中で泣きながら読みきった。

狩猟の話がある通り、病気以前に生と死について深く考えを巡らせ続けた人だからこそ書ける文章なんだろうな、と思いました。


親との関係に悩む人は、そのテーマの本に行き着くのが自然だし、最近はそういう本も多く選択肢はたくさんだと思います。
私も何冊かそういう本を読んできました。ネット上の情報も、ブログもたくさん読みました。

しかし、正常ならざる親子関係の真理、解決したい人への救いの手は、いわゆる毒親が主なテーマでなくても存在する。そう思わされた一冊でした。

親と自分の関係に悩む人は、親がどこまで子供を信じていて、どのくらい信じていないのか、そして子供としての自分はどこまで自分の人生を生きる力がついているのか、この本を読んでぜひそれらを見極めてみてほしいです。たくさん生きるヒントが散りばめられています。


適切に努力をして、目指していることを実現する重要性

ここ3ヶ月の間書いていた記事で、取り上げようとしていたことがひとつありました。それは、何らかの事情で親との関係が歪な子供が、自力で承認欲求を満たすことの重要性です。満たす手段になるのが、自分の好きなこと(幡野さんの本では、これを「ライフワーク」と絡めて書かれています)。

詳しくは後日その記事でも触れるつもりです。

幡野さんは、ご家族に満たされなかった承認欲求が、写真で賞を獲ったことで満たされたと書かれていました。
私自身も、偶然にもライフワークを通じて作り上げた物や周りの反応で満たされてきたところがあり、とても腹に落ちるお話でした。

私は親に認められて早く親元を離れたかった余り、自分の意思で選んだとこじつけながら本来の自分では選ばなかったであろう道に進みました。親との衝突や高すぎるハードルに心が折れ、後に挫折。その一方、ただ好きな一心で始めたライフワークのほうが、目指すイメージに対してひたすら努力できて、選んだ道より遥かに早く伸びた実感があります。

そこで少しずつ認められることを増やしていくうちに、選ぼうとして選ばなかった道でも、好きなことでも、どちらも同じく「目指すものに必要なステップを設定して、ステップを乗り越え続けて達成する」が出来るようになりました。

こう書くと美談のようですが、親とのことで心も身体もギリギリのところまで追い込み、それが故多くの場面で迷惑をかけ、友人知人の理解と助けを借りながらやっとたどり着きました。

きっとそんな遠回りをしなくても、この法則を掴める人生はあると思います。この本は、そういう法則を知るきっかけになりうるものと思いました。


自分だけの価値観を持ち、知識と知恵を使って苦境を抜け出す必然性

何らかの問題を抱える親(精神的・肉体的虐待、アルコール依存、強烈な自己愛、過干渉など)のもと育った・育てられている人は、自分なりの価値観を持つことが難しいです。

でも、その環境に違和感を覚える価値観は持っている。そうであれば、友人でも先輩でも、学校・塾の先生でも、家庭の外で価値観を見出せるよう動いてみるのはひとつの手です。

「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる」に分かりやすく、全体を通して書かれていますが、人によって価値を置く基準は様々。自分が何をしたら幸せなのか、それがかなう環境なのか。それを考えるためにも、少しずつ制約をかい潜って経験することを、私もおすすめします。

そうやって価値観を育てるうちに、親との苦しい環境を抜け出すヒントが得られるかもしれません。いろんな人と話し、たくさん考えて、自分なりの答えが出てきた時、やっと行動を起こせるのだと思います。

こんなことされて辛い・辛かった、またやられるかもしれない、もっとやられるかもしれないから怖い。もう何もされたくない。

わたしも山ほど親にそういう感情を抱いて生きていました。つい最近も1ヶ月くらいは恐怖と身体的な反応(動悸、頭痛や食欲不振)で、穏やかに暮らせませんでした。

でも辛い苦しい怖い、と言っているだけでは何も変わらない。誰かが変えてくれるわけではないし、親も変わらないし変えられない。

変えるためには、自分で知識を得る努力をして、知恵を使って動くのは不可避です。

この本を読むと、その重要性を客観視できる章があります。

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きっと本来作者が意図していない形で解釈、紹介しているところもあったかと思います。そしてすでにこの作品は大ヒットだと思いますが、ぜひ、親子関係・いわゆる毒親問題に悩む多くの人の手にも渡ってほしい。そう願って長々と書きました。

作品の中にあったのは、まさしく「わたしが子どものころ、ほしかった親」でした。子どものころどころか、大人になった今もほしいです。

最後に、著者幡野さんと糸井さんの対談が掲載されているリンクをご紹介して終えます。

Photo by Liane Metzler on Unsplash

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