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質問

質問には意図がある。
相手の意図を汲み取った適切な返答が相手にとって望ましい。
相手との円滑なコミュニケーションを取りたいと望むなら、はぐらかしたり、質問に質問で返したり、黙ったりしないほうが良い。
当たり前の事だ。
相手の知りたい事を自分が知っているなら、教えるのが普通だ。
答えたくないのとわからないのは別だ。しかしアウトプットは同じだから、相手にはこちらが答えたくないのかわからないのかが判断できない。単純に知らないという事を答えたくないという場合もある。質問の意味がわからない場合、質問を質問で返す場合がある。相手の意図がわかっていると思っても、それが自分の誤解でないかどうか良く考え、決めつけない方が良い。

「この席空いてますか?」
「座りたいんですか?」
「座ったらマズいんですか?」
「マズいとはどういう意味ですか?」
「マズいの意味がわかりませんか?」
「あなたはわかっていますか?」
「私がマズいという言葉の意味を理解して使っているか知りたいんですか?」
「私が知りたがってると思いますか?」

このへんで大体、人は立ち去る。
コミュニケーションが図れないと考えると、これ以上話していても無駄だと考えるからだ。馬鹿にされていると感じる人もいる。
しかし、もしも相手に自分の質問の意図を汲み取られるのを警戒する人が相手なら、質問者は情報を得るのが難しい。だから時として質問者は自分の事情を前置きする。
「私は席に座りたいので空いている席を探しているのですが、この席は空いていますか?」
しかしこの前置きは必要な場合と不要な場合を使い分けなければいけない。自分が質問した場合に相手がその質問について疑問の余地があるかどうかだ。
公園のベンチか、喫茶店か、自由席のコンサートか、一般的に「この席は空いていますか?」に前置きは不要だろう。
情報を与える事が必ずしも親切とは限らない。誤解を放置するのは不親切だと考える人もいるが、理解していないフリをして説明が不足していた事を叱責する人もいる。実に面倒くさい。
人間は無意識に嘘をつく。よく何処かの国の人は息をするように嘘をつくと言う人がいるが、全く自覚が足りないと言わざるを得ない。人類共通の特徴だ。いや、言語を使うのが人間だけだからだ。人間は憶測を思い込むし誤解を容認する。質問に対して反射的かつ機械的に答える人は誰一人いない。
質問に意図があるように、答えにもまた意図がある。
「ウラオモテの無い人」という表現があるが、人間は自分が何を考えているのかも明確に表現できない。明確な表現は深層と乖離してしまうし、「言葉どおりの意味」と言っても言葉の意味には発する人の意図がある。どういう意図があって言ったのかが重要で、言葉そのものはさほど重要ではない。だから「言葉どおりの意味」というのは更に誤解を助長する。

では、先に書いた会話について細かく分析してみよう。

A「この席空いていますか?」

この質問の意図は一見単純に思える。Aさんはその席に座りたいのだ。特殊な状況もあるだろうが、例えば映画館で席を探している人に自分の隣の空いている席についてこう尋ねられたら、「どうぞ」あるいは「空いてますよ」となるのではないだろうか?

B「座りたいんですか?」

次のBさんの質問は特殊だ。この会話のやり取りだけでは判断できない特殊な状況が考えられる。何故なら大抵の場合「座りたい」に決まっているからだ。「そうですか。それではごきげんよう」と言ってその席が空いているという情報をただ収集するだけで立ち去ったら、かなり特殊な状況であり、Bさんは理解に苦しむだろう。では何故、わざわざBさんはAさんに訊き返したのか?
例えば、Bさんが若いご婦人で、Aさんが見た目不審な男性で、しかも空いている席は他にも沢山あるのだとしたら、Bさんの意図はこうだ。
「どうしてあなたは私の隣に座りたがるのですか?私に何かご用ですか?」
他にも特殊な状況は幾らも想定できるが、仮にBさんの心理としてAさんが座りたいのかどうか本当に疑問で、Aさんに対して敵意も悪意も無いのだとしたら、Bさんはアスペルガー症候群かも知れない。

A「座ったらマズいんですか?」

席が空いているかどうか尋ねて、座りたいのかと訊き返された。座りたいから空いているかと訊いたのに、座りたいかどうか訊き返されるのは、きっと座れない事情があるからに違いない、とAさんは考えるだろう。しかし「はい」と答えずに、一歩進んでAさんは座れない事情を訊いている。まだBさんは空いているともいないとも答えていない。つまりはAさんはBさんの意図を「憶測」したのだ。まだこの時点でAさんはBさんに座って良いかどうか訊いていないし、空いているかどうか単純に聞いただけなのだという自覚すらないだろう。

B「マズいとはどういう意味ですか?」

ここでBさんは「マズい」という曖昧な単語にこだわる。Bさんは本当に認知機能に問題のある人なのだろうか?Aさんは座っても差し支えないかどうか訊いているだけで、「マズい」に特別な解釈は必要無いはずだ。「マズい」という言葉を使ったのには何の含みもないし「マズい」の部分だけ強調して喋ったつもりもないだろう。しかしBさんはそこにこだわる。不思議な状況だ。

A「マズいの意味がわかりませんか?」

話が脱線した。Aさんはここで1ターン戻すべきであって直近のBさんの質問に応対するべきではない。つまりは「マズい」という単語を使わずに言い直すべきだ。
「私がここに座ると何か差し支えがありますか?」
これなら仮にBさんが「マズい」という単語の意味を理解していなくても、元の質問に戻せる。「差し支え」が駄目なら「問題がある」でも何でもいい。なのにAさんは「マズい」で通じなかった事に腹を立てたのか何なのか、自分の質問の意図を理解しないBさんを責めはじめたのである。

B「あなたはわかっていますか?」

ここまで来ると、最早AさんにはBさんにおちょくられているとしか思えない状況だ。もしもBさんがロボットとかではなく、意思を持って発言する人間なのだとしたら、席を探して右往左往する自分を嘲って面白がっているか、この場に相応しくない人間であると差別されているか、とにかくBさんが自分に席を譲る気が無いと判断するだろう。

A「私がマズいという言葉の意味を理解して使っているか知りたいんですか?」

最早口論の範疇に入る「言い合い」である。会話が本題から逸れた事をお互いに責め合っている。
主に逸らせているのはBさんだが、Bは何故こうも分かっているはずのAの意図をはぐらかすのだろうか?「座らせてください。お願いします」とはっきり言わせてマウントを取るのが目的なのか?意地の悪い返答を繰り返し、質問に答える気がないように思える。本当にAさんが座りたいのかどうかを知りたいのかも知れないが、それを確認したい理由は何だろうか?
「私がこの席に座りたいのでこの席が空いているかどうか確認の質問をしました。もしも空いているなら座らせて欲しいのですが構いませんか?」という手続きがBさんにとって大切な礼司なのかも知れないし、そういうプロトコルを踏まないと他人とコミュニケーションが取れないほど融通の効かない人物なのかも知れない。
一方で、Aさんは何故か頑なに座りたいという意志をはっきり口にしない。言わずもがなと考えていてまだ座りたい意志を相手に発言していない事に自覚が無いのかも知れない。それにしてもしつこい。さっさと他に席を探しても良いし、強引に座ってしまっても良いのに、Bさんの許可を待って無駄な会話を続ける。その意図は?

B「私が知りたがっていると思いますか?」

ここでBさんは自分が知りたがっているのはAさんの意図だと暗に語る。もう一度最初の質問「座りたいんですか?」を繰り返しても良いのに、敢えて直近のAさんの質問に対応しようとする。「私が知りたいのはそんな事じゃない。あなたが座りたいかどうか知りたいんだ」と言う代わりに「あなたは本気で私がそんな言葉尻について知りたいと思っているのか?そんなわけないだろう?私の質問を思い出せ」という意味でこの最後の台詞を言っている。しかし丁寧に言ってはいない。

この一連の会話は実に不思議である。しかしながら憶測と思い込みが誤解を生む仕組みを表している。
果たして、席は空いていたのだろうか?
Aさんがその席に座る目的は何だったのだろうか?
Bさんが席が空いているのかいないのか教えなかったのは何故か?
Aさんは自分の目的をBさんに理解されていると誤解していたのか、それともそれは誤解ではなかったのか?




2024.3.16

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