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九州南朝の西征府が置かれた都🍃菊池一族の本拠地 菊池市歴史さんぽ⑦ 【亀尾城跡】

こんにちは。今回は菊池散策レポートの7回目です。熊本県菊池市は鎌倉時代後期から室町時代にかけて栄えた菊池一族の本拠地で、南北朝時代には征西将軍宮・懐良親王を迎え、九州南朝の征西府が置かれた都市です。今回ご紹介するのは菊池市七城町にある亀尾城跡です。

【背景】太宰府西征府陥落後、懐良・良成両親王を奉じて本領菊池に退却した17代菊池武朝は、1375年の水島の戦いで今川了俊率いる北朝軍を破ります。この後両軍は勝敗を分け合いながら合戦を繰り返しますが、今川が再び菊池の本拠に攻め寄せた1379(天授5)年の板井原(いたいばる)の戦いで亀尾城を拠点に前回ご紹介した台城が落とされ、1381(弘和元)年には菊池の本城守山城が陥落することになります。菊池散策シリーズ最終回の7回目では、菊池本城攻略のために今川軍が落として2年に渡り陣を張った、菊池十八外城の一つ、亀尾城跡をご紹介します。※菊池十八外城とは、菊池本城防衛のため本城の周りに配された支城。

菊池一族の最盛期を築いた15代菊池武光公とその時代を説明した【予告編】を事前にご覧いただけますと、今回の散策記事をより一層楽しんでいただけると思います↓

亀尾城と菊池本城の位置関係

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菊池市公式website「菊池一族」台城 Google My Mapsを加工。オレンジのスポットは菊池十八外城。

亀尾城跡は、県による発掘調査の実施後に公園整備され、壕や曲輪が復元されています。そのため、昔そのままの遺構を偲ぶことはできませんが展望所からの見晴らしも素晴らしく、散策しやすい城跡でしたよ!城跡がある丘陵の麓にある前川水源の駐車場に車を停めて散策スタートです♪

まずは亀尾城のある丘陵を西側から望む図↓

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丘陵に沿って走る、麓集落を通る道をしばらく進み城跡入り口の麓にある前川水源に向かいます↓

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熊本名水百選・前川水源の駐車場に到着です🚙

前川水源

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駐車場横にある水汲み場↓ 飲んでみた感想は、スーッとして美味しかったです!(←語彙力)

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以下、前川水源ギャラリー↓  
しばし涼を感じでくださいませ🎐

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魚もいますね↑ 写真には映ってませんが、子供達も水遊びをしていましたよ🛟しかしこんな豊かな水源付きなんて、めちゃくちゃセレブな山城ですよね⛲️美味しい水飲み放題、水浴びし放題。長期滞陣しでも快適に過ごせそうです✨さすが今川さん、いい城取るなと思いました。

それでは早速、前川水源駐車場から上に続く亀尾城跡を散策しましょう👟

亀尾城跡

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亀尾城跡公園の案内図↑ 現在地から階段を登り④板井熊野座神社(屋形跡)をご紹介した後、ルートに従って③展望所→②豊前堀→①主郭跡の順に散策して行きます。

その前に、案内板の解説を下に引用しますね。

 亀尾城は菊池十八外城の一つに数えられる城跡で、菊池本城の南西方向の重要な拠点として、菊池一族が整備したとされています。中世の頃は、板井の地区名を取って板井城と呼ばれていました。
 この地は花房台地の中央を横断する板井川の北縁にあたる交通の要衝で、古くから政治的にも重要な場所だと考えられてきました。また、城跡の高台から菊池平野が一望できるため、南北朝時代には軍事上の要地となり、九州探題今川了俊とその子仲秋が菊池を攻めた際には、攻略の拠点として万を超える大軍を2年間にわたって駐屯させたこともありました。現在は公園として整備され、豊前濠や曲輪が再現されています。

※「今川了俊とその子仲秋」とありますが、仲秋は了俊の弟ですが、後年了俊の養子となったようです。

ここから暫くはキャプションに実況解説入れていきます。

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傾斜のある石段を登っていきます。
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登り切った左手に段々になっている平坦地。家臣団の屋敷が建っていたのかな?(←勝手な想像です。)
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右手の木の門が展望所入り口ですが、先にその奥の板井熊野座神社をご紹介します。
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結構鬱蒼としています。手入れ前かな。
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広い境内。昔は今川兄弟の館とか建ってそう。
(勝手な想像です。)
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拝殿の中は、鬱蒼としている外とうってかわってピカピカに掃き清められている。榊も青々として新鮮そう。

それではここからは案内図の散策ルートに戻って、展望所になっている曲輪からご紹介していきたいと思います☆

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門の向こうは展望所となっている広い曲輪
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門番さん。お疲れ様です( ̄^ ̄)ゞ

そしてこちらが展望所からの展望です↓

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台城と菊池本城両方を写真に入れるのは無理でしたので、台城は入りきれてません💦写真に文字を入れるのは散策気分が薄れるので本当は好きじゃないのですが、今回は亀尾城からの菊池方の城の眺望を示したかったので、文字と矢印入れてみました。台城と菊池本城(守山城)方面の拡大写真を以下に載せます↓

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かなり見通しがいいですね。菊池の外城もこの亀尾城を皮切りに今川勢に次々と落とされていき、2年後には菊池本城も陥落することになります。

展望所にも解説板がありましたので引用しますね↓

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城は菊池川と花房台地を流れる迫田川に挟まれた台地の北端に位置し、菊鹿平野を一望する要地で、主に熊本・合志方面に備えたものです。古文書には「板井城」と出ていますが、いつのころからか「亀尾城」と呼ばれています。 
 鎌倉時代、相良一族がこの地を領して「板井氏」をとなえ、菊池氏の配下にありましたが、その後関部氏の名がみえます。
 城の中心域は二つあり、一つは社殿のある「屋形跡」と、もう一つは『肥後国誌』に言う「丸城跡」であり、これを取り囲むように堀・土塁・切落し・曲輪・堅堀・大濠などが構築され、山城の形態をそのまま留めています。
 この地は戦略上の要地であることから板井原の戦い(1379)など激戦地でもありました。
 また菊池氏攻略の基地として、九州探題今川了俊・弟仲秋などが万を超える軍勢を二ヶ年駐屯させ、板井の陣(1379)を張った城でもありました。

ということで、ルートを先に進みましょう!

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展望所の曲輪も段々になっている。
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豊前濠に向かう途中、左手に先程の神社の裏手が見える
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復元された豊前濠の一部。実際には幅8m、深さ2.7m、長さ100mに渡っていたそう。
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本丸跡に登ります。古墳を利用しているとの説も
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本丸跡
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本丸跡からさらに西に進む
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城跡の西端。下の道、少し堀切っぽい。

あとがき

亀尾城跡、快適そうで立派な城跡でしたよね。やはり菊池十八外城の一角を崩されたら、強固な菊池も守り続けるのは難しそうですよね。菊池本城陥落後、良成親王と菊池武朝は今川軍から逃れるように南下。宇土城を経由して南朝の忠臣・名和氏を頼って八代に西征府を移すことになります。

さて今回は菊池散策シリーズの最終回ですので、菊池市について感じたことを総括したいと思います。菊池は自然豊かで昔のままの面影を残している場所も沢山あって、素敵な街だと感じました。地元の方や自治体も、菊池一族を誇りに思い、文化や史跡を大切に守っていらっしゃるのが伝わってきました。そして、散策途中で話しかけて下さったり、道を尋ねた地元の方はみんな品がよくて優しい方々でした✨そしてそして、数日間に渡る菊池散策日は天気も良くて、風や光や音や香りで、菊池一族の方々に歓迎していただいているように感じました✨菊池市、大好きです❣️

が、しか〜し、ちょっと待ってください!菊池一族と両西征将軍宮の足跡を辿る記事なのに、今川了俊さんによって菊池本城は陥落しました。で終わるわけには参りませ〜ん(><;)武朝ちゃんと良成親王が南に落ち延びていくなら、私も一緒に八代に行きます❗️更に、武光さんや懐良親王が活躍した福岡の史跡も行かないわけには参りません😤ということで、今後の記事のスタンスやnote2年目の所信表明を次回の記事で述べたいと思います。

菊池一族ウォークラリー結果発表

私は【予告編】の記事に書いていた通り、菊池の史跡を散策しながら、菊池一族ウォークラリーにチャレンジしておりました💡菊池一族ウォークラリーとは、各史跡にある案内板のQRコードをスマホで読み取り画像をダウンロードし、集めたポイント数に応じてオリジナルグッズをゲットできるというものです✨史跡のQRコードは全部で32箇所にあるのですが、私は20箇所分集め、無事景品と交換できましたよ💓それが下記になりますのでご報告致します!

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5ポイント…ポストカード(イラスト)
10ポイント…しおり(武光)
15ポイント…クリアファイル (菊池家憲)
20ポイント…はし

私のチョイスは↑でしたが、景品や柄は選べるんですよ😆自分の足で稼いだ景品なだけに、もったいなくて使えません^^;  菊池市の菊池一族プロモーションの取り組み、素敵ですよね💓皆様も菊池一族ウォークラリー、チャレンジしてみられてはいかがでしょうか?

【お知らせ】画像を集めて景品と交換できる菊池一族ウォークラリーは2022/10/31で終了だそうです。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました☺️

【参考HP・参考文献】

・菊池市公式ウェブサイト「菊池一族」

・菊池市HP 市指定文化財〈史跡〉亀尾城跡

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子

・ミネルヴァ日本評伝達『懐良親王』森茂暁著 2019年 ミネルヴァ書房

・川添昭二『今川了俊』1964年 吉川弘文館

【画像引用】

・菊池市公式ウェブサイト「菊池一族」台城
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