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紅葉と肥後菊 〜旧細川刑部邸〜

こんにちは。熊本城周辺の紅葉が見頃と地元ニュースで伝えていた&肥後六花のひとつ、肥後菊の展示が先週から始まったとの情報を得たので、熊本城敷地内にある旧細川刑部邸に行ってきました!庭園の紅葉と可憐な肥後菊が素晴らしかったです🌼写真で紹介していきますので是非見ていってください。

まず最初に、旧細川刑部邸の説明です↓

旧細川刑部邸(きゅうほそかわぎょうぶてい)は、元は子飼にあった藩主細川家の分家である細川刑部家の下屋敷で、平成5(1993)年に城内に移築されました。県指定の重要文化財となっており、全国有数の上級武家屋敷としての風格を感じさせます。 〜熊本城公式HPより〜

続いて、肥後六花と肥後菊の説明です。
肥後六花(ひごろっか)は、肥後椿(ひごつばき)、肥後芍薬(ひごしゃくやく)、肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)、肥後朝顔(ひごあさがお)、肥後菊(ひごぎく)、肥後山茶花(ひごさざんか)の6種の花の総称になります。

肥後六花の歴史は古く、いまから250年ほど前の、江戸時代までさかのぼります。熊本藩のお殿様、六代藩主・細川重賢公が、家臣(武士たち)の精神修養に園芸を奨励したことに始まったといわれています。
六花に共通する特徴としては、「端正な一重咲きで優美な花芯、清らかな色」 であることです。
「花連」と称する肥後六花それぞれの保存団体の厳しい規律と武士の誇りのもと、苗と種は、「門外不出」の宝として厳しく守り継がれてきています。肥後六花の栽培方法や鑑賞方法は、それぞれに独自の作法が伝わっていま す。「肥後六花」は、先人たちが守り伝えた美と修練の結晶です。季節ごとに美しく咲き誇る花々からは、昔の人たちの思いを感じることができます。

【肥後菊の歴史】
文政二年(1819)には、肥後菊栽培の花祖と呼ばれる藩士秀島七右衛門が、肥後菊栽培要綱を指示した「養菊指南車」を著しました。そこには、肥後菊の花壇作法が定められており、明治二十年、肥後愛好者によって「愛寿会」が結成された後も固持され、現在に至ります。現在作られている肥後菊花壇作りは、秀島流に依ったものです。
〜熊本県HPより〜

因みに肥後菊は、薄物の一重咲きで、大輪・厚物咲きの豪華さを追求する通常の菊作りとは異なり、清雅高爽な美しさを求めるのだそうです。見たことがないので、どんな菊なのか楽しみです。では、早速行ってみましょう!

熊本城跡の敷地は広大で、今回は南西側登り口から入って、旧細川刑部邸に向かいます👟

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博物館と刑部邸の間の細い石畳の道を抜けると

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ありました!刑部邸入り口

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中に入って早速、美しいもみじが見えます。

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庭園内の美しい紅葉を楽しみながら、肥後菊を探して先に進みます。

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お、ありました!肥後菊が展示されています🌼

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並べ方にまで細かい決まりがあるんですね〜😲
それぞれの鉢には、風流な名前が付いています。

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肥後菊、初めて観賞しましたが、やはり華美な感じはなく、凛としたたたずまいで品がありますね✨肥後藩士の精神性を感じます。なんだか、ルース・ベネディクトの『菊と刀』を思い出しました。それでは、先に進みます🏃‍♀️

茶室に続く道

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館の中は現在見れないのですが、塀の外から眺めるとこんな感じです↓

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いかがでしたでしょうか。私は数ヶ月前、肥後六花の伝統を守り育てている方々のドキュメンタリー番組を見て感動し、肥後六花に俄然興味を持ちました。展示されている鉢は少ないですが、育てている方の家には数え切れない数の鉢があり、一つ一つを手塩にかけて育て、その中で展示の時期に一番美しく出来上がった鉢を、持ち寄っていらっしゃるのだと思います。(間違っていたらごめんなさい🙇‍♀️)肥後六花は熊本の美しい伝統文化です。残りの五つの花も、四季を通じて観賞しに出向いて行きたいです❣️その際はまたnoteにUPしますね。

また、特別史跡 熊本城の敷地は広大で、今回訪れた刑部邸は熊本城内の北西エリアの一画です。他のエリアも四季折々の自然が美しいので、また散策してnoteに記事を書きたいと思います。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

#紅葉前線レポート

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