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小西行長と馬門石の里🌹宇土市歴史さんぽ① 【船場橋と轟水源】

こんにちは。今年初めての連載は熊本県の中央に位置する宇土市の史跡散策です。みなさま、今年も宜しくお願い致します!宇土市は馬門石(まかどいし)と呼ばれるピンク色の阿蘇溶結凝灰岩の原産地で、古代には中国・近畿地方の古墳の石棺として使われました。また、宇土には二つの城があります。中世宇土氏&戦国名和氏の居城・中世宇土城と、秀吉の九州平定後に宇土領主となった小西行長の本城・近世宇土城です。江戸時代には熊本藩の支藩(宇土細川藩・三万石)として栄えました。宇土市も歴史の宝庫でワクワクしますね✨
第一回は、江戸時代に造られた馬門石製の石橋・船場橋と轟泉水道井戸、その水道の水源・轟水源をご紹介します。

今回散策する宇土市中心部はここ

散策スポット紹介

今回の散策スポットを赤字で記載しています。地図は轟水源の解説板を拝借しています。(かなり小さくて見にくいですが💦)

石橋と井戸がある船場町と轟水源は3キロ程離れている為、今回は車で移動しました。手書きの赤線は走行ルートではなく、馬門石の水道管を使った江戸時代の轟泉水道のルートです。(青字で記載した中世&近世宇土城は後日の記事でご紹介予定です。)今回は、宇土市街地の中心付近にあるセブンイレブン宇土本町4丁目店横の有料駐車場に車を停めました。それでは、散策スタートです🏃‍♀️

本町通り(県道297号線)を船場町方面に歩きます。
船場川に架かる陶器製の現在の船場橋を左折すると
ありました!馬門石製の美しい石橋です✨

船場橋(市指定有形文化財)

美しいローズピンクの石橋ですね〜🌹見つけた瞬間、感動してしまいました✨こんなにエレガントな石橋、今まで見たことないかも。船場橋の建造年代は江戸時代末期頃と考えられているそうです。長さ13.7メートル,幅4.1メートルの単一アーチ橋で,石材は宇土市網津町で採れる馬門石と安山岩です。現地案内板を引用して、石橋の構造と石材について説明しますね↓

高欄と輪石部分が馬門石で、壁石は安山岩なんですね〜。この配色のコントラストにも、昔の職人さんの美意識が感じられます✨右横には馬門石についての、以下の説明書があります。

馬門石とは、約9万年前の阿蘇火山の火砕流が堆積し、数十年かけて冷え固まった石で、「阿蘇のピンク岩」と呼ばれる。また、大和朝廷(推古天皇)に石棺として献上したとされる歴史がある。

この馬門石、大昔に阿蘇山が噴火したときの火砕流が堆積したものとのことですが、宇土は有明海に臨む町なので、九州の中心にある阿蘇山の火砕流が有明海まで流れたってことですよね😳阿蘇山の噴火の規模の大きさにまず驚きです🌋この火砕流堆積物は九州各県に分布しているようですが、馬門地方のものはなぜかピンク色をしており、宇土市網津町馬門(まかど)地方にしか見られない珍しい石なんだそうです。その希少さもあってか、近畿地方の古代の最有力者の石棺にも使われていることが判明しています。宇土から近畿までどうやって運んだのかとか、気になりますよね〜🤔このロマン溢れる馬門石については、3回に渡って記事に取り上げる予定ですので、次回以降掘り下げて行きたいと思います❣️

橋の近くには、馬門石にタイル?貼りの船場橋・船場町元禄期古図・轟泉水道井戸の解説板もありました↓

船場町付近は,江戸時代は、宇土細川藩蔵屋敷,船手奉行屋敷をはじめ御船手衆,弓衆,鉄砲衆などの武家屋敷が設けられ、荷物の集積場として賑わっていたそうです。船場橋周辺は船着場の遺構である古い石段や、市指定天然記念物の江戸時代からのエノキ群が川岸に植わっていて、涼やかで落ち着いた雰囲気が漂っています。以外、船場橋周辺の写真ギャラリー↓

船場橋の隣には船着場遺構の古い石段
対岸の天然記念物のエノキと堀の石垣が涼しげ
石段から船場川下流を望む
御蔵屋敷があった場所はお洒落なレストランになっている
レストランの横には立派な長塀の旧家が佇んでいる

この場所だけまるで江戸時代にタイムスリップしたような素敵な雰囲気ですよね✨人通りも少なく静かで、石段に座っていつまでも物思いに耽っていたい気分になります。それでは、船場町界隈散策の最後に、大事な轟泉水道井戸をご紹介します↓

この井戸に使われている馬門石も、ピンクの発色が綺麗ですよね。写真の案内板と、さっきの石にタイルの解説板をミックス編集して、以下に水道と井戸の説明をいたします。

宇土の中心部は良好な地下水に恵まれなかったため、宇土支藩初代藩主・細川行孝の命によって、寛文3年(1663)に水道が敷設されました。この水道は、轟水源から宇土城下町を抜け、船場川に至る約3kmという大規模なものでした。最初の轟泉水道は陶管製でしたが、老朽化によって敷設から100年後に馬門石製の樋管へ造り変えられました。我が国最古の現役上水道である轟泉水道は藩営事業として実施され、士族においては屋敷内まで水道が引かれ戸別に井戸が設けられたのに対し、商家には数戸ずつの共同井戸が設置されました。これらの井戸は樋管と同じく馬門石で造られており、現在でも数カ所に現存しています。

この馬門石製の上水道、全域ではないようですが、今でも現役で使用されているって凄いことですよね😳それではこれから、この水道の水源地である、日本名水百選、轟水源に車で向かいます🚙

轟水源(日本名水百選)

轟水源は肥後三名泉の一つで、日本名水百選にも指定されています。湧水量1日約6千トン、水温約18度。味は清洌甘味で特にお茶に適しているそう。轟泉水道の水源として、今でも約90戸に飲用水として給水されています。以下に轟水源と轟泉水道について詳しく書かれた現地案内板を掲載しますので、ご興味のある方は拡大してお読み下さいませ。

以下、轟水源周辺の写真です↓

画面右上が水汲み場
水源横の馬門石製の石碑
水源奥には細川家九曜紋のある馬門石製の祠が

写真には写ってませんが、水源はたくさんの人で賑わっていましたよ。駐車場も水源手前に第一🅿️、水源横の道を進んだ先にも広い駐車場があって便利です。因みに水源の先には、大太鼓収納館という雨乞いで使われた大太鼓が叩ける施設(子供達が楽しそうに叩いてました)や、宇土細川家の菩提寺・泰雲寺跡(轟御殿跡)があるので、轟水源に行かれた際はそちらにも立ち寄ってみられてくださいね。

あとがき

今回の散策地では、まず馬門石の色の美しさに魅了されました。前述のように、阿蘇火砕流堆積物は九州各地に広がっていますが、なぜか宇土の馬門地区のもののみピンク色をしており、理由はよく分かっていないようです。不思議で魅力的な石ですよね。轟泉水道と雨乞い太鼓のエピソードからは、宇土では昔から水に恵まれなかったのかなと感じました。また、不便さが人間の知恵を引き出し、偉大な事業を生み出すんだろうと感じました💡次回は、馬門石の石切場跡がある宇土市網津町の散策レポートをUP予定です。石切場跡近くには馬門石製の鳥居の神社や祠があり、少し神秘的な雰囲気の素敵な集落でしたよ✨次回も是非宜しくお願いします❣️

年末にご紹介した長部田海床路の別の日に撮った写真。この日は干潮で道が現れ、島原半島の雲仙普賢岳もクッキリ

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【参考HP】
・宇土市ホームページ
・熊本県総合博物館ネットワークポータルサイト
・熊本県公式観光サイト

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