部屋の中で散髪した 初夏の朝

ある朝。いつもよりもだいぶ早く、目が覚める。
ぶ厚い毛布の中でぐるんとうつ伏せになると、カーテンのやわらかいひだの下に、朝日が漏れている。

部屋の中はうす暗い。本棚の上に飾った一輪のひまわりも、バイクの前でにっこり笑うユキちゃんが表紙の「風とロック」も、CDの積み重なったラックも、みんなまだ寝静まっているように見える。まず、私だけが起きる。部屋の主。

いつもと違う、すずしくて苦いにおいがする。昨晩遊びにきたヘビースモーカーの友人と、部屋の真ん中で夜どおしずっとぷかぷかとふかしていた名残りだ。
はじめその子は換気扇の下で吸うよと言ってくれていたのだけれど、毎回立たなきゃいけないのもあれだし、なにより心地よく過ごしてもらいたかったので、アルミホイルをねじって即席の灰皿をつくった。
好きに吸って大丈夫だよと伝えたらめちゃ目を輝かせて、そこからはまったく遠慮なく吸い殻を積もらせていた彼女。私の家にあるマッチを気に入って、何度も何度も擦って、一箱持って帰った彼女。結局アルミのお皿は2回作った。


昨晩は楽しかった。ギターを弾いたり、ハモってみては録音して聴いて、なんか合ってるのか合ってないのかわかんなくて笑ったり。
騒いだ音がまだどこかに浮かんでいるような気がする、妙にしずかな朝。余ったお菓子も、灰も、祭りのあと。

のそのそと起き上がって、枕もとに置いてある「ニ代目」と呼んでいる百均のカチューシャをつけていっきに前髪を上げる。視界はクリア、目はわるくて見えてない。
ちなみに一代目はこの前、手に持った瞬間みっつに割れておじゃんになった。なんの力も入れてないのに……とその時はおどろいて、思わず漫画のシーンのように自分の手を見つめてしまった。
カチューシャはもろいイメージで、消耗品だ。記憶の中ではいつもいつも、さよならを想像する間もない早さで、プリッツのように簡単におれてる。

ミニテーブルに散っている灰をふきとり、花の刺繍が入ったテーブルクロスは洗濯機へ。明かりをつけずに台所に立って、昨日残したままの食器を洗う。
二つのグラスの底にはレモン風味の緑茶の粉が残っている。スーパーで見た時美味しそうだったのでおためしで買ってみたけれど、これはあんまりだったかもしれない。すっぱいお茶だった。あとはケーキを置いていたガラスのお皿。ビール缶はすすいでつぶす。
昨日食べた夏蜜柑のタルトおいしかった。
大きくて明るいオレンジのフルーツが沢山のって、うすく砂糖のシロップがかかっていた。こんなすてきな食べ物あっていいの、という感じだ。
オレンジって好き。口紅もオレンジだし、睫毛も、香水も。数年前は髪もオレンジに染めていて、遡っていつか亜紀子ちゃんと手紙交換していた時も、封筒を指でこすると、渋い紙の匂いにまじって「オレンジの香り」がした。


洗い終わった食器を網状になった棚にならべて、濡れた手を拭く。カーテンを開け、窓から日が差しこんで、ようやく部屋に朝が来る。
ちらっとベランダに顔を出して、道路を確認。ごみ収集車がまだ来ていないみたいでラッキー。Tシャツ姿のおじさまが、犬の散歩をしている。
いいなあ、と眺める。
そして暑い。
タルトを食べたあの瞬間、今年の夏が来たのかもしれない。そんなふうに思える気温。


朝ごはん。
電気ケトルでお湯を沸かしてお味噌汁をつくる。コンビニで買いこんだなめこのやつに、さらに自分でお味噌を足す。本当は、一からちゃんと作りたいと思う。そしたら沢山なめこと、わかめと、お麩を入れたいな。好きなものだけ。
かき混ぜながら、壁に背をぴったりつけて座る。
昨日の友人が、シャボン玉がやりたかったのに忘れてきちゃったと言っていた。じゃあそれも部屋でやろうよ、と言ったら、それはさすがに申し訳ないと、今度ベランダでやることになった。
見てみたい、部屋の中のシャボン玉。掃除すればいいだけだからかまわないんだけどなあと思いつつ、私が逆の立場ならやっぱり人の部屋でシャボン玉は吹けないかあ、いや、頼まれたらもう信じてやるかな、とかぼんやり考える。そのうち無になって、お味噌汁を飲みほす。


時間があったので、鏡台の前に立って、かねてより伸びかけだった髪を散髪する。そのおともは、下田逸郎さんの唄、from spotify。彼の唄は労働とか人とのかかわりとかが絶えない日常の、ふとゆるんだ瞬間に流れている。何か空気の流れが変わるような、CDの曲と曲の間みたい。それはあらゆる"ひとり"の中でもとっても尊くてしみじみとしたひとりの時間で、聴くときはたいてい、朝か夜だ。


鏡をちょっと見て、鋏を入れる。こういう時、思いきりはよいほうだ。
仕事場でかっこいいなと思っているロン毛のおにーさんのことを思い出す。今日はシフトに入っているだろうか。入っていてほしいな。その人がいるのといないので仕事場でのモチベーションが全然ちがう。
普段はクレームの電話対応をしている人なのだけれど、どことなく飄々とした雰囲気で、へんてこな内容でどなられたり長話になるのが、どうやらなんの苦でもなさそうだという噂がある。
いつか彼の上司と掃除当番が一緒になったとき、あいつ絶対めんどくさい受電をよろこんでる節あるよ、と言っていたっけ。床に気持ちていどにコロコロをかけながら。
そうならすごいな。鋼のメンタルだ。(かっこいい……泣)


髪、時々自分で切っている。
すっきりするし、したいニュアンスに1番近くなれるから自分で切りたくて切ってしまう。ただ次に美容師さんに会った時、申し訳ないのと、綺麗に整えてもらうより自分で切りたいというよくわからない熱がうまく伝えられる気がせず、なんとなく「酔っぱらって切っちゃいました」とごまかしたりしている。
全然素面でしずかに。
ギシキのように粛々と切っている。下にひいたティッシュの上に、ぱらぱらと髪が落ちる。窓から入る日が、まだ化粧をする前の素顔をじりじりと灼いてゆく。

ふしぎと自分で切ったときは後悔も失敗もない。ほんとに切りたいから、やりたいようにやってるだけって感じ。いろんなデザインがない方が合っているのかもなーと大胆に鋏を入れ、長さが飛び出ているところをちょこちょこカットしながら考える。これからも難しいのがやりたくならないかぎり、自分で切ろうと思う。


気がついたら鋼メンタルのおにーさんと同じくらいの長さまで髪を切っていた。今回は、鎖骨がかくれるかかくれないくらいで落ち着いた。
そのままコンタクトを入れ、お化粧をして、二代目をはずす。くしゃっとした前髪を直して、温めたコテを切りたての髪に通していく。新鮮な気持ち。


支度が全部終わったら、ここで最後にもう一度、布団に戻る。
体やすめかつ、けっして寝落ちしない絶妙なバランスで大の字になって、目を閉じる。


いち





さん








ろく



なな



はち



きゅう



じゅう、でバッと起きあがる。
そこからは早い。

鏡台に散らばった髪をごみ箱に捨てて、カーテンを閉め、なんかかわいいので鍵入れにしている蜜豆の缶から家の鍵をつかむ。玄関でヒールを履いて、ごみ袋をつかんだらドアを開ける。

今日がどんな日になるのかは、出かけてみるまでわからない。だけど、どんなことがあっても、こういう自分がしあわせだと思える暮らしが主役なんだってことは絶対わすれない。その暮らしのために、選ぶ。やりやすいように働いて、そのお金で好きな服買って、食べたいもの食べて、好きな人に近づいて。長くて短い人生、しあわせに生きていこう。
もうふりまわされない、引きずられない。
苦しい癖を手放して、すこやかに。すこやかに。
私は今の自分の生活がとても好き。何にも遠慮しないで、憧れていたことをひとつひとつかなえていっている。これからも。
それって、もしかしたらいくつもの歌や映画でつくられた、ちょっと期待しすぎな夏を待たずにはいられない、胸のどきどきと似ている。


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